マインドフルネス整体

マインドフルネス整体

整体師の身体探求レポート

 


強くなるために筋トレをしていた。

 

筋肉はついた。

 

でも、身体は強くならなかった。

 

むしろ、

続けるほど身体が重くなり、

あちこちが痛くなった。

 

 

股関節、腰、肩、肘、手首。

 

関節が不安定なまま、

筋肉の力で無理やりバランスを

取っているような感覚もあった。

 


それでも当時の僕は、

 

「まだ筋肉が足りないから、身体が安定しないんだ」

 

と思っていた。

 

だから、さらに筋トレを頑張る。

 

筋肉はつく。

 

でも、また身体が痛くなる。

 

そんなことを繰り返していた。

 

 

  筋トレをやめたら、身体が軽くなった


その後、

合気道や古武術の稽古に

参加するようになった。

 

そこで出会ったのは、

それまでとはまったく違う

身体の使い方だった。

 

筋力だけに頼らず、

骨格や重心を使う。

 

必要のない力を抜き、

全身をつなげて動く。

 

古武術を学ぶ中では、

 

「筋トレが、かえって身体を弱くすることもある」

 

という考えも耳にした。

 


筋肉の力ばかりに頼っていると、

全身のつながりや、

骨格、重心を活かした動きが

失われてしまうという。

 

筋トレをするほど身体が重くなり、

痛みも出ていた僕には、

その話がかなり腑に落ちた。

 

 

そこで、

一度筋トレをやめた。

 

筋肉は落ちた。

 

でも、

身体はむしろ軽くなり、

痛みも減っていった。

 

筋肉が多いことと、

身体が安定していることは

同じではない。

 

それは、

身体でも実感できた。

 


しかし、

古武術で教わるような

身体の使い方が、

すぐにできるように

なったわけではなかった。

 

 

  形はできても、中身は不安定だった

 

古武術の稽古では、

身体を安定させるための姿勢を

細かく教わった。

 

言われていることは、

頭ではなんとなく理解できる。

 

型をなぞることもできる。

 

しかし、

一つひとつの動きを

細かく確認したり、

動きの途中で止まったりすると、


すぐに安定が崩れる。

 


反り腰や巻き肩など、

いつもの身体の癖も出てしまう。

 

一瞬、安定できたと思っても、

次の瞬間にはもう崩れている。

 

何時間も稽古して、

安定していられる時間が

1秒から2秒になる。

 

そんな小さな変化を

積み重ねるような稽古で、

 

正直、

気が遠くなりそうだった。

 



それでも

稽古や日常の中で

姿勢を意識し続け、

少しずつ安定してきた

感覚はあった。

 


ただ、

進んだと思えば戻る。

 

「安定した身体」が

どのようなものなのか、


なかなか身体では

つかみきれなかった。

 

 

  あれだけ稽古したのに、何も変わっていないのか

 

古武術から離れたあと、

運動不足を感じて、

再びジムに通い始めた。

 

ところが、

筋トレを続けると、

やはり身体が重くなり、

また痛みも出てきた。

 

「あれだけ身体の使い方を稽古したのに、結局、何も変わっていなかったのか」

 

少しへこんだ。



でも、このまま再び

「筋トレは自分に合わない」と

やめるだけでは、

以前と同じだった。

 

そこで、考え方を変えてみた。

 

古武術で習ったことを、

筋トレの中でも探求してみよう。

 

筋肉を大きくするためではなく、

全身をより安定して使うために、

筋トレを学び直してみよう。

 

そう考えて、

パーソナルトレーニングに

通い始めた。

 

 

  身体のバランスという視点で、筋トレを学び直す

 

トレーナーに細かく質問しながら

動きを確認すると、

 

自分では気づかなかった

身体の使い方が見えてきた。

 

 

腹圧が抜けやすい。

 

背中をうまく使えていない。

 

スクワットでは、

股関節やお尻よりも、

膝や腿の前側に頼っている。

 

勢いを使えば回数をこなせても、

全身をバランスよく

使えているわけではなかった。

 

それまでの僕は、

いつも使いやすい筋肉を使って、

動きを成立させていた。

 

そして、

使えていない部分には、

そもそも意識が向いていなかった。

 

だから、古武術で

安定する姿勢を教わっても、

必要な部分をうまく使えず、


身体では再現

できなかったのだと思う。

 


筋肉を大きくすることよりも、

今まで使えていなかった

部分も含めて、

全身を無理なく

使えるようになること。

 

そこへ目的を変えて、

トレーニングを続けた。

 

 

  別々だった学びが、身体の中でつながった

 


腹圧や背中、股関節を

少しずつ使えるようになると、

古武術で教わっていた

安定する姿勢も

再現しやすくなった。

 

以前は言葉でしか

分からなかったことが、

ようやく身体で腑に落ちた。

 


一方で、

筋トレで教わったことが、

古武術の稽古を思い返すことで

理解できることもあった。

 

どちらか一方が

正しかったわけではない。

 

筋トレをすれば古武術が分かる、

という単純な話でもない。

 

時期や経験の順番、

そのときの自分の身体、

教わったタイミングや受け取り方。

 

いろいろなものが重なり、

別々だった学びが身体の中で

つながったのだと思う。

 

 

  一つの世界だけでは、見えない身体がある

 

振り返れば、こうしたことは、

古武術と筋トレの間だけで

起きていたわけではない。

 

 

瞑想で身体の内側を感じること。

 

ダンスで音や空間に反応すること。

 

裸足で山を歩き、地面に合わせて足を置くこと。

 

 

それぞれは、

まったく別のものに見える。

 

しかし、

実際に身体で経験していくと、

あるとき、別々だった感覚が

つながることがある。

 

一つの方法を

深く学ぶことも大切だ。

 

でも、

身体を一つの方法や

一つの世界からだけ見ていると、

見えないものもある。

 

いろいろな角度から身体を感じ、

試してみる。

 

そうした経験が

身体の中でつながり、


それまで分からなかったことが、

少しずつ腑に落ちていく。

 

それが、僕にとっての

身体探求なんだと思う。

 


 

  よほどのマニアでなければ、続かない

 

古武術の型の稽古では、

流れを最初から最後まで

行うだけでなく、

 

一つひとつの動きや、

動きと動きの間でも

安定が崩れていないかを

細かく確認していく。

 

 

一瞬安定したと思ったら、

次の瞬間には崩れている。

 

そこへ戻って、

またやり直す。

 


正直、うんざりするほど

地道な作業だ。

 

よほど身体を面白がれる

人でなければ、

日常で続けようとは

思わないかもしれない。

 


僕は普段、

この稽古から着想を得た、

もう少し簡単な方法を


自分で試したり、

クライアントに伝えたりしている。

 


特別な運動や

難しい型を覚えるのではなく、

 

