マインドフルネス整体

マインドフルネス整体

\\たった一呼吸!肩こり、腰痛、ストレスが溶け始める //
 原始感覚を呼び起こして慢性症状を根本から取り除く時短整体メソッド



インドに行って、
7日間、アーユルベーダの
トリートメントを受けてきた。

毎日オイルを塗られて、
マッサージを受けて、
食事も生活リズムも、
かなり体質を意識した内容。

正直に言うと、
体調を崩したり、下痢をしたり、
楽しいことばかりではなかった。

でも、
崩れて、回復して、
その過程で身体に何が起きているのかを
ゆっくり観察するには、
すごくいい時間だったと思う。

その中で、
あらためて考えたことがある。

アーユルベーダで体質を分類したり、
自分が本来どういう体質なのかを知って、
それに合った生活や食事、対処法を選ぶ。

これはやっぱり、役に立つし、
知っていると面白い。

実際、
ドーシャの話を聞いて
「なるほどな」と思うことも多かった。

一方で、
こんな感覚もあった。

本当は、
体質なんて知らなくても、
自分の感覚にちゃんと敏感でいられたら、
自然と体質に合った選択を
してしまうんじゃないか、
という感覚。


自分自身、
ドーシャでいうと
ヴァータ×ピッタだと言われている。

その性質を調べてみると、
たしかに当てはまることも多い。

でも同時に、
「あれ、これってもう、
 感覚的にやってきたことだな」
とも思った。

刺激が強すぎると疲れる。
動きすぎると不安定になる。
温めると落ち着く。
一人で静かに過ごす時間が必要。

理由やメカニズムはわからなくても、
なんとなく、身体ではわかっていた気がする。

そして、
その感覚を無視したときは、
だいたい、あとからバランスを崩している。

理論を知らなくても、
身体はずっと
「そっちはやめといた方がいいよ」
「今は、こっちだよ」
と、教えてくれていたんだと思う。

もちろん、
体質を知ることや、
理論を学ぶことが
意味がないとは思っていない。

むしろ、
迷ったときのヒントになるし、
自分を理解する助けにもなる。

実際、
今回のトリートメントで体質を知ったことで、
自分の感覚と、
身体に起きていることの理解は、
たしかに深まった。

ただ、
それを「正解」にしてしまうと、
感覚を感じる前に、
答えが決まってしまうことがある。

一時的に、
体質的には合わなそうなことを
身体が欲しがって、
それが結果的に
回復や改善の助けになることもある。

だから、
「私は○○体質だから」
「これは体質的に合わないから」
と頭で決める前に、

今、
身体はどう感じているんだろう?
と、立ち止まってみたい。

まず、感覚。
そのあとに、理論。

今の自分には、
その順番がしっくりきている。

頭では知らなくても、
身体はちゃんと、
自分に必要なことを
やりたがっている。

その感覚を信じてみて、
もし迷ったら、
体質や理論を
「ズレに気づくための鏡」として使う。

そんな距離感が、
今はちょうどいい。

感覚は主観だし、
思い込みもあるし、
ズレることもある。

でも、
ズレに気づいて、
また調整していく。

そのプロセスを
面白がれたら、それでいい。

健康になることや、
不調を改善することは、
きっかけにすぎない。

本当に味わいたいのは、
その途中にある、
一瞬一瞬の感覚や変化。

体質を調べて
自分を理解しようとする前に、
まずは、
今の自分の身体が
何を感じているか。

その感覚を大事にする。
揺れていたとしても、
その揺れごと味わってみる。

そんなところから
始めてみても、いいんじゃないかな。



 

「健康的ですね」

と言われることがある。

 

整体師という仕事柄、

そう見えるのかもしれない。

 

確かに、

身体的な健康度は高めだと思う。

 

でも、それを

“正解”と呼ぶ気にはなれない。

 

 

  「健康の正解」を探すほど苦しくなる

世の中には
数えきれないほどの健康法がある。

 

マクロビ、ファスティング、

糖質制限、温活、デトックス…。

 

