第15回ベルリン国際映画祭において銀熊賞の審査員グランプリを受賞したロマン・ポランスキー監督によるサイコホラー映画です。

 

 

 

 

 

 

                  -  REPULSION  -  監督 ロマン・ポランスキー

 

 出演 カトリーヌ・ドヌーヴ、イアン・ヘンドリー、ジョン・フレイザー 他

 

こちらは1965年制作の イギリス映画  イギリス  です(105分)

 

 

 

 

  ロンドンのアパートで姉ヘレンと暮らすキャロルは美容室で働き、デートを誘う男のコリンもいます。 しかしキャロルは姉が妻子持ちの男マイケルを毎晩のように部屋に泊めることに強い嫌悪感を抱いていました。 夜になると毎晩のように姉の喘ぐ声が聞こえてくる事に強い嫌悪感を懐くようになるキャロル。 神経質で潔癖性の彼女は、次第に男性恐怖症になると同時に男に犯される夢を見るようになり、徐々に精神的に壊れて行く、、、

 

 

 

 

「ローズマリーの赤ちゃん」 や 「戦場のピアニスト」 以前こちらのブログでは、「テナント」 をご紹介いたしましたが、その ロマン・ポランスキー 監督の長編2作目になります。主人公で神経症気味のキャロルを演じるのがまだ初々しいカトリーヌ・ドヌーヴです。 姉と二人で美容室へ勤めながらロンドンのアパートで暮らしていたキャロルでしたが、姉に彼氏のマイケル が出来、それ以来度々アパートに泊まるようになります。 深夜になると姉の部屋から二人の愛し合う声が聞こえてきます。 その声を聞くようになった頃から徐々にキャロルの精神のバランスが崩れ始めます。 

 

 

 

 

彼女に恋心を抱く男性 コリンは、度々デートに彼女を誘いますがキャロルは上の空。 たまたま街で会ったキャロルを家に送った際にキスをしますが、キャロルは慌てて車を降りて口を拭い、汚れたものを落とすように歯を磨くのでした、、。 そんなある日、姉はマイケルと旅行に出かける事になります。 執拗に姉を引き留めるキャロルでしたが、二人は旅行へ出かけてしまいます。  一人アパートに残されたキャロル。 ここから姉という監視が消えた事で、彼女の精神のたがが外れ、神経症のような症状が加速していきます。 仕事も無断で休み、アパートにこもりきりになります。 

 

 

 

 

ベッドで眠ろうとすると、男が現われキャロルを犯す幻覚を度々見るようになり、完全に彼女は自分の妄想の世界の中の住人になっています。 電話しても連絡が取れないキャロルを心配して、コリンがアパートに訪れます。 彼女が部屋に居る事を確認したコリンは、力尽くでドアを破り部屋へと侵入します。 キャロルを心配して訪れたコリンでしたが、キャロルからしてみれば、自分のテリトリーに無理矢理介入してきた男でしかなく、キャロルは自己の防衛の為に、コリンを殴り殺してバスタブに沈めてしまいます。 その後、アパートの大家も訪ねて来ますが、コリンと同じ末路を辿る事になります。 大雨が降ったある日、姉とマイケルが旅から帰ってきました。 姉がアパートのドアを開けると、そこには、、、 といったお話が、美しいモノクロームの映像で語られます。

 

 

 

 

思春期を過ぎた年齢であるはずのキャロルが、姉の行動によって過去のトラウマに浸食され、ついにはそれに自分自身が飲み込まれてしまうという物語です。このあえてモノクロで撮影された映像は、正に彼女の視野と世界観を表現しているようにも見えます。 キャロルの内面の心象状態を、薄暗い部屋に射す幾何学のような黒い影、歪む視野、ショッキングなウサギの丸焼き料理や、芽を出しながら干からびていくジャガイモといったシュールな映像によって表現されています。

 

 

 

 

キャロルの異常なまでの 神経症的な男性恐怖症や嫌悪感が何故起こったのか? 以前こちらで紹介した 「LAW」 や 「キャリー」 といった作品に近いものはありますが、本作はどちらかといえば自分の性に対してではなく、姉の彼氏という名の男の登場によって過去のトラウマが蘇り、その事で他者という存在に対して異常に過敏になり、嫌悪と保身が膨張する事で常軌を逸していきます。 

 

 

 

 

そして遂にはトラウマとなった幼少期に精神が逆行してしまったようにも思えます。これは私個人の解釈でしかありませんが、度々登場する不自然な家族写真の構図と、徐々に服装や態度にも表れる幼児化していくキャロルの姿に見られます。 劇中の彼女の姿は今でいう PTSDそのものです。 その上、父親からの性的虐待を受けていた事が伺える描写もあります。 キャロルが夜に見る幻覚の相手は歳をとった大人であり、後半の衣装は、もはやその相手をするラブドールのようでもあります。

 

 

 

 

映画の最後には子供のように抱きかかえられたキャロルの姿でエンディングを迎えますこのシーンでは、姉の彼氏マイケルに恋心を抱いた事でキャロルの精神が、、、という解釈も出来ますが、それならば自分のコップの中に、勝手にマイケルのものが入っていた事にそこまで過敏に反応するのか疑問になります (この自分のコップに他人の物が入っていた、もっと拡大解釈すれば、自分のテリトリーに男という異物が入って来たという描写は、正に レイプ を意図的に連想させます) 

 

 

 

 

性的被害を受けたトラウマだけでなく、自己の世界へ勝手に介入して来る他人への恐怖 (ここはちょっと共感してしまった私、、、)その心理を、壁のひび割れや、無数の手が出て来たリというシュールな画で表現し、当時としてはまだ早かったであろう PTSD を題材に、心理サスペンスに仕上げた ポランスキー監督と、それを見事に体現したドヌーヴの演技も見事でありました。  

 

 

 

 

同じ ポランスキーの作品 「ローズマリーの赤ちゃん」 は、一人の女性が周りの力によって追い詰められていく内容だったのに対し、本作は キャロルという一人の女性の内的トラウマが周りの人間を巻き込んでいくドラマで、対をなしている作品にもとれます。 今観ても十分なインパクトで、楽しめる作品だと思いますので、サイコ物や心理サスペンスが好きな方は是非ご覧になっていただいて、ご自分なりの解釈を見つけてみてはいかがでしょうか?です 

 

では、また次回ですよ~! パー

 

 

 

 

 

 

 

オープニングタイトルでありまして、これが面白そうと思えば、面白いであります