いつもの何気ない動きを、

少しだけ変えてみる。

 

そのほうが、試しやすく、

日常の中でも続けやすい。

 

 

それだけでも、

普段は気づいていない

身体の使い方が見えてくる。

 

 

明日のメルマガでは、

 

日常の動きを使って、

自分でも気づいていない

身体のパターンを観察する、

簡単な実験を紹介する。

 

シンプルだけど、

意外と大きな発見があるので、

ぜひ試してみてほしい。

 

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そして、10月4日の

マインドフルネス

整体ワークショップでは、


こうした身体の探求を、

実際に身体を動かしながら

体験する。

 

感覚や変化を確かめる中で、

身体が、より安定した

自然な動きを

少しずつ思い出していく。

 

その過程を、一緒に探求したい。

 

▼詳細はこちら

 

 

東京都八王子市にある、

金剛の滝。

 

この滝を訪れるのは、

今回で2回目だった。

 

 

滝を登り終えたあと、

 

「怖くないの?」

と聞かれた。

 

そう言われて初めて、

僕は登っているときの

自分の感覚を振り返った。

 

確かに、

頂上から下を見た瞬間だけは、

 

「ここから落ちたら危ないな」

と思った。

 

でも、

登っているほとんどの時間、

怖さや不安は感じていなかった。

 

怖さを押し込めていたわけでも、

危険を無視していたわけでもない。

 

今回が2回目だったこともあり、

僕はとても落ち着いていた。

 

興奮して勢いで登るのでもなく、

緊張しながら慎重になるのでもなく、

 

リラックスしたまま、

淡々と登っていた。

 

  怖さより、身体が受け取っていたもの

 

登っているとき、

意識していたのは、

 

岩をつかむ手。

 

安定する場所を探す足。

 

濡れた岩の感触。

 

身体に当たる水の流れや圧力。

 

身体の傾きや重さ、バランス。

 

 

まず、今いる場所で

身体が安定していることを確かめる。

 

それから、

次に手を伸ばせる場所、

足を置ける場所を探す。

 

一つひとつを身体で確かめながら、

次へ進んでいった。

 

手には、岩をつかむために

必要な力が入っている。

 

足も、滑らないように

身体を支えている。

 

けれど、身体全体が

固まっているわけではない。

 

 

水の流れや岩の角度に合わせて、

必要なところに必要な力を使い、

それ以外のところは緩んでいる。

 

 

そこで感じていたのは、

 

怖さよりも、

身体がうまく働いている心地よさだった。

 

 

  リラックスは、力を抜くことではない

 

リラックスというと、

 

すべての力を抜き、

静かな場所でゆったり過ごすことを

思い浮かべるかもしれない。

 

 

けれど、

今回感じたリラックスは、

それとは少し違っていた。

 

身体には、

確かに力が入っている。

 

周りの状況も感じている。

 

少しでも不安定だと感じたら、

先へは進まない。

 

安全を確かめながら、

必要なときにはすぐ

反応できる状態にある。

 

それでも、

心と身体は静かだった。

 

 

 

リラックスとは、

ただ力を抜くことではなく、

必要のない力を使わないこと

なのかもしれない。

 

 

必要な場所に、

必要なだけの力を使える。

 

そして、

状況が変われば、

それに合わせて

力の入れ方も変えられる。

 

身体が自由に反応できる

余地が残っている。

 

僕は滝を登りながら、

そんな状態にいたのだと思う。

 

 

  登ったあと、むしろ身体は緩んでいた

 

登り終えたあと、

不思議と疲れは感じなかった。

 

むしろ、

身体は登る前よりも緩んでいた。

 

内側からエネルギーが

湧いてくるようで、

心も静かで穏やかだった。

 

確かに、

自然の中で滝を登ることには、

危険やリスクもある。

 

もし、

不安を感じながら

全身を固めていたら。

 

あるいは、

興奮して勢いに任せて

登っていたら。

 

もっと余計な力を使い、

登り終えたあとには

疲れていたかもしれない。

 

けれど今回は、

これから起きるかも

しれないことよりも、

 

今、手足や身体が

受け取っている情報に

意識が向いていた。

 

 

そのため身体は、

漠然と緊張するのではなく、

 

その瞬間に必要な力を

淡々と探し続けることが

できたのかもしれない。

 

安全で穏やかな場所だけが、

身体を緩めてくれるとは限らない。

 

こうした環境の中で

「今ここ」にい続けることで、

 

かえって心身が緩み、

感覚が研ぎ澄まされていく

こともある。

 

今回、

僕はそんなふうに感じた。

 

 

  身体を疲れさせるのは、動くことだけだろうか

 

このことは、

滝を登るような特別な体験に

限らないと思う。

 

 

歩いているとき。

 

仕事をしているとき。

 

掃除をしているとき。

 

赤ちゃんを抱いているとき。

 

身体を使って、何か作業をしているとき。

 

 

僕たちは、

やっていることそのものだけで

疲れているのだろうか。

 

 

「しんどい」

 

「重い」

 

「面倒くさい」

 

「早く終わらせたい」

 

「まだ、こんなに残っている」

 

 

そんなことを考えながら、

今は必要のないところまで

身体を固めていることもある。

 

もちろん、

仕事や家事の量が多ければ疲れる。

 

休んだほうがいいときもあるし、

環境そのものを変えたほうが

いいこともある。

 

だから、

意識の向け方を変えれば、

どれだけ働いても疲れない

という話ではない。

 

ただ、

同じことをしていても、

 

意識がどこにあるかによって、

身体の使い方や、その時間の体験は

変わるのではないだろうか。

 

 

  今、身体がしていることを感じてみる

 

「しんどい」「面倒くさい」

という思いを、

なくそうとしなくてもいい。

 

その気持ちがありながら、

少しだけ意識を広げてみる。

 

 

今、手は何に触れているだろう。

 

足は、どこで身体を支えているだろう。

 

身体のどこに力が入り、どこなら少し緩められるだろう。

 

どんな音が聞こえているだろう。

 

どんな温度や匂いがあるだろう。

 

腕の中にいる赤ちゃんの重さや温かさを、どこで感じているだろう。

 

 

頭の中にある「しんどさ」

だけではなく、

 

今、身体が

実際に体験していることへ

意識を向けてみる。

 

やることは、

何も変わらないかもしれない。

 

それでも、

身体は余計に力むことをやめ、

 

その瞬間に必要な

動きや力の使い方を

探し始めるかもしれない。

 

 

身体を疲れさせているのは、

やっていることの

大変さだけなのだろうか。

 

今、手足が何に触れ、

身体がどのように動いているのか。

 

そこに少し意識を向けたとき、

いつもの時間は、

どんなふうに変わるだろう。

 

 

 

 明日の身体探求メルマガでは、

 