どれも「これが正しい」

と語られることがあるけど、

 

それを実践した結果、

逆に不調を招く人も少なくない。

 

 

健康を追い求め、

病気になってしまう。

 

“正しさ”のために、

自分の自然な感覚を

置き去りにしてしまう。

 

そうなると、

何のための健康なのか、

わからなくなってしまう。

 

 

  僕自身も完璧ではない

image

整体師という肩書きのせいか、

人からは「健康的」だとか

「バランスが取れている」

などと言われることが多い。

 

けれど、視点を変えれば、

僕の身体だって問題だらけ

課題だらけだと言える。

 

姿勢のクセ、

疲れやすい臓器、

感情の揺れ。

 

どれも“調整中”であり、

“未完成”だ。

 

 

健康とは、

「完成された状態」ではなく、

日々変化する「プロセス」。

 

 

  常識は、いつでも覆る

これまでも、

新しいことに出会ったり、

知らない世界に身を置くことで、

 

自分の中の“当たり前”が

何度も覆ってきた。

 

きっと、

これからも覆り続けると思う

 

そうやって世界が広がるたび、

身体の感じ方も、生き方の感覚も

少しずつ変わっていく。

 

だからこそ、

「自分はこういう体質だから」

「これが合っている」

と決めつけてしまうのは、

もったいないと思う。

 

 

  「答え合わせ」ではなく「探求」

 

健康法を“答え合わせ”

のように捉えると、

 

「これで合っているのか?」

「間違っていないか?」

と不安になってしまう。

 

でも、健康って

もっと自由で、創造的で、

変化に開かれた営みでも

いいんじゃないかな。

 

少なくとも、

僕にとってはそう。

 

昨日の自分と今日の自分は違う。

 

季節も、気分も、

体の声も変わっていく。

 

だから、正解を決めずに、

“いま”の身体を観察し、

反応を味わい、変化を楽しむ。

 

それが、僕にとっての健康。

 

 

「生命の流れを感じながら、日々を十分に味わって生きられること」

 

強さでも、完璧さでもない。

 

痛みも、疲れも、迷いも、

すべてを観察し、受け入れ、

そこから学ぶことができる状態。

 

健康とは、

正解を求めることではなく、

身体という未知を探求すること。

 

そして、

その探求は一生終わらない。

 

だからこそ、面白い。

 

 

 

 

お知らせ

 

12月7日(土)

今年最後のワークショップを開催します。

 

正しいやり方を学ぶ場ではなく、

それぞれが自分の身体を

探求することが中心です。

 

呼吸、感覚、静けさを通して、

身体の声に耳を傾ける。

 

そこに、まだ知らない“あなた”が

眠っているはず。

 

>>詳細はこちら

 

 

↑ハワイのカウアイ島でのY字!

 

約2ヶ月ぶりのブログ投稿。

 

気付きや学びが多い2ヶ月だったけど、目まぐるし過ぎて言語化している暇もなかった爆笑

 

ようやく、その一部を書いてみた。

 

  逃げるよりも,休むよりも、「巡らせて流れに乗る」

 

 

 この夏から秋にかけて、イタリアでのタントラトレーニング、ハワイでの滞在、そして国内でのリトリートと、立て続けに濃い体験が続いた。

 

 

スケジュールだけを見れば「無理があるかな?」とも思った。

 

でも不思議なことに、結果としてはすべてが自然につながり、巡り、今の自分に必要な感覚へと導かれていった。

 

 

  イタリアで気づいた「流れに乗る」感覚

 

イタリアでの8日間にわたるトレーニングは、毎朝のダイナミック瞑想から始まり、連日ハード。

 

寒暖差の激しさもあってか、参加者の多くが風邪をひいたり体調を崩していたが、

 

不思議なことに自分は最後まで大きく崩れることなく、揺らぎながらも過ごし続けられた。

 

むしろ、動き続けることでエネルギーが巡り、免疫が働き、体調の維持と回復が同時に起きているような感覚があった。

 

 

トレーニングの中では、体を動かし続ける時間が多かった。

 

