最近本屋に源平やら義経やら関係の本が妙に多い、と思っていたら、どうも来年の大河ドラマのせいらしい。
二年前「Soldier of Fortune」という話を書いたときには、書店には全くと言っていいほどその辺の本は売っていなくて、資料を集めるのに激しく苦労した。
その苦労して探し求めた本たちが、平気な顔して店頭の、それも目立つところに並んでいると、複雑な気持ちになる…って書いてほしいでしょ?
実は全然そんなことは思わないのである。
人がやれることをやったからってなんなのさ。
知ってることをもう少し知ってたからってなんなのさ。
そんなの全然すごくないしつまらない。
はっきり言って、

断然カッコ悪い

題材にとったのが二年前で本当に良かった。
個人的には義経や弁慶、源平合戦にはいまだに尽きない興味はあるけれども、みんながそっちを向いているときにそんな本は読みたくない。
そんな芝居はやりたくない。
いいじゃん、NHKがやってくれてるんだから、わざわざ俺達がやらいでも。
俺が思う義経と弁慶と静と玉虫の物語は最高のカタチで俺達がやった。
だからもういい。勝手にやってくれ。
先読みとか薀蓄とか、たれたい奴はたれればいいじゃん。
だけどね、電車の中で司馬遼の「義経」読んでたり、吉川栄治の「新平家」読んでる奴がいたら、俺は思うよ。

カッコ悪い

って。
鼻で笑うね。
誰も見てない所で面白いコト探し出してやってやるのが物作りの「カッコよさ」だと僕は思うし、そうやって生きてきたから。
だから僕は今、激しく、最高に「俺カッコイイ」と自分では思う。
もっと遠くへ、深いところへ。
孫子曰く、その不意に出で、その備え無きを攻める。
だからまだまだ、不意なところを突きまっせ。
人がやっていることを追うのはカッコをつけること。
俺はカッコはつけたくないけど、カッコよくありたい。

二月、またカッコイイ白納豆を見せてやるぜ。