強くなるために筋トレをしていた。
筋肉はついた。
でも、身体は強くならなかった。
むしろ、
続けるほど身体が重くなり、
あちこちが痛くなった。
股関節、腰、肩、肘、手首。
関節が不安定なまま、
筋肉の力で無理やりバランスを
取っているような感覚もあった。
それでも当時の僕は、
「まだ筋肉が足りないから、身体が安定しないんだ」
と思っていた。
だから、さらに筋トレを頑張る。
筋肉はつく。
でも、また身体が痛くなる。
そんなことを繰り返していた。
筋トレをやめたら、身体が軽くなった
その後、
合気道や古武術の稽古に
参加するようになった。
そこで出会ったのは、
それまでとはまったく違う
身体の使い方だった。
筋力だけに頼らず、
骨格や重心を使う。
必要のない力を抜き、
全身をつなげて動く。
古武術を学ぶ中では、
「筋トレが、かえって身体を弱くすることもある」
という考えも耳にした。
筋肉の力ばかりに頼っていると、
全身のつながりや、
骨格、重心を活かした動きが
失われてしまうという。
筋トレをするほど身体が重くなり、
痛みも出ていた僕には、
その話がかなり腑に落ちた。
そこで、
一度筋トレをやめた。
筋肉は落ちた。
でも、
身体はむしろ軽くなり、
痛みも減っていった。
筋肉が多いことと、
身体が安定していることは
同じではない。
それは、
身体でも実感できた。
しかし、
古武術で教わるような
身体の使い方が、
すぐにできるように
なったわけではなかった。
形はできても、中身は不安定だった
古武術の稽古では、
身体を安定させるための姿勢を
細かく教わった。
言われていることは、
頭ではなんとなく理解できる。
型をなぞることもできる。
しかし、
一つひとつの動きを
細かく確認したり、
動きの途中で止まったりすると、
すぐに安定が崩れる。
反り腰や巻き肩など、
いつもの身体の癖も出てしまう。
一瞬、安定できたと思っても、
次の瞬間にはもう崩れている。
何時間も稽古して、
安定していられる時間が
1秒から2秒になる。
そんな小さな変化を
積み重ねるような稽古で、
正直、
気が遠くなりそうだった。
それでも
稽古や日常の中で
姿勢を意識し続け、
少しずつ安定してきた
感覚はあった。
ただ、
進んだと思えば戻る。
「安定した身体」が
どのようなものなのか、
なかなか身体では
つかみきれなかった。
あれだけ稽古したのに、何も変わっていないのか
古武術から離れたあと、
運動不足を感じて、
再びジムに通い始めた。
ところが、
筋トレを続けると、
やはり身体が重くなり、
また痛みも出てきた。
「あれだけ身体の使い方を稽古したのに、結局、何も変わっていなかったのか」
少しへこんだ。
でも、このまま再び
「筋トレは自分に合わない」と
やめるだけでは、
以前と同じだった。
そこで、考え方を変えてみた。
古武術で習ったことを、
筋トレの中でも探求してみよう。
筋肉を大きくするためではなく、
全身をより安定して使うために、
筋トレを学び直してみよう。
そう考えて、
パーソナルトレーニングに
通い始めた。
身体のバランスという視点で、筋トレを学び直す
トレーナーに細かく質問しながら
動きを確認すると、
自分では気づかなかった
身体の使い方が見えてきた。
腹圧が抜けやすい。
背中をうまく使えていない。
スクワットでは、
股関節やお尻よりも、
膝や腿の前側に頼っている。
勢いを使えば回数をこなせても、
全身をバランスよく
使えているわけではなかった。
それまでの僕は、
いつも使いやすい筋肉を使って、
動きを成立させていた。
そして、
使えていない部分には、
そもそも意識が向いていなかった。
だから、古武術で
安定する姿勢を教わっても、
必要な部分をうまく使えず、
身体では再現
できなかったのだと思う。
筋肉を大きくすることよりも、
今まで使えていなかった
部分も含めて、
全身を無理なく
使えるようになること。
そこへ目的を変えて、
トレーニングを続けた。
別々だった学びが、身体の中でつながった
腹圧や背中、股関節を
少しずつ使えるようになると、
古武術で教わっていた
安定する姿勢も
再現しやすくなった。
以前は言葉でしか
分からなかったことが、
ようやく身体で腑に落ちた。
一方で、
筋トレで教わったことが、
古武術の稽古を思い返すことで
理解できることもあった。
どちらか一方が
正しかったわけではない。
筋トレをすれば古武術が分かる、
という単純な話でもない。
時期や経験の順番、
そのときの自分の身体、
教わったタイミングや受け取り方。
いろいろなものが重なり、
別々だった学びが身体の中で
つながったのだと思う。
一つの世界だけでは、見えない身体がある
振り返れば、こうしたことは、
古武術と筋トレの間だけで
起きていたわけではない。
瞑想で身体の内側を感じること。
ダンスで音や空間に反応すること。
裸足で山を歩き、地面に合わせて足を置くこと。
それぞれは、
まったく別のものに見える。
しかし、
実際に身体で経験していくと、
あるとき、別々だった感覚が
つながることがある。
一つの方法を
深く学ぶことも大切だ。
でも、
身体を一つの方法や
一つの世界からだけ見ていると、
見えないものもある。
いろいろな角度から身体を感じ、
試してみる。
そうした経験が
身体の中でつながり、
それまで分からなかったことが、
少しずつ腑に落ちていく。
それが、僕にとっての
身体探求なんだと思う。
よほどのマニアでなければ、続かない
古武術の型の稽古では、
流れを最初から最後まで
行うだけでなく、
一つひとつの動きや、
動きと動きの間でも
安定が崩れていないかを
細かく確認していく。
一瞬安定したと思ったら、
次の瞬間には崩れている。
そこへ戻って、
またやり直す。
正直、うんざりするほど
地道な作業だ。
よほど身体を面白がれる
人でなければ、
日常で続けようとは
思わないかもしれない。
僕は普段、
この稽古から着想を得た、
もう少し簡単な方法を
自分で試したり、
クライアントに伝えたりしている。
特別な運動や
難しい型を覚えるのではなく、
いつもの何気ない動きを、
少しだけ変えてみる。
そのほうが、試しやすく、
日常の中でも続けやすい。
それだけでも、
普段は気づいていない
身体の使い方が見えてくる。
明日のメルマガでは、
日常の動きを使って、
自分でも気づいていない
身体のパターンを観察する、
簡単な実験を紹介する。
シンプルだけど、
意外と大きな発見があるので、
ぜひ試してみてほしい。
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そして、10月4日の
マインドフルネス
整体ワークショップでは、
こうした身体の探求を、
実際に身体を動かしながら
体験する。
感覚や変化を確かめる中で、
身体が、より安定した
自然な動きを
少しずつ思い出していく。
その過程を、一緒に探求したい。
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