滝を登っていたとき、

自分の中から

「滝」が消えていたという、

もう一つの気づきから、

 

「痛み」や「コリ」という

名前の向こう側にある、

身体の感覚や安定について

書きます。

 

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「猫背は身体に悪い」

 

「背筋は伸ばした方がいい」

 

そう思っている人は多いと思う。

 

 

だから、

ふと猫背になっていることに

気づいて、

慌てて背筋を伸ばす。

 

けれど、

数分後にはまた元に戻っている。

 

椅子の高さを変えたり、

骨盤を立ててみたり、

胸を張ってみたり。

 

いろいろ試しているうちに、

 

「結局、どれが良い姿勢なのかわからない」

 

となっていないだろうか。

 

 

僕自身も、

正しい姿勢を意識しすぎて、

常に身体を力ませていた時期がある。

 

背筋を伸ばそうと頑張るうちに、

必要以上に胸を張り、

気づけば腰まで反っていた。

 

「良い姿勢」のつもりが、

逆に身体を痛めていた。

 

実際にその頃は、

いつも肩こりや腰痛に悩んでいた。

 

 

  良い姿勢は、無理に作るものではない

 

 

もちろん、

人体の構造から見た

理想的な姿勢はある。

 

身体が無理なく支えられ、

一部に負担が偏らず、

楽に動ける姿勢。

 

ただ、

その理想的な姿勢が、

 

今のあなたにとって

最も楽な姿勢とは限らない。

 

 

身体に硬さや

長年の癖があれば、

まっすぐ立つことを

窮屈に感じることもある。

 

そんな状態で

無理に背筋を伸ばせば、

腰を反らせたり、

首や肩を力ませたりする。

 

良い姿勢を作ろうとして、

かえって身体を固めてしまうのだ。

 

だから僕は、

最初から理想の形を目指さない。

 

まずは、

 

「今の身体にとって、いちばん楽な姿勢はどれ?」

 

そこから始める。

 

 

  今の身体にとっての最善を探す

 

姿勢を見るとき、

僕が参考にしているものの一つに、

 

三軸修正法の「機能姿勢」という

考え方がある。

 

その時、その人にとって、

心身ともに最も機能しやすい

姿勢を探していく。

 

身体をわずかに

前後左右へ傾けたり、

少し捻ったりしてみる。

 

すると、

余計な力が抜ける場所が

見つかることがある。



 

足が安定する。

 

首や肩、腰が楽になる。

 

呼吸が深くなる。

 

人によっては、

気分まで少し楽になることもある。

 

 

けれど、

その姿勢を見てみると、

かなり猫背だったり、

身体が傾いたり、

大きく捻れていたりする

ことも多い。



すると、

クライアントから聞かれる。

 

「この姿勢にしていればいいんですか?」

 

もちろん、

そのままでよい

ということではない。

 

 

楽な姿勢が、

理想の姿勢とは限らない。

 

ただ、

今の身体はその姿勢を

楽だと感じている。

 

まずは、そのことに気づく。

 

今の身体を無視して、

無理に正しい形へ押し込めない。

 

今の身体を知ることが、

無理なく整えていく出発点になる。

 

 

  身体が整えば、楽な姿勢も変わる

 

身体の硬さや癖が変われば、

楽だと感じる姿勢も変わっていく。

 

施術前には、

身体を丸めたり傾けたり

した方が楽だった人が、

 

施術後には

自然と骨盤が立ち、

背筋が伸びた状態を

楽に感じることも多い。



 

そんなとき僕は、

 

「無理に姿勢を作ろうとしなくていいので、今、自然に背筋が伸びている感じを味わってみてください」

 

と伝えている。

 

理想の姿勢を

頑張って保とうとするよりも、

 

まず、今の身体にとっての

最善を感じてみる。

 

身体が整えば、

より理想的な姿勢を

自然に楽だと感じられるようになる。

 

 

良い姿勢は、

頭で決めた形に

身体を押し込めることではない。

 

身体が整った結果として、

自然に現れるものでもある。

 

まずは今の姿勢を直そうとせずに、

少し身体を感じてみてほしい。

 

 

どこかで頑張っていないだろうか。

 

呼吸は、楽にできているだろうか。

 

今の身体は、

どんな姿勢を楽だと感じているだろうか。

 

 

 

 

 明日の身体探求メルマガでは、

 

この「身体にとっての楽な姿勢」

について、

身近な例を交えながら、

もう少し掘り下げてみます。

 

「良い姿勢」の話は、

実はここからが面白い。

 

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最近は、ヨガやジム、

ピラティスなどに通って、

意識的に身体を

動かしている人が増えた。

 


街を歩いていても、

そうした施設を

以前よりよく見かける。

 


身体を動かすことが身近になり、

自分の健康へ意識を

向ける人が多くなったのは、

とても良いことだと思う。

 

 

整体に来られる方からも、

 

「週に一度、ヨガへ通っています」


「ジムで運動しています」

 

という話をよく聞く。

 

ただ、

詳しく一日の過ごし方を

聞いていると、

 

少し気になることもある。

 

 

週に1〜2回、

ヨガやジムで身体を動かす。

 

そこで安心して、

それ以外の時間の身体には、

意識が向かなくなって

いないだろうか。

 

ヨガへ行かない日は、

仕事で何時間も座ったまま。

 

 

朝に5分ストレッチをした後は、

8時間近くパソコンに向かっている。

 

帰宅してからも、

ソファに座って

スマホやテレビを見ている。

 

そんな過ごし方は、

決して珍しくない。

 

 

週に一度、

しっかり身体を動かす1時間。

 

それ以外の日常で、

ほとんど身体を

動かさずにいる何時間。

 

この二つを並べてみると、

身体に大きな影響を

与えているのは、

どちらだろう。

 

 

身体は、ヨガへ行った1時間や、

ストレッチをした5分間だけで

つくられているわけではない。

 

 

身体への影響は、

運動している時間だけでなく、

その後の過ごし方によっても

積み重なっていく。

 

 

  よく、この状態で仕事を続けていられるなと思う

 


クライアントの身体に触れながら、

仕事や日常の話を聞いていると、

時々思うことがある。

 

「よく、この状態で毎日仕事を続けていられるな」と。

 

腰も背中も固まっている。

 

肩が上がり、

呼吸も浅くなっている。

 

それでも本人にとっては、

いつもの状態だ。

 

つらくないわけではない。

 

ただ、

その身体で働くことに慣れすぎて、

それが「普通」になっている。

 

 

一日中パソコンに向かい、

何時間も身体を固めたまま

仕事をする。

 

それは現代の働き方としては、

すっかり普通になった。

 

でも、社会の中で

普通になったからといって、

身体にとっても自然だとは

限らない。

 

 

何時間も同じ姿勢のまま、

身体をほとんど動かさずに

働き続ける。

 