筋力で頑張ろうとするとすぐに消耗する。

image

 

けれど、

呼吸やエネルギーの流れに意識を合わせると、体が自然に動き出す。

 

しかも心地よく、疲れにくい。

 

力んでいたときよりも速く、多く、体が勝手に動き出す感覚さえあった。

 

「頑張って動く」から「流れに乗って動く」へ。

 

その切り替えができたとき、体も心も無理なく開いていった。

 

外側で動くと消耗するが、内側から動くとエネルギーが増す

そんな感じがした。

 

 

 

さらに、

トレーニング中は、周囲の雰囲気や他の参加者との関わりも簡単ではなかった。

 

合わない空気にストレスを感じる場面も多かった。

 

今までなら、無理に合わせるか、距離を置くか、そのどちらかを選んでいたと思う。

 

今回は「逃げない、飲み込まれない」を選んだ。

 

自分の内に意識を戻し、自分の感覚に繊細であり続ける。

 

そうしているうちに、状況に飲み込まれることなく、むしろその中で心地よさを保てるようになった。

 

無理に耐えることでも、外に流されることでもない。

 

繊細でいることで、違和感さえもノイズではなく「流れ」として感じられる。

 

ジャングルの中で道なき道を野生動物が素早く駆け抜ける時ってこんな感覚?──そんな想像をした。

 

 

 

 

  ハワイで体感した「巡らせる力」

 

翌月に訪れたのがハワイのカウアイ島。

 

「ガーデン・アイランド」と呼ばれるほど森が深く、山のエネルギーが強い島。

 

滞在した1週間も体調は揺らいでいた。

 

時差ぼけが続き、喉に違和感があり、軽い眩暈や関節の痛みもあった。

 

「これは寝込んでもおかしくない」と思うほどだった。

 

 

裸足で山を登ったときのこと。

 

普段から日本でも裸足登山をしているので慣れているはずだったが、最初から「きつい」と感じた。

 

そこで意識を切り替えた。

 

脚の筋肉で登るのではなく、丹田を前に進める感覚にフォーカスする。

 

すると体は自然に進み、余計な力が抜けて、リラックスしながら歩けた。

 

体調が揺らいでいたからこそ、この「巡らせる歩き方」の大切さを深く実感できた。

力で押さなくても、巡らせれば自然に動ける。

 

 

そして、

ハワイといったらやっぱり

 

宿のすぐそばにビーチがあり、朝起きたらすぐに海に飛び込める。

 

車を走らせれば、10分おきに新しいビーチが現れる。

毎日、歯を磨くくらいの気軽さで海に入った。

 

 

体調が揺らいでいたはずなのに、海に浸かると呼吸が深まり、頭が澄み、力が戻ってくる。

滞っていたものが流れ、新しいエネルギーが巡り始める。

 

滝もよかった!

 

 

帰国してすぐに、整体の予約がびっしり入っていたが、集中力が高まり、むしろ施術の質が深まった感覚があった。

 

自然に抱かれる時間が、そのまま自分を巡らせていたんじゃないかな。

 

 

  繊細さがすべてをつなぐ

 

イタリアでもハワイでも、体調が揺らぎ、環境も決して楽ではなかった。

 

それでも崩れずに過ごし、楽しめたのは、繊細さを保ち続けられたからだと思う。

 

繊細さを失えば、頑張ることや力むことに戻ってしまう。

 

けれど繊細さを守り続ければ、体は自然に巡り、流れに乗ることができる。

 

 

繊細さがあるからこそ、動きは激しくても無理がない。

 

繊細さがあるからこそ、不調や違和感も流れに変わっていく。

 

  流れに導かれて

 

イタリア、ハワイ、そして日本でのリトリート。

 

振り返れば、一見無理に見えるスケジュールも自然につながり、一連の流れの中にあった。

 

無理をして押し通したのではなく、気づけばそうなっていた。

 

 

その流れの中で、繊細さを保ち、巡らせ、流れに乗ることを繰り返し体験した。

 

これからも、揺らぎながら楽しみ、流れに飲まれず流れに乗る。

 

