今朝見上げた時と変わらない白い天井。
彼が伸ばした腕を枕にして同じように見上げる。
『ん?いつ?…』
『昨日帰ってきてサラが転がってて…』
『サラ?…私?』
何だろう…名前を呼ばれてドキドキする。
同じ歳の異性に呼び捨てなんて初めてで妙に緊張した。
『そう…サラって呼んでいい?俺の事も要で』
『……頑張ってみる。。私も奇跡みたいと思った』
『え?』
天井ばかりをみていた横顔が急に振り向いて驚く
『や、、ほら…噂でしか聞いた事ない進学校に行ってるご近所でも有名な人と遭遇なんて…つちのこ見つけた気分』
『は!そう言う意味かよ…なんだよ…俺は違うから…』
『……うん…私も違うけど』
『じゃあどう言う意味で?』
『……寝る時も寝てる間も、目が覚めてその後も…いたいなぁと思う。一緒に…重いでしょ?それに…昨日今日でって。』
『まぁ、驚きはしたけど…意外と大胆で』
『でも…何もしてくれなかった』
『……出来なかった』
なんで?って本当は聞きたかったけど、聞けなかった。
彼は私の髪をつまんで揺らしたり指先で弄びながら
『あれだ…意気地なしってやつ』
フッと息を吐いた。
『心臓…凄いだろ?音』
胸の辺りに耳を当てる
『わ、、本当…』
『私もかなりだけど…』
『聴いてみていい?』
悪戯な表情をみせて笑った。
『だだ、ダメダメ!』
『あはは!』
ベッドの上でお腹を抱えて笑っていた。
『どういう意味で笑ってる?』
『いや、マジで焦ってたから。心配しなくても出来ないから』
『え?』
『……意気地なしだからな本命には』
『……(本命には?)』
幸せすぎて怖い。こんな気持ち知らなかったけど、少し似てる感覚は知っている。
再婚するまでの父と2人の生活は私には幸せで。それ以外はなかった。2人と言っても現実はそうでも確かに母の存在がそこら中にあった。
タオルの干し方や調味料の並び。母がいた頃と変わらなかった。
リビングにある写真立ての中で母は笑っていたし。母は存在した。
再婚と同時にそれらが無くなり写真すら片付けられた。変わり果てたリビングで絶望を味わった時に失った幸福を知らしめられた。
喪失した記憶があるから、少しの幸せでも怖くなるものなんだと日に日に思う。
要が私にもたらしたものは喜びと安心と1つの不安。喪失の不安は何処へいってもついてくる。伸びきった影の様に黒々としたその闇が引き摺られそうになりながら、それでも傍にいる彼にいちいち光の元へ引き戻されるようだった。
あの奇跡的な出会いの日はあれからゆっくり、まったりと要の部屋で過ごした。正確にはただ彼が離してくれずにくっついたまま時々唇同士が掠めるだけの濃厚とは言えない時間だった。体の結び付きはなかったのに、失くした半身を見つけた様な充足感には驚いた。ただ寂しくもあった。
夕方帰宅して…継母も誰も私を心配してはいなかったし、ただし父親は仕事で帰らなかったから知らなかっただけだけど。それならそれで何の連絡もない時点で娘には関心が無いんだろう。継母、姉という血の繋がらない義家族の中に私を1人にするという心配や思いやりさえ浮かばない程度なのだ。
ただ『奇跡的』の出会いをそう言わしめる程、父親の無関心を悲しむ暇もないくらいに頭の中には要が全てを占めていた。
次の日から少しずつ彼は私の中に浸食してきた。
朝、家を出ると隣の門扉が開く。進学校の制服でいかにも優等生な姿で彼は立っていた。
『おはよう…』
『お…はよ』
『なに?何かおかしい?』
最初は気恥ずかしかった。凝視できないくらいに…余りにも世界が違う。
『いや、、メガネするんだ…』
『ああ、これ?頭良さそうだろ?』
『うん…』
学校に行くまでの僅かな駅までの道。並んで歩く。
『あれ、これまでって…何で会わなかったのかな…』
『あ、、あー、あれかな。送迎の車あったし。家から学校まで』
『わ、、そっか…じゃあ今日は…』
『今日からサラと一緒に行く…』
『電車とか乗ったりできる?大丈夫?』
『それくらい出来る』
不貞腐れて前を向く。
要と私の学校は真逆だから本当は反対のホームなのに、私を見送ってからホームに行くと言って繋いだ手を離さなかった。嬉しくて胸が震えた。
無情にも定刻通りに電車が滑り込んで、それから仕方なしに車両へと足を向ける。
ドアが閉まって発車する瞬間まで見つめ合う。
ただ静かに視線がぶつかる。
笑って手を振った。
要も笑って何か口にした。
『??何だろ…』
電車に揺られながら要にLINEで聞いた
【さっき何か言った?】
【別に…】
【え?】
【帰りに又家に来いって言った】
【帰りって行って良いの?勉強は?】
【来て…】
要のこんな強引な発言には言う事を聞いてしまう。
『帰りに又家にってそんな長い口の動きしなかったけどな…本当はなんて言ったんだろ…』
思いながら一日が浮き足立っていた。
学校は楽しくない事もない。ただ私が大事なものを作らない様に心掛けていたせいで友人は多くはなかった。教室で笑う事もしなかったせいで暗くて近寄り難いという願ってもなく思った通りの印象を持たれていた。
なのに、何故か要と会う事を考えているからか自然と笑っていた。
『お前笑ったりすんの?初めて見た』
とは実家の『スーパーマツヤ』のバイトを紹介してくれた松田龍太が驚いていたくらいだからよっぽど機嫌が良かったのかもしれない。
『あのさー、バイトでもそんくらい笑えよな』
『何が?サラってレジで笑わないの?』
松田龍太の幼馴染みで私の唯一の友人和希は怪訝な顔をした。
『そうなんだよ、サラっぺ笑わないんだよ。怖くていっつもレジ空いててスカスカよ』
『あはは。サラ、何かいい事あったの?』
『うん』
『なに?何があった?!』
『和希…私ね…』
『なに?なになに?』
龍太の存在を気にする
『ちょっと!女同士の話なんだから!あんたはどっか行っといてよ』
『なんだよ、、俺も聞きたいしいいじゃん』
『あ、今日バイトないよね?じゃあ学校帰りに茶シバこう!』
『おい!何時代なんだよ茶シバくて…』
『cafeでtea頂くのよ。知らないのあんた』
『和希の母ちゃんいちいち言葉が古すぎて和希まで古文使うからなぁ…茶シバきは俺も行くからな!』
『あんた今日実家の手伝いでしょ?』
『あーっそうだ。何なんだよ…じゃあ今言えよ』
頭を抱えだす龍太を尻目に和希が耳打ちした。
『家の事?だったら他に人いない方が良いでしょ?』
私の家の事情を心配している。
話している間に龍太は誰かに呼ばれて行った。
『ううん…違うの。。あの…実はね…彼氏が…』
『彼氏!!!』
『シーっ!かず声が大きい!』
『あぁ、ご、ごめん…びっくりして。。ちょっと話詳しく聞かせてよ』
『うん…』
その日は授業が全く頭に入ってこない忙しい一日だった。
恋という名の7へつづく