それは身体からすれば、

ちょっとした異常事態

なのかもしれない。

 

 

  僕は、映画もじっと見ていられない

 

僕自身は今、

長時間座りっぱなしで

作業することが

ほとんどない。

 

1〜2時間も座っていると、

身体の中に何かが

滞ってくるような感じがして、

自然に動きたくなる。

 

パソコン作業をしながら、

身体を揺らす。

 

床に座って、

ストレッチをしながら本を読む。

 

映画を見ながら、

何度も座り方を変える。



こうして書いてみると、

かなり落ち着きのない人であるニヤニヤ

 

映画くらい、普通に

じっと見ればいいとも思う(笑)

 

別に、これが

理想的な過ごし方だと

言いたいわけではない。

 

僕と同じようにする必要もない。

 

ただ、

身体が動きたがっているときに、

その感覚を無視しないでいたら、

いつの間にかこうなっていた。

 

今では

「身体のために動こう」

と頑張るよりも、

 

長時間じっとしている方が

窮屈に感じる。

 

 

  運動不足と、座りすぎは少し違う

 

運動不足が健康によくないことは、

多くの人が知っている。

 

一方で現在は、

運動しているかどうかだけでなく、

座って過ごす時間の長さも

健康上の問題として考えられている。

 

WHO(世界保健機関)のガイドライン⁠でも、

成人に対して、

座って過ごす時間を減らすことが

勧められている。

 

そして、

 

座っている時間を、

軽い動きを含む身体活動へ

置き換えることにも、

健康上のメリットがある

 

としている。

 

 

大切なのは、

いきなり本格的な運動を

増やすことだけではない。

 

まずは、

長時間じっとしている状態を

途切れさせること。

 

立ち上がる。

 

少し歩く。

 

伸びをする。

 

座ったまま身体を揺らす。

 

姿勢を変える。

 

一つひとつは、

運動と呼ぶほどのことではない。

 

でも身体にとっては、

こうした小さな動きにも

意味がある。

 

これは

デスクワークだけの話でもない。

 

スマホを見る。

 

映画を見る。

 

本を読む。

 

車や電車で移動する。

 

あるいは立ち仕事でも、

同じ姿勢のまま

身体を固めていることはある。

 

問題は、

座ることそのものではなく、

 

身体を長時間

同じ状態にしたまま、

そのことに気づかなくなる

ことだと思う。

 


 

  身体は、動かないことにも慣れてしまう

 

身体は、

同じ状態が続くと、

それにも少しずつ慣れていく。

 

腰や背中が固まっていても、

呼吸が浅くなっていても、

 

その状態のまま仕事を

続けられるようになる。

 

 

でも、

感じなくなったことと、

身体への負担がなくなったことは

同じではない。

 

動かない状態に慣れすぎることで、

本来なら身体が発しているはずの、

 

「そろそろ姿勢を変えたい」

 

「一度立ち上がりたい」

 

「少し伸びをしたい」

 

という感覚を、

拾えなくなってくる。

 

だから最初は、

意識的に動くところから

始めた方がいいかもしれない。

 

 

仕事が一区切りついたら立つ。

 

飲み物を取りに行く。

 

トイレへ行ったついでに、

伸びをする。

 

時間を忘れてしまうなら、

アラームを使う。

 

それを続けながら、

動いたときの身体にも

少し意識を向けてみる。

 

 

さっきまで、

どこが固まっていたのか。

 

立ち上がったら、

呼吸はどう変わったのか。

 

今、身体はどんなふうに

動きたがっているのか。

 

 

そうやって身体の感覚に気づき、

それに応じて動くことを

繰り返していると、

 

やがてアラームが鳴る前に、

身体の方から、

 

「そろそろ動きたい」

と教えてくれるように

なるかもしれない。

 

 

 

目指すのは、

身体のために、

いつも動き続けることではない。

 

静かにしていたいときには、

静かにしていられる。

 

そして、

身体が動きたがったときには、

素直に動ける。

 

今の身体が

どちらを求めているのかに、

気づけることが大切なのだと思う。

 

 

この記事を座って読んでいたなら、

読み終わったところで、

一度画面から意識を離してみてほしい。

 

 

伸びをしたいのか。

 

少し歩きたいのか。

 

身体を揺らしたいのか。

 

それとも、

今はまだ静かに座っていたいのか。

 

 

まずは、

今の身体に聞いてみる。

 

そこからでいいと思う。

 

 

 

 明日の身体探求メルマガでは、

 

「では、いつも身体を動かしている方がいいのか?」

 

という問いから、

 

静かに座っていることと、

身体を固めていることの違い

 

について、

もう少し掘り下げてみます。

 

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ここ最近、

毎週のように

身体について書いている。

 

 

身体の声について。

身体との付き合い方。

痛みや不調について。

身体が持っている可能性。

 

以前から

ブログは書いていたけれど、

最近は少し感覚が違う。

 

 

「何か発信しなきゃ」と

思って書いているというより、

 

自分の中で感じていることを、

言葉にしてみたくなった。

 

 

そして、

書くこと自体がすごく楽しい。

 

 

なぜ最近、

こんなに身体について

書きたくなったんだろう?

 

改めて考えてみた。

 

 

  身体について書くことに抵抗があった

 

整体師という仕事をしているので、

身体について伝えられることは

たくさんある。

 

腰痛や肩こりへの対処法。

身体の使い方。

セルフケア。

健康についての知識。

 

クライアントの悩みと

向き合いながら、

そういうことはずっと伝えてきた。

 

でも、

自分から発信するとなると、

どこか抵抗があった。

 

 

理由のひとつは、

 

「じゃあ、自分自身の身体はどうなの?」

 

ということだった。

 

 

自分自身も

身体の調子を崩すことがある。

 

痛みが出ることもある。

 

年齢とともに、

以前のようにはいかないと

感じることも増えてきた。

 

 

いろいろ試しているけれど、

いつも思いどおりになるわけではない。

 

 

そんな自分が、

 

「健康とはこういうものです」

「こうすれば身体は良くなります」

 

と、

わかったように発信することに

違和感があった。

 

自分のことを棚に上げて、

できている人のように話すのは

嫌だった。

 

 

でも最近になって、

 

「自分の身体は、本当にうまくいっていないのかな?」

 

と考えるようになった。

 

 

  「身体は変化する」と知っていたはずなのに

 

「身体は変化するもの」

 

「痛みがないことが正解ではない」

 

整体師として、

そんなことは十分わかっていた

つもりだった。

 

それなのに、

自分自身に対しては、

 

「健康でいたい」

「痛みのない身体でいたい」

「できるだけいい状態を維持したい」

 

という思いが強かった。

 

もちろん、

それ自体が悪いとは思っていない。

 

僕自身、

クライアントにも、

痛みから楽になってほしいし、

 