そんなふうに生きていくことにワクワクしている。

 

お知らせ

次回のマインドフルネス整体特別編では、

小石川植物園での裸足ウォークと、和室での整体ワークを予定している。

 

外の自然と内の感覚をつなぎ、滞らせない身体を体験してほしい。

👉 詳細はこちら

 

 

 

 

マインドフルネス整体の

ワークショップでは、

 

実際に体を動かしていく前に、

微細な身体感覚に

意識を向ける準備として

 

3〜5分ほど、

短い瞑想の時間をとることがある。

 

その瞑想のあと、

どうだったかを聞いてみると、

 

「雑念がわいて集中できなかった」

「何度も意識が逸れてしまった」

 

という声が多い。

 

でもその一方で、

 

「何も考えずにいられて、

すごく気持ちよかった」

 

「あっという間だった。

時間が経つのが早かった」

 

という人もいる。

 

どちらも、

その人にとっての“今”を

表しているわけで、

 

どちらが正解・不正解

という話ではない。

 

 

ただ、実はその中には、

マインドフルネスとはちょっと違う

状態も含まれていることがある。

 

その場ではあえて

説明してなかったけど、、

 

今日はその“違い”について、

解説してみようと思う。

 

 

  何も考えずにいられた  =マインドフルネス?

 

 

「無になっていた」

「気づいたら時間が終わっていた」

 

こういう体験は、

たしかに気持ちがよくて、

スッキリすることもある。

 

でも、

マインドフルネスという

視点で見たとき、

 

それは

“今ここに気づいている”状態とは

少し違うかもしれない。

 

 

──メルマガの続きはここから──

 

 

それは

「ぼーっとしていた」状態。

 

意識は空間に漂い、

思考も注意もあいまいになっている。

 

ボーッとしている時、脳の中では、

デフォルトモードネットワーク(DMN)

という回路が働き始める。

 

DMNは、

過去や未来、自己への思考、

空想などに関係している。

 

だから、瞑想中に

「無意識で心地よかった」場合、

 

実は“今”から意識が離れていた

という可能性もある。

 

  マインドフルネスは「気づいて戻る」の繰り返し

 

マインドフルネスは、

何も考えない状態ではない。

 

「今ここで起こっていることに

 気づいている」 こと。

 

たとえば、

呼吸の感覚、体の重さ、

音の響き、内側の変化。

 

そこに静かに

意識を向けている時間。

 

途中で雑念が湧いても大丈夫。

 

それに気づいて、

呼吸や感覚に戻ってこれたなら、

それだけで立派な実践になる。

 

実は、

「雑念が何度も湧いた」

という人の方が、

 

何度も“気づいて戻る”を

繰り返していて、

 

深いマインドフルネスを

体験していることもある。

 

 

  ぼーっとする時間も、大切なもの

 

とはいえ、

「ぼーっとしてしまった=ダメだった」

というわけではない。

 

人間の脳にとって、

何も考えずにただ漂うような時間は、

必要な休息でもある。

 

意識が広がり、

ひらめきや創造性が生まれやすいのも、

この“ぼーっと”した状態の

中だったりする。

 

だから、

「ぼーっとする」ことも

「マインドフルでいる」ことも、

どちらも人には必要な時間。

 

ただ、

その違いを知っていると、

瞑想やセルフケアの質が

変わってくる。

 

 

  直観にも違いがある

 

ちなみに、「直観」も

状態によって質が違うみたい。

 

【ぼーっとしているとき 】

 → ふっと浮かんでくる

  アイデアやひらめき

 

【マインドフルなとき 】

 → 身体感覚からの違和感や

  静かなYES/NOに気づく力

 

マインドフルネス整体が

大切にしているのは、

後者の方。

 

「なんか違う」

「こっちかもしれない」

といった感覚に気づくことで、

 

自分の内側から“整う”力が

目を覚ましていく。

 

 

  終わったあとに、自分に問いかけてみる

 

瞑想が終わったあと、

ちょっとだけ自分に聞いてみてほしい。

 

