広島にある高校。北川が受け持つ三年生のクラスで、生徒の大庭みち子が鼻血を出して倒れた。 それは原爆による白血病が原因だった。 このクラスでは、実に三分の一の生徒が被爆者だったのだ。あの日、ゆき子の姉は疎開作業中に被爆し、川の中で絶命した。北川は今まで原爆のことを知ろうとしなかったことを謝罪すると、生徒からは原爆のことを世界の人に知ってほしいとの声があがる、、。

 

 

 

 

 

 

こちらは1953年制作の 日本映画 日本 です。 (104分)

 

1951年、被爆した少年少女の手記を集めて刊行された 「原爆の子〜広島の少年少

 

女のうったえ」 を基に、日本教職員組合が製作したドキュメントタッチの作品で、第5回

 

ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞しています。 ベル

 

  映画は原爆投下から7年後の高校の授業風景から始まります。 授業中一人の女

 

子生徒が突然鼻から血を流して意識を失います。 彼女は原爆の影響と思われる白血

 

病に侵されていました。 クラスの生徒半分も被爆している事に驚く教師。

 

生徒達は、いつ自分も病魔に侵されるかの不安の中で生きていました。 戦争が終わっ

 

て7年が過ぎても被爆者には未だに終息しない死の恐怖。 意識がもうろうとする病床で

 

女子生徒はあの日を回想するのでした、、。

 

「いかにしてあの日を正確に再現するか」が主眼とされて制作された本作は、正に原爆

 

投下された1945年8月6日の広島の地上で移起こった地獄絵図の模様が、当事者で

 

ある、被爆した多くの一般市民によって克明に再現されています。

 

広島市の中学・高校生、教職員、一般市民等約8万8千人が無償のエキストラとして参

 

加して描かれている当日の様子は、体験していない私達の言葉など無意味とも思える

 

程の衝撃と説得力があり、ただただ圧倒されたしまいます。

 

 

 

 

当日の惨状と混乱の再現はもとより、その後の被爆によって生まれた戦争孤児や、被

 

爆者という事で結婚を諦めざるを得なくなった女性、後遺症の被害、差別や偏見といっ

 

た、終戦後もつづく核爆弾が残した傷と痛みも描かれています。

 

戦後わずか8年後、まだ原爆投下のあとが生々しい時期にこの作品を撮影したという

 

制作者と広島市民の強い意志と、これを残さなければ、という責任感には敬服するばか

 

りです。 ただし、これだけの作品でありながら、「反米色が強い」として松竹など大手五

 

社が配給を拒否して、限られた劇場でしか上映されなかったというのも、敗戦国日本の

 

複雑な状況を、見事に表しているような気がしてなりません。

 

劇中、多くの患者を収容する病院で、「今後70年は草も生えないだろう」と言われてい

 

た土地に、種を撒いた大根が芽を出し、喜びの声を上げる場面では、かすかな再建の

 

希望を予感させ、胸が熱くなりました。

 

 

 

 

戦争を生き延びた人達の、これが被爆の真実だと伝え遺そうとする魂のこもった映画 

 

で、ほんの一部分かもしれませんが 1953年に生きた日本人からの映像のメッセージ

 

として、私達、そして次の世代へと受け継がさなければならない責任のバトンのような気

 

がしてならない作品です。  私のような文才の無い人間には、とてもお伝え出来ない内

 

容と映像体験の映画です。 戦争を描くどんな言葉も、この映像を凌駕することはできな

 

いと思える貴重な作品ですので、機会があれば是非ご覧になってみて下さい。 目

 

では、また次回ですよ~!  パー