できれば同じ痛みを

繰り返さずに過ごしてほしいと

本気で思っている。

 

 

ただ、いつの間にか

自分自身に対して、

 

「痛みがなく、調子がいい身体が正しい」

 

という基準を持つように

なっていたのかもしれない。

 

 

だから、

ちょっとした痛みや違和感を

感じるたびに、

 

「またダメだ」

「まだうまくいっていない」

 

と感じていた。

 

完璧でないことがストレスだった。

 

 

  身体は、思いどおりにならない

どれだけ身体について学んでも、

どれだけセルフケアをしても、

 

身体はいつも思いどおりに

なるわけではない。

 

 

調子のいい日もあれば、

悪い日もある。

 

昨日は良かったことが、

今日は合わないこともある。

 

 

だったら、

 

ひとつの正解を

見つけようとすること自体に、

無理があるんじゃないか。

 

最近は、

そんなふうに思うようになった。

 

 

  だったら、探求していくしかない

痛みが出たとき、

 

「どうすれば早く治るんだろう?」

 

と考えるだけではなく、

 

「今、身体では何が起きているんだろう?」

 

と興味を持って見てみる。

 

 

動いてみる。

 

休んでみる。

 

いつもと違うことを試してみる。

 

そして、

その後の身体の反応を見る。

 

 

そんなふうに、

痛みや違和感を

 

「治さなければいけない問題」

ではなく、

「これは何なんだろう?」

と探求するようになってから、

 

不思議と不快感が減ることがあった。

 

症状そのものは、

それほど変わっていない。

 

それなのに、苦痛は減っていた。

 

 

「症状があること」と

「苦しいこと」は、

同じではないのかもしれない。

 

 

少なくとも僕の場合は、

 

「これは問題だ」

「あってはいけない」

 

と思うことが、

苦しさを大きくしていた部分も

あったように思う。

 

そう考えるようになると、

身体は少しずつ、

 

「治す対象」から

「もっと知りたい対象」

へ変わっていった。

 

もう、探求していくしかない。

 

ある意味、

諦めに近い感覚だった

かもしれない。

 

でも不思議なことに、

そう思えるようになってから、

 

身体と付き合うことが、

以前より面白くなってきた。

 

身体は変化している。

自分自身も変化している。

 

だったら、

 

昨日と今日で感じることが

違ってもいい。

 

「わかった」と思ったことを、

また疑ってもいい。

 

感じて、

試して、

また考える。

 

今は、

その繰り返し自体を

楽しめるようになってきた。

 

 

  このブログは、僕の「身体探求レポート」

 

だから最近は、

 

今の自分が身体について

感じていることを、

そのまま書いてみようと

思うようになった。

 

完成した答えを

伝えるためではない。

 

今試していること。

感じたこと。

気づいたこと。

まだよくわからないこと。

 

このブログやメルマガは、

僕自身の「身体探求レポート」

みたいなものなのかもしれない。

 

 

  正解を増やすより、自分の身体に問いかけてみる

 

今は、健康について調べれば、

いくらでも情報が出てくる。

 

何を食べればいい。

どんな運動をすればいい。

どういう姿勢が正しい。

 

もちろん、

そういう情報が役に立つことも

たくさんある。

 

でも、

正解を探すことに

夢中になるほど、

 

自分の身体が実際に

どう感じているのかを、

置き去りにしてしまうこともある。

 

だから、

僕の書いていることも、

「正しい答え」と思って

読んでほしくはない。

 

読んだことをきっかけに、

 

「じゃあ、自分の身体はどうだろう?」

 

と、少し身体に

意識を向けてもらえたら

それでいい。

 

身体を治すことも大切。

 

健康でいたいと思うことも

自然なこと。

 

 

でも、その先に、

身体を探求する

という付き合い方もある。

 

僕自身、

そんなふうに身体を

見るようになってから、

 

身体と付き合うことが

以前よりずっと面白くなってきた。

 

だから、

このブログやメルマガでも、

 

「こうすれば身体は良くなる」

ということだけではなく、

 

「身体って、こんなに面白い。」

 

そんなことも

伝えていきたいと思っている。

 

半年後には、

僕もまた違うことを

言っているかもしれない。

 

でも、それも含めて。

 

これからも、

その時々の身体と向き合いながら、

ここに「身体探求レポート」を

残していこうと思う。

 

 

 

 明日のメルマガでは、

 

「健康になろうとするほど、苦しくなっていた」

 

そんな僕自身の

身体との付き合い方について、

もう少し具体的に

書いてみようと思います。

 

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ここ数週間、

「身体の声を聞くこと」や、

「身体との関係」について

書いてきた。

 


その中で、

 

最近、

自分の中で育ってきた実感が、

改めて一つの言葉として

浮かんできた。

 

 

「身体には、まだ使い切れていない力がある」

 

今日は、

そのことを感じるきっかけになった

体験を書いてみたい。

 

 

 

  「俺なら大丈夫」と思っていた

2024年10月。

 

初めてWim Hofメソッドの

ワークショップに参加した。

 

最初に呼吸法を行い、

その後、

約0℃のアイスバスに

2分間入る。

 

正直、少し甘く見ていた。

 

銭湯の水風呂を、

少し冷たくしたくらいだろう。

 

我慢や根性には

少し自信もあった。

 

「たぶん自分が一番余裕だろう。」

 

そんな気持ちもあって、

真っ先に手を挙げた。

 

でも、

氷水の中に

試しに腕を入れた瞬間、

その自信は一気になくなった。

 

 

寒い。

 

……ではない。

 

痛い。

 

 

「この中に2分も入るの?」

 

その時初めて、

本気で不安になった。

 

 

  「まだ大丈夫。」

 

実際に入ってみると、

最初の10秒が一番きつかった。

 

手も足も痛い。

 

「これ、本当に大丈夫なのか。」

 

そんな考えばかり浮かんでくる。

 

 

インストラクターからは、

 

「深く呼吸して。」

「身体の感覚に集中して。」

 

と言われていた。

 

 

でも最初は、

呼吸どころではない。

 

「耐えなきゃ。」

 

そう思った瞬間、

身体はどんどん緊張し、

顎がガクガク震え始めた。

 

震えを止めようとすると、

もっと震える。

 

そこで、

耐えることをやめた。

 

呼吸をゆっくり整え、

冷たさをそのまま受け入れてみる。

 

すると、

不思議なくらい

身体が落ち着いてきた。

 

身体の中心、

心臓のあたりへ意識を向ける。

 

そこは、

この寒さの中でも、

しっかり温かく、

力強く脈を打っていた。

 

 

その瞬間、

身体がこう教えてくれているような気がした。

 


「まだ大丈夫。」

 

 


  身体が応えてくれた

 

そこから何度か、

 

「もう出たい。」

という気持ちと、

 

