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奈良で考える 人と家

奈良で建設会社・工務店2社で働き、今は古民家再生事業を営む会社に勤める私いとしんが日々の出来事を通して感じたことなどを綴ります。

またまた随分間隔が空きましたが、

ようやく感想を書きたくなる映画を観ました。

 

「沈黙-サイレンス-(2016年アメリカ)」

 

です。

(視聴はコチラ

 

 

こちらも結構前の映画ですので、

ネタバレありで書かせて頂くと…。

 

江戸時代初期、

江戸幕府の政策により日本ではキリスト教が禁じられ出した時代。

 

自分たちの師にあたる宣教師が、

日本で棄教(布教はおろか信者をやめること)した、

との情報を得たロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)・ガルペ神父(アダム・ドライバー)は、

真偽を確かめるためキチジロー(窪塚洋介)の手引きで密入国します。

 

キリシタンであるというだけで苛烈な弾圧を受ける日本で、

二人は密かに長崎で宣教師としての活動しながら師の行方を捜します。

 

そんな二人は捜索を逃れる為に分かれて潜伏しますが、

ついに捕らえられさらにガルペ神父は命を落としてしまいます。

 

捕らえられ棄教を迫られるも、

拒否し続けるロドリゴ神父。

 

ついに師のフェライニ神父と再会しますが、

既に棄教し日本人として暮らしていた師に絶望し、

自らは信仰を貫こうとします。

 

ただ、

信者に拷問を課すなどして執拗に棄教を迫られる中で、

ロドリゴもついに信仰を諦めてしまいます。

 

そして日本人として暮らし、

数十年後、

日本人として葬られることになったロドリゴ。

 

その埋葬も仏式で行われるのですが、

彼の手の中には、

以前信者からもらった小さな手彫りの十字架が握られていた、

というラストシーンで、

映画は終わります。

 

 

日本ではPG12指定・アメリカではR指定になるほど、

苛烈な拷問シーンがたびたび描かれ、

いかにキリシタン弾圧が過酷なものであったかがよくわかる映画。

 

ただ鑑賞後の心境としては、

どちらかというと絶望感・虚無感に覆われ、

人が人の尊厳を奪うことの愚かさ・残酷さに愕然としてしまっていました。

 

正直、

すぐにこの感想ブログを書く気になれなかったくらいです。

 

それがこうやって改めて書こうという気になれたのは、

たまたま世界文化遺産の

「長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」

についてTVで目にしたことです。

 

江戸時代初期の弾圧から200年以上のちの1865年、

幕府の禁教政策の緩和により新築された大浦天主堂(長崎)に十数人の男女が訪れ

 

『ここにおります私どもは、みなあなた様と同じ心でございます。』

 

と神父に告げたというのです。

 

つまり、

弾圧を逃れた信徒たちは、

江戸時代を通じて禁教政策の続く中でも、

何代にも渡って決して諦めず、

信仰を守り続けていたのです。

 

このことは当時のキリスト教社会でも奇跡として取り上げられ、

「信徒発見」という言葉で伝えられているそうです。

 

 

つまり、

ロドリゴ神父やガルペ神父の命がけの行動は決して無駄ではなかった、

そして人の尊厳や心の自由は、

どんな権力者にも奪うことは出来なかったということを、

史実として証明したと言えると思います。

 

 

「沈黙 -サイレンス-」

 

映画そのものは過酷で無力感に襲われるものかもしれませんが、

世界文化遺産につながる壮大な歴史のひとつとして観てもらえると、

救いがあると思えた映画でした。

 

機会があればぜひご覧ください!