「呼吸や身体の感覚に

 意識を向けていたかな?」

 

「雑念に気づいて、

 戻ってこれたかな?」

 

「自分の中で何が起きていたか、

 少しでも覚えているかな?」

 

その問いかけは、日々の中で

「今の自分とつながる」

きっかけになる。

 

 

  最後に

 

マインドフルネスは、

「何も考えないようにすること」

ではなく、

 

「何が起きているかに

 気づき続けること」。

 

ぼーっとするのも、

マインドフルでいるのも、

どちらも大切。

 

違いを知ったうえで、

どちらの時間を過ごすかを選べると、

瞑想も、セルフケアも、

もっと深いものになっていく。

 

 

次に瞑想する時、

セルフケアをするときは、

 

「気持ちよく過ごせたか」

だけじゃなく、

 

「どんなことに気づけたか」も、

そっと振り返ってみてほしい。

 

その気づきが、静かに整う力を

呼び覚ましていくはず。

 

 

次回のワークショップは8月2日。

(早割申し込み受付中)

▼詳細&お申し込みはこちら。

 

前回の記事では、

「感覚がわからない」と言う人に対して、

“すでにある何気ない感覚に気づくこと”

大切さをお伝えしました。

 

>>前回の記事はこちら

 

 

けれど実は、

そこにひとつの落とし穴があります。

 

それは、

感じた瞬間に「わかった」と

思ってしまうこと。

 

 

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「わかった」が、探求を止めてしまう

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たとえば、ワークの中で

「胸のあたりがじんわり温かい」と

感じる瞬間があったとします。

 

その時、多くの人は

「感じられた、よかった」

「この感覚が“正解”だ」と安心します。

 

でも――

そこで終わってしまうとしたら、

 

その感覚はただの“記憶”に変わり、

その場で生きていた感覚の流れは、

そこで止まってしまいます。

 

「わかった」と思った瞬間、

人の意識は“今ここ”から離れてしまう。

 

 

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感じるとは、“今”を開き続けること

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感覚は、変化し続けている“今”の出来事です。

 

だからこそ、

「もうわかった」ではなく、

「まだ何かあるかもしれない」

という態度が必要です。

 

感覚は「特別なもの」や

「わかりやすいもの」だけではありません。

 

曖昧で、微細で、どこか頼りないもの――

むしろそういったものにこそ、

私たちの“奥行き”が宿っています。

 

 

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「知っている」を超えて、見る

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たとえば、

今いる部屋の壁を見てみてください。

 

あなたはすぐに

「壁がある」

「白い」

「ザラザラしている」

“わかる”でしょう。

 

でも、

その「わかった」を静かに脇に置いて、

 

ただその壁を、

もう少し時間をかけて“観て”みてください。

 

・光はどこから差し込んで、

 どこに影ができているか

 

・模様や汚れ、シミ、ひび割れ

 ――どんな表情があるか

 

・壁と天井の境界は、

 どんな風に変化しているか

 

きっと、

さっきまで“知っていた”はずの壁が、

まるで初めて出会うもののように、

立ち上がってきます。

 

この体験が、

「今に感覚を開いていく」ことの

始まりです。

 

 

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 感じることは、

“足を止めずに耳を澄ませる”こと

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感覚は、開けば開くほどに

広がっていきます。

 

「感じきった」と思ったその先にも、

まだ受け取っていない気配がある。

 

だからこそ、

“感動”というのは、

感じることの“深度”に比例するのです。

 

特別な感覚を探さなくていい。

 

すでに感じているものの中に、

まだ出会っていない深さがある。

 

それを、丁寧にすくい取っていく。

 

それが、

原始感覚を育てるということ。

 

そして、「治るカラダ」が

静かに目を覚ます瞬間です。

 

 

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わかった気にならずに、とどまる

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話をまとめると、

 

・何気ない感覚にも、深さと広がりがある

 

・「わかった」で終わらず、

 「まだ感じきれていないかも」と問い続ける

 

・感覚は“理解”ではなく、“出会い”である

 