身体の中心へ意識を戻すことを

繰り返した。

 

でも後半は、

驚くほど落ち着いていた。

 


永遠のように感じていた2分が、

終わる頃には、

「もう少し入っていられるかも。」

と思えるほどだった。

 

 

アイスバスから出ると、

 

手足は冷たい。

 

身体も少しフラフラする。

 

でも、

身体の中心は温かい。

 

そして、

身体の奥から、

少しずつ熱が湧き上がってきた。

 

冷え切っていた手足も

ジワジワと体温を取り戻し始める。

 

まるで、

身体が自分を生かすために、

自ら熱を作り始めているようだった。

 

当たり前のことなのかもしれない。

 

でも、その反応を

こんなにはっきり感じたのは

初めてだった。

 

「自分の身体って、思っていたよりすごいんだ。」

 

そんな感動があった。

 

 

  身体を見る目が変わった

 

もちろん、

 

だから誰でもアイスバスを

やった方がいい、

 

という話ではない。

 

 

こうした強い刺激にはリスクもある。

 

適切な指導のもとで、

安全に行うことが大前提だ。

 

でも、

この体験をきっかけに、

僕の身体を見る目は変わった。

 

 

以前は、

「痛みや不調がない状態」

「元通りの問題のない身体」

になることを目指していた。

 

もちろん、

それは今でも大切だと思っている。

 

でも最近は、

それよりも、

 

まだ体験したことのない

身体の能力や感覚

に興味が向くようになった。

 

 

  身体との関係が変わると、毎日が変わる

 

あの日、

 

「もう一回アイスバスに入りたい。」

とは思わなかった。

 

正直、

しばらくは勘弁してほしい(笑)。

 

 

でも、

一つだけ強く思ったことがある。

 

もっと身体を知りたい。

 

もっと、

この身体にはどんな可能性が

あるのか体験してみたい。

 

 

その日から、

冷たいシャワーを浴びたり、

滝に打たれたり、

 

身体を探求する時間が

少しずつ増えていった。

 

 

身体が強くなったのか

体質が変わったのか

 

それはまだわからない。

 

 

でも、

一つだけ確かなことがある。

 

以前より、

自分の身体を信頼できるようになった。

 

だから、

小さな不調も、

回復していく過程も、

 

以前よりずっと

面白く感じるようになった。

 

 

整体師としても、

痛みや不調を改善することは

もちろん大切だ。

 

でも、その先で、

 

「自分の身体って、こんな力があったんだ。」

 

そんな新しい発見を、

クライアントさんと一緒に

味わえたら嬉しい。

 

 

身体には、

まだ使い切れていない力がある。

 

そう思うようになってから、

まだ体験したことのない身体の可能性に

毎日ワクワクしている。

 

 

明日のメルマガでは、

「身体が求めているのは、癒しだけだろうか?」

という問いから、

今回の続きを書いてみたい。

 

痛みや不調の改善、その先にある
身体の面白さについて。

 

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\次回のワークショップは10/4/

(早割申し込みは9/20まで)

 

 

僕は、身体を「道具」だと思っていた。

 

前回、

身体は答えではなく、

情報を届けてくれている。

 

そんなことを書いた。

 

その続きを考えていたら、

あることに気づいた。

 

 

  身体は「道具」だった

image

理想の自分に

なるための道具。

 

仕事で結果を

出すための道具。

 

もっと強く、

もっと頑張れる自分に

なるための道具。

 

だから、

思い通りにならない

身体が嫌だった。

 

中学生の頃には

腰痛が当たり前になり、

 

20代は営業の仕事で

毎日数字に追われ、

 

身体はいつも

悲鳴を上げていた。

 

 

首や腰が痛くなれば

強揉みのマッサージへ行き、

 

「もっと強く揉んでください」

とお願いする。

 

痛みを我慢しながら揉んでもらうと、

「やってもらった」

という満足感はある。

 

 

でも今思えば、

身体を大切にしていたというより、

さらに酷使していただけ

だったのかもしれない。

 

 

34歳で整体師になってからも、

目的は同じだった。

 

クライアントを楽にしたい。

 

満足してもらいたい。

 

そして、

自分自身の身体も

どうにかしたかった。

 

運動や食事、

治療法など、

本当にいろいろ試した。

 

効果は感じる。

 

でも効果があると、

また頑張りすぎる。

 

その繰り返しだった。

 

40代後半になると、

身体は以前のようには

動いてくれなくなった。

 

 

回復は遅くなり、

少し無理をすると

 

昔痛めた腰や首、肩

や膝が痛み出す。

 

ようやく、

「身体は思い通りにならない」

という現実を受け入れ始めた。

 

 

  本当に変わったのは、身体ではなかった

でも、

本当に変わったのは

そこではなかった。

 

 

整体を続け、

自分の身体とも

向き合い続ける中で、

 

少しずつ目的が変わっていった。

 

 

瞑想にも出会い、

「感じること」の豊かさを

身体で実感するようになった。

 

 

身体は、

動くためだけのものじゃない。

 

呼吸が気持ちいい。

 

風が心地いい。

 

誰かと一緒にいて安心する。

 

自然の中で静かに座っているだけで満たされる。

 

 

そんな目には見えない豊かさも、

すべて身体を通して感じている。

 

 

昔の僕にとって身体は、

行動するための道具だった。

 

でも今は違う。

 

身体は、

人生を感じるための器。

 

最近は、

そんなふうに感じるように

なってきた。

 

 

心地よさ。

 

違和感。

 

安心。

 

緊張。

 

感動。

 

誰かと笑い合う時間。

 

自然の中で風を感じる瞬間。

 

 

そのどれもが、

身体を通してしか味わえない。

 

 

  「何ができるか」から「何を感じられるか」へ

 

今でも、

成果を出したいと思う。

 

無理をしてでも

頑張りたい日もある。

 

もっと鍛えて

強い身体になりたいとも思う。

 

身体が壊れるくらい努力して

結果を出す人を、

どこかで「かっこいい」と

感じている自分もいる。

 

 

そんな自分は、

今もちゃんといる。

 

でも以前とは少し違う。

 

 

身体を通して感じる、

小さな心地よさや

安心感、感動。

 

そういう

目に見えない豊かさにも、

ちゃんと価値を

感じられるようになった。

 

 

そして、

その時間が少しずつ増えている。

 

image

 

「何ができるか」は、

いつか限界にぶつかる。

 

でも、

 

「何を感じられるか」は、

いくつになっても育てていける。

 

 

価値観の軸を

「何ができるか」から

「何を感じられるか」へ

少し移してみると、

 

同じ毎日でも、

人生はずっと豊かに

感じられるようになった。

 

 

だから今の僕は、

 

身体を変えようとすることよりも、

身体との関係を育てることの方が、

自分の人生を豊かにしてくれていると

感じている。

 

 

