ふと考えてみると、世にはびこる「○○家」ほど信用のならない肩書きもないのではないだろうか。
あ、この「○○家」は「○○け」ではなく「○○か」、「作家」とか「銀行家」とかね。
ではナニゆえに「○○家」が信用ならないか、といえばやはり「○○家」は「多分に自称が可能である」ということに尽きる。
一応かく言うこの俺様も世間的には「作家」乃至は「脚本家」と名乗っているのだけれど、これも最初のうちは多分に抵抗のあるものであった。
だってさあ、ないじゃない、基準が。
いまさら世間様を欺いたりささやかな迷惑をかけ続けることに対して、同義的・良心的な罪悪感なんていちいち感じるほどやわではない(ないのか?)けれど、なんていうかその…プライドが審判て言うかね、自分的にその肩書きを背負って良いものかどうか、その肩書きの持つ信頼とか、そういうものを傷つけてしまわないか、っていうか…まあ、うまくいえないけれどそんな感じである。
それでも僕の場合は脚本書いてささやかなりとも収入を得ているわけでもあるし、非常に限られた狭い世界の中ではあるけれども、多少なりとも「作家」「脚本家」として認知もされてきているようなので、自分的にはそう名乗ることに対しての抵抗感は大分軽減されてきてはいるのだが。
あ、でも「演出家」って言うのはまだダメね。
そっちのほうはまだまだ日々精進です、ハイ。
つまり永田剛志的価値判断基準から言うと、「作家」としては自分なりに納得のいく成果・業績を上げてきてはいるけれども、「演出」として省みればまだまだ「家」のレベルの仕事をしていないということなのである。
しかしつらつら世を見るに、この「○○家」というのをわりと安易に名乗っている輩が結構いるようなのである。
例を挙げて言えば、
まだ一本も台本を完成させていない「脚本家志望」とかいう奴と話しているうちに、何かの拍子に僕が彼のプライドを刺激したとして、「いや永田さん、僕も脚本家の端くれとして…」とか言い出すみたいなね。
いつお前はなったんだよ、脚本家に!!
というわけで皆さん、自称「○○家」には、十分注意しましょうね。
…なんか散漫な文章だなあ…。
あ、この「○○家」は「○○け」ではなく「○○か」、「作家」とか「銀行家」とかね。
ではナニゆえに「○○家」が信用ならないか、といえばやはり「○○家」は「多分に自称が可能である」ということに尽きる。
一応かく言うこの俺様も世間的には「作家」乃至は「脚本家」と名乗っているのだけれど、これも最初のうちは多分に抵抗のあるものであった。
だってさあ、ないじゃない、基準が。
いまさら世間様を欺いたりささやかな迷惑をかけ続けることに対して、同義的・良心的な罪悪感なんていちいち感じるほどやわではない(ないのか?)けれど、なんていうかその…プライドが審判て言うかね、自分的にその肩書きを背負って良いものかどうか、その肩書きの持つ信頼とか、そういうものを傷つけてしまわないか、っていうか…まあ、うまくいえないけれどそんな感じである。
それでも僕の場合は脚本書いてささやかなりとも収入を得ているわけでもあるし、非常に限られた狭い世界の中ではあるけれども、多少なりとも「作家」「脚本家」として認知もされてきているようなので、自分的にはそう名乗ることに対しての抵抗感は大分軽減されてきてはいるのだが。
あ、でも「演出家」って言うのはまだダメね。
そっちのほうはまだまだ日々精進です、ハイ。
つまり永田剛志的価値判断基準から言うと、「作家」としては自分なりに納得のいく成果・業績を上げてきてはいるけれども、「演出」として省みればまだまだ「家」のレベルの仕事をしていないということなのである。
しかしつらつら世を見るに、この「○○家」というのをわりと安易に名乗っている輩が結構いるようなのである。
例を挙げて言えば、
まだ一本も台本を完成させていない「脚本家志望」とかいう奴と話しているうちに、何かの拍子に僕が彼のプライドを刺激したとして、「いや永田さん、僕も脚本家の端くれとして…」とか言い出すみたいなね。
いつお前はなったんだよ、脚本家に!!
というわけで皆さん、自称「○○家」には、十分注意しましょうね。
…なんか散漫な文章だなあ…。