・すべての感覚を100%感じきることは、

 誰にもできない

 

・だからこそ、わからなさを含んだまま、

 とどまってみる勇気を持つ

 

 

「わかった」と思ったそのときこそ、

静かに問い直してみてください。

 

「本当に、もうすべて感じられているだろうか?」

 

この問いの先に、

まだ知らない“今”の感覚が、あなたを待っています。

 

次回のワークショップは8月2日。

(早割申し込み受付中)

▼詳細&お申し込みはこちら。

 

施術するときも、ワークショップの最中にも、

よくする問いがある。

 

「今、どんな感覚がありますか?」

「ワークの後、どんな余韻や変化がありますか?」

 

 

それに対して、

はっきりと答えてくれる人もいるけど、

 

「よくわからない」

と言う返事も少なくない。

 

 

感覚が微妙すぎて

わかりにくいことはあると思う。

 

でも、

何も感覚が無い

ということはあり得ない。

 

「感覚がわからない」という人は、

実際には「感じていない」わけではなく、

 

“特別な感覚”だけを

「感覚」と思い込んでいる

可能性がある。

 

つまり、

本人が期待しているような

インパクトのある変化以外は、

 

感じていたとしても

スルーしてしまっているということ。

 

 

 

身体がじんわり温かくなるとか、

呼吸がふっと楽になるとか、

思わず動きたくなるような衝動とか——

 

そういう、

はっきりとした「変化」だけが感覚であり、

成果だと信じてしまっている。

 

 

でも実際のからだは、

もっと静かに、ささやくように

反応している場合も多い。

 

ただ、声が小さすぎて、

気づかれていないだけ。

 


 ──ブログの続きはここから

 

たとえば、今ここで、

手を2〜3回だけ軽く振ってみて。

 

終わったあと、手のひらや腕に

何か残るような感覚が感じられるかな?

 

ほんの微細な、ジワっとした余韻。

「あるような気がする」程度でも十分。

 

それも立派な「感覚」。

 

 

 

だけど——

「よくわからない」と言う人は、

その微細な感覚を受け取る習慣がまだない。

 

そして実は、

 

そういう人ほど、

たとえすごく効果のあるものに

出会えたとしても、

 

その効果をちゃんと

“受け取る”ことができない。

 

 

 

「なんか違う気がする」

「あまり効かなかった」

 

そうやってまた

次の“何か”を探し続けてしまう。

 

 

 

そんな人にとって本当に必要なのは、

新しい刺激じゃなくて、

 

“いまある感覚”に気づく力

ではないだろうか。

 

 

今、自分が実感できる感覚を

少しだけ丁寧に、繊細に感じてみる。

 

そうすると、

感覚の「解像度」が上がっていく。

 

「すでに感じていたけど、

 気づいていなかった感覚」

に出会ったり、

 

「なんとなく」だったものが、

細かく、深く、

分解されて感じられるようになる。

 

その先に、

未知だった感覚の領域がひらかれる。

 

 

 

たとえば、

 

毎日何気なく食べている「ごはん」。

それを丁寧に味わってみると、

まるで初めて出会うような体験になる。

 

舌ざわり、噛む音、広がる香り、

温度、質感、咀嚼のリズムと味の変化。

 

すでに知っていたはずの「白ごはん」が、

まったく違うものになる瞬間がある。

 

 

からだの感覚も、それと同じ。

 

何かを「もっと感じたい」

と思ったときほど、

 

外側の刺激を求めるより、

いまある内側の静けさに耳を澄ませてほしい。

 

 

満たされないと感じるとき。

 

やってきたことに手応えがないとき。

 

そんなときは、

「まだ知らない何か」を探す前に、

「すでにあるもの」の解像度を上げてみよう。

 

 

 

答えは、案外もうそこにあって、

ただ気づかれるのを

待っているだけかもしれない。

 

 

 

からだは、

いつでも教えてくれている。

 

ごく小さく、でも確かに。

 

そのささやきに気づけたとき、

世界の見え方が静かに変わり始める。

 

 

次回のワークショップは8月2日。

(早割申し込み受付中)

▼詳細&お申し込みはこちら。

 

~「真っ直ぐであること」が正しいという思い込みを手放す~

 

「骨盤が歪んでいますね」
「猫背ですね」
「姿勢が良くないですね」
 
こう言われて、不安になったことはありませんか?
 