  身体との関係を育てる

 

整体の仕事をしていると、

そのことを何度も実感する。

 

もちろん、

痛みが楽になることは嬉しい。

 

でも、

それ以上に嬉しいのは、

 

その人自身が

自分の身体との付き合い方を

少しずつ変え始めること。

 

 

姿勢や呼吸、

働き方や休み方。

 

身体から届く

小さな情報を受け取り、

 

自分で選び、

自分で調整していく。

 

 

そんな関係が育ち始めると、

身体だけではなく、

 

その人の毎日も

少しずつ変わっていく。

 

 

だから僕は、施術でも、

身体を変えること以上に、

身体との関係を育てることを

大切にしている。

 

 

もし、

身体との関わり方を

少し変えてみたら、

 

あなたの毎日は、

どんなふうに変わるでしょう。

 

 

 

あとがき

 

今回の記事では、

「身体との関係」

というテーマについて、

 

自分自身の体験を振り返りながら

書いてみました。

 

明日の身体探求メルマガでは、

この続きをもう少し日常の視点から

深めてみようと思います。

 

身体との関係は、

特別な整体や

ワークショップの時間だけで

育つものではありません。

 

毎日の小さな選択の積み重ねが、

その関係を少しずつ育てていきます。

 

そんなお話を書いてみようと思います。

 

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前回のブログでは、

 

タントラトレーニング中に、

身体の小さなサインを

感じながら休むことで、

 

大きく体調を崩さずに済んだ

という話を書いた。

 

▼前回の記事はこちら

 

 

この記事を書いた後で、

一つ、見落としやすいことが

あると感じた。

 

 

「身体の声を聞きましょう。」

 

そう伝えることは多いけれど、

 

そもそも、

その声は本当に

身体の声なんだろうか。

 

今日は、

そんなことを考えてみたい。

 

 

  身体の声だと思っていたもの

 

ここでいう

 

「身体の声」と

「マインドの声」は、

 

どちらも自分の中から

生まれてくるもの。

 

 

だからこそ、

意外と区別が難しい。

 

 

僕自身、

その違いをはっきり

感じるようになったのは、

 

ダイナミック瞑想を

続ける中でだった。

 

 

ダイナミック瞑想は、

もう200回以上は

実践してきたと思う。

 

その中で、

何度も繰り返し

体験してきたことがある。

 

 

  「もう飛べない」の正体

 

ダイナミック瞑想の

第3ステージでは、

 

両手を上げたまま、

15分間ジャンプを続ける。

 

しばらくすると、

 

「もう飛べない。」

「脚が痛い。」

 

そんな声が聞こえてくる。

 

でも、

その声にすぐ従うのではなく、

 

 

足が床を踏む感覚

呼吸

身体そのものに

意識を向けてみる。

 

すると、

不思議なことに、

 

まだ飛べる。

 

 

むしろ、

身体は気持ちよく動いている。

 

 

ところが、

 

「あと何分あるんだろう。」

「もう限界だ。」

 

そんな思考が戻った瞬間、

 

急に脚が重くなり、

痛みも戻ってくる。

 

そして、

また身体に意識を戻すと、

自然と身体が動き始める。

 

そんなことを、

15分の間に何度も繰り返している。

 

 

ダイナミック瞑想というのは、

呼吸や激しい動き、

ジャンプ、静止などを組み合わせた

約1時間のアクティブな瞑想法。

 

 

僕にとっては、

身体とマインドを観察する

実験室のような時間になっている。

 

 

  マインドの声

このとき僕が

「マインド」と呼んでいるのは、

 

「もう無理」

「やめたい」

「まだできる」

 

そんなふうに、

頭の中で判断や解釈を

している働きのことだ。

 

もちろん、

マインドは悪いものではない。

 

危険を避けたり、

考えたり、

計画を立てたりするために、

私たちには欠かせない存在だ。

 

大切なのは、

身体とマインドのどちらかを

否定することではない。

 

今、自分の中で、

どちらの声を聞いているのかに

気づくこと。

 

ただ、

マインドの声を身体の声だと

思ってしまうことは、

意外と多い。

 

 

  日常でも同じことが起きている

 

これは、

ダイナミック瞑想の中だけで

起きることではない。

 

朝、起きたとき

 

仕事をしているとき

 

運動をしているとき

 

 

「今日は休みたい」

 

「もう無理」

 

「まだ頑張れる」

 

そんな声が

聞こえてくることがある。

 

 

そのとき、

 

それは本当に

身体からのメッセージなのか。

 

それとも、

マインドがそう言っているのか。

 

 

少し立ち止まって

観察してみるだけで、

 

見えてくるものが

変わるかもしれない。

image

 

  身体の声を聞き分けるために

 

ダイナミック瞑想をやる時は、

毎回、全力でやろうと

決意して臨む。

 

 

でも、

 

「100%やり切れた」

 

そう感じたことは、

一度もない。

 

 

それでも、

ごく短い時間だけ、

 

マインドが静かになり、

身体が自然に動いていると

感じる瞬間はある。

 

だから今も、

毎回、観察を続けている。

 

「身体の声」を聞くためには、

「身体の声ではないもの」

 に気づくことも、

 

 同じくらい

 大切なのかもしれない。

 

 

今日のあなたの身体は、

どんな声を届けてくれて

いるだろうか。


 

 

明日の身体探求メルマガでは

 

今回のブログを読んで、

 

「じゃあ、実際にはどうやって身体の声を感じればいいの?」

 

そう思った方もいるかもしれない。

 

明日の身体探求メルマガでは、

日常の中でできる、

とてもシンプルな「身体との対話」の

ヒントをお届けします。

 

興味のある方は、

ぜひご登録の上、

読んでみてください。

 

 

 

 

7月にスタッフとして参加した

タントラトレーニング合宿中に、

 

自分の中で起きていた、

少し地味だけど

面白い体験の話。

 

 

合宿の前半から、

 

頭が重い。

少しお腹がゆるい。

鼻の奥が痛い。

唇が荒れている。

 

そんな小さな不調が

出はじめた。

 

このくらいの反応は

よくあること。

 

 

これまでだったら、

 

「これくらいなら大丈夫。」

 

と、そのまま

動き続けていたと思う。

 

 

でも今回は、

自分のパターンを

少しだけ変えてみた。

 

 

身体の反応を見ながら、

 

30分ほど休む。

 

水を飲む。

 

食事を少し調整する。

 

そしてまた身体の様子を見る。

 

 

そんなやり取りを

丁寧にしてみた。

 

そしたら、

 

体調は大きく崩れることなく、

合宿を終えることができて、

 

帰宅後も、

スムーズに日常のペースを

取り戻すことができた。

 

むしろ、

いつもよりも思考や感覚がクリアで、

気分も良い。

 