あるいは、鏡に映った自分の体が左右対称じゃないのを見て、「私ってゆがんでる…」と落ち込んだことがある人もいるかもしれません。
 
 
世の中では、「歪み=悪いこと」「真っ直ぐ=健康」といった前提が、あたりまえのように語られています。
 
整体やエステ、美容の分野でも「歪みを直しましょう」という言葉がよく使われます。
 
でも、マインドフルネス整体の視点から見ると、
 
体は“歪む必要があるから歪んでいる”
 
とも言えるのです。
 
今日はその考え方について、例え話も交えながらお伝えしてみます。
 
 

  木が風にしなるように、体も歪む

 
まず最初に想像してほしいのは、風に揺れる一本の木です。
 
 
強風の中でも、木が折れずに立っていられるのは、風を受け流し、しなやかに曲がるから。
 
硬くて真っ直ぐな棒だったら、たちまちポキンと折れてしまうでしょう。
 
 
人間の体も同じです。
 
姿勢や重心、筋肉の使い方は、日々の生活の中で自然と変化します。
 
右足にばかり体重をかけたり、いつも同じ肩でカバンを持ったり。
 
そうした「暮らしのくせ」に適応するために、体は少しずつ歪みながらバランスを取っているのです。
 
つまり、
 
歪んでいるのは、壊れているからではなく、むしろ壊れないための知恵。
 
 
 ▼メルマガの続きはここから▼
 

  川はまっすぐ流れない

 
もう一つ別の視点の例えをしてみます。
川の流れを思い出してください。
 
地図で見ると、川は真っ直ぐには流れていませんよね。
 
蛇行しながら、岩や木の根を避け、緩やかにカーブを描いて進んでいきます。
 
 
もし川が「真っ直ぐでなければならない」として直線に整備されたら、どうなるでしょう?
 
流れが速くなりすぎて、周囲に洪水を起こしたり、川底が削られて自然のバランスが崩れてしまうかもしれません。
 
蛇行することで、川はスピードを調整し、環境と調和しながら流れていく。
 
これもまた、曲がっていることが“調和”につながっている一例です。
 
体もまた、真っ直ぐであることが常に正解とは限らない。
 
適切に歪みながら、自分らしい流れを保っているのです。
 
 

  歪みは体の“やさしさ”

 
体の歪みを見つけたとき、まず伝えたいのは、
 
「体は、あなたを守るために歪んでくれている」
 
ということ。
 
 
たとえば、足首を怪我した経験がある人は、無意識に反対の足でかばう動きをします。
 
その結果、腰や肩の高さが変わったり、背骨が傾いたりする。
 
これは、体が勝手にバランスを取りにいった結果です。
 
歪みは、あなたのせいではありません。
 
あなたの体が、あなたを生かすために選んだ「やさしい形」なのです。
 
 

  「整える」とは、無理に真っ直ぐにすることではない

 
マインドフルネス整体では、歪みを“悪”として矯正することはしません。
 
真っ直ぐに「戻す」よりも、どうすれば体が自然に戻りたくなるのかを一緒に探っていく、
 
そんなアプローチです。
 
大事なのは、歪みを否定することではなく、不要な緊張や過剰な防御をゆるめて、必要な歪みをそのまま活かせる状態にすること。
 
すると、体は勝手に整おうとする。
 
それが「治るカラダの力」です。
 
 