とても地味な体験なんだけど、

自分にとっては

大きな気づきだった。

 

 

  健康と病気は、0か100ではない

image

 

僕たちは、

 

健康か

病気か

 

つい、そんなふうに

考えてしまいがち。

 

 

でも実際の身体は、

そんなにはっきり

分かれているわけではない。

 

 

疲れを回復しようとしたり。

 

暑さに順応したり。

 

食べたものを消化したり。

 

眠って修復したり。

 

 

身体は今この瞬間も、

休むことなく調整を続けている。

 

 

その流れの中にある

一つの状態を切り取って、

 

健康とか病気とか、

ラベルをつけようとするのは、

 

ちょっと雑すぎるのかもしれない。

 

 

  頭で理解したことを、身体で知った

 

 

今から10年ほど前、

 

野口晴哉の

『風邪の効用』という本を読んだ。

 

そこには、

 

風邪は悪いものではなく、

身体が回復しようとする働きでもある。

 

そんなことが書かれていた。

 

読んだ時は、

「なるほど。」と感動した。

 

でも、

 

自分の身体との付き合い方は、

まだ何も変わっていなかった。

 

 

その後、

 

実際に風邪を引いた時に

自分の身体を丁寧に観察しながら

過ごしてみた。

 

すると、

 

「ああ、本当に身体は回復しようとしていたんだ。」

 

と、不思議なくらい

自然に腑に落ちた瞬間があった。

 

 

頭で理解したことが、

初めて身体の感覚として

つながった瞬間。

 

 

その時から、

 

「本当はこれが身体にとって当たり前なんだ。」

 

という確信に変わった。

 

 

  身体は毎日、小さな調整を繰り返している

 

 

合宿が終わった後もしばらくは、

身体の疲れはまだ残っていた。

 

でも不思議なことに、

波はありながらも身体は軽く、

 

施術にも集中できて、

頭もクリア。

 

 

むしろ、

いわゆる「絶好調」の時よりも、

身体の感覚は繊細だった。

 

自分の身体が今

何を求めているのか。

 

クライアントの身体が今

何を必要としているのか。

 

そんな小さな変化が、

以前よりも鮮明に感じられる。

 

 

身体は、

ただ元気になることだけを

目指しているわけではなく、

 

その時々に合わせて、

絶えず調整を続けている。

 

そんなことを改めて感じている。

 

 

  身体の知性に耳を澄ませる

 

 

今この瞬間、

身体はどんなサインを送っているかな?

 

そうやって身体と付き合っていると、

 

「健康」と「病気」の間にも、

実はたくさんの身体の声がある

ことに気づく。

 

身体の知性を取り戻すとは、

そんな声に耳を澄ませること

なのかもしれない。

 

 

明日のメルマガでは

 

 

今回のブログでは、

 

「身体は今この瞬間も調整を続けている」

 

という視点について書いてみた。

 

 

明日配信の身体探求メルマガでは、

 

「身体のサインを受け取る感覚は、どうすれば育っていくのか。」

 

について、

もう少し日常に落とし込んで

書いてみようと思う。

 

ブログでは書ききれなかった話も

お届けしますので、

楽しみにしていてください。

 

 



 前回のブログでは、

 

「当たり前は、自分ではなかなか気づけない」

 

という話を書いた。


 ▼前回の記事はこちら


 

自分では普通だと思っている

姿勢や身体の使い方が、

実は身体に負担を

かけていることは少なくない。

 


最近、

自分自身の身体の変化や、

長く通ってくれている

クライアントの変化を見ながら、

 

改めて大事だと

感じていることがある。

 

 

それは、

 

新しい当たり前は、

「頑張って変える」ものじゃなく、

「育てていく」ものなんじゃないか

 

ということ。

 

今日は、今のところ僕が大切にしている視点を書いてみたい。

 

 

  良い状態を、丁寧に感じてみる

 

整体施術のあと、

 

「姿勢が楽です。」

「呼吸がしやすい。」

「歩きやすい。」

 

そんな感想を

いただくことがある。


でも、

本当に大事なのは、

その場だけで終わらせないこと。

 

 

「今の身体って、どんな感じだろう。」

 

そんなふうに、

今の感覚を味わってみる。

 


そして、

 

その日の夜はどうだったか。

 

翌朝はどうだったか。

 

翌日、一週間後には

どうなっているか。

 

まだ心地よさが残っているのか。

 

それとも、

いつもの感覚に戻っているのか。

 

 

そんなふうに

身体の変化を観察していると、

自分の身体への理解は

少しずつ深まっていく。

 

施術だけで身体が

根本的に変わるわけじゃない。

 

その後の過ごし方も含めて、

身体は変わっていく。

 

僕はそこを

とても大切にしている。

 

 

  身体と会話する時間をつくる



だからこそ、

毎日5分でもいい。

 

身体を感じる時間を

作ってみてほしい。

 


ストレッチでもいい。

 

呼吸でもいい。

 

身体にそっと触れる

だけでもいい。

 


目的は、

「整えること」じゃない。

 

 

「今日の身体はどう?」

 

そうやって身体に

問いかける時間を持つこと。

 

続けていると、

小さな変化にも

気づけるようになってくる。

 

 

  環境や仕組みに頼る

 

人って、

「頑張ろう」と思ったことほど

続かなかったりする。

 

意志の力だけで

変わり続けられるほど

強くない。

 

だから僕は、

環境や仕組みに頼ることを

大切にしている。

 


例えば、

 

・椅子や机の高さを変えてみる。

 

・立って仕事をしてみる。

 

・仕事の合間に歩く時間を作る。

 

・散歩を日課にする。

 

身体を変えようと

頑張るよりも、

 

身体が変わりやすい

環境を作る。

 

 

その方が、

自然に続いていく。

 

 

  新しい基準に触れてみる

 

自分では普通だと

思っていることでも、

 

もっと楽な身体の使い方や、

もっと自然な感覚が

あることも多い。

 

そんな時は、

一人で頑張るよりも、

 

施術を受けたり、

信頼できる人に

身体を見てもらったりする。

 

 

「こんな感覚もあるんだ。」

 

その体験が、

新しい当たり前の種になる

ことがある。

 


 

  新しい当たり前は、育てていくもの

 

最近思うのは、

 

身体は「変える」より、

「育てる」という感覚の方が

しっくりくる

 

ということ。

 

 

だから

僕が大切にしているのは、

 

どれだけ効果があるか。

 

よりも、

 

いかに頑張らずに続けられるか。

 

という視点。

 

新しい当たり前は、

頑張って作るものじゃない。

 

身体と付き合いながら、

少しずつ育てていくもの

なんだと思う。

 


下差し

 

明日の

身体探求メルマガでは、

 

「なぜ身体は元に戻ろうとするのか?」

 

そんなことを、

もう少し掘り下げて

書いてみようと思う。