  しなやかに歪み、自由に整う体へ

 
結論として、僕が伝えたいのはこうです。
 
真っ直ぐであることが正しいとは限らない。
 
歪みは、体が今のあなたを支えるためにしてくれていること。
 
そして、
 
しなやかに歪み、状況に応じて自由に整えられる体こそが、健やかな体だということ。
 
 
「歪んでいてはダメ」という思い込みを手放したとき、体も心も、もっと自由になります。
 
体にとって本当に必要なのは、「正しさ」ではなく「しなやかさ」。
 
 
あなた自身のリズムで、整おうとする力を取り戻していく。
 
そんな整体を、僕はこれからも届けていきたいと思っています。
 
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  6月1日(日)【あと3名】

マインドフルネス整体ワークショップ

 〜治るカラダを覚醒させる〜

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僕は毎日、3〜4個のゆで卵を食べる。

食べる理由は、合理的だから。

美味しいし、完全食だし、茹でれば勝手にできるし、冷蔵庫に常備できる。

朝でも夜でも、時間がなくても、気分が乗らなくても、とりあえず1個は食べておける。

たぶん体にもいい。実際、調子はいい。

だから毎日食べてる。
主に、しょうゆ麹で。

1年くらい前から毎日3〜4個食べているから、この1年で1000個くらいのゆで卵を食べたことになる。

でも、いまだに、毎回ちょっと感動する。

白身のぷるっと感。
黄身のなめらかさとほのかな甘み。
しょうゆ麹との絶妙なハーモニー。


毎回「あ、うま…」って、独りでつぶやく。

茹で時間も火加減も毎回同じ。
沸騰してから卵を入れて6分半。
ちょうどいい半熟。

でも、なんか毎回ちがう。

そして、毎回あらためて、「卵って、すごいな」と思う。

たぶん変わってるのは卵じゃなくて、
「感じてる側」の自分なんだと思う。

 

ここで言いたいのは、ただの卵の話じゃない。

ゆで卵に感動できたら、
「治るカラダ覚醒」への扉が開きかけているよ

っていう話。

 

マインドフルネス整体でやっているのは、まさにその“扉”を静かに開いていくこと。

身体の内側に起きている、ごくごく微細な変化に気づき、その変化と一緒にいられる自分に戻ること。


特別なことはしない。見た目はとても地味。

でも、その地味さの中にしか、ほんとうの変化は起きてこない。

感覚に気づいて、味わって、楽しむ。
それだけで、身体は勝手に動き出す。

「整える」とか「治す」とかいう前に、
まず“いまここ”に起きていることを受け取るセンサーを取り戻す。

それは、たとえば——ゆで卵の黄身に感動することだったりする。

 

日常を“処理”するように生きていたら、変化には気づけない。

スマホを見ながら食事をして、
味も意識せずに飲み込んでいたら、

飽きるし、感動もない。

だから刺激を求めて「もっと違うもの」「新しいもの」を探しはじめる。

でも、意識が内側にちゃんと戻っていれば、
一見「同じ」ものの中にも、毎回ちがう何かが見えてくる。

 

ゆで卵は、
一見地味だけど、
実はかなりドラマチックだ。

白身の弾力。
黄身の硬さ。
しょうゆ麹とのハーモニー。
口の中でとろけて混じり合う、その一瞬の静かなドラマ。

 

たまに茹で時間を間違えて、固茹でになることもある。

一瞬「残念…」と思うけど、それはそれでちゃんと味わってみると、

半熟とは違うドラマが静かに始まっていたりする。

どちらかといえば半熟が好きだけど、
「固茹ではダメ」と決めつけてしまえば、その世界には触れられない。

 

今日は、
しょうゆ麹を切らしていたので、
塩で食べた。

また新しいゆで卵のドラマがあった。

これはこれで良い。


そういえば、
沖縄の海に潜った時と、ベトナムの海に潜った時。

どちらも「海」だけど、
まったくちがう世界だと感じた。

しょうゆ麹のゆで卵と、塩のゆで卵も、
それくらい違う。

 

感動って、刺激の強さじゃなくて、感度の高さで起きるものだと思う。

感覚が開いていると、退屈なものが退屈じゃなくなる。

同じ道、同じ食べ物、同じ人との会話。

その中にある微細な揺れや、質感の違いに気づけると、
毎回「今ここ」が、ちゃんと新しい。

 

そして結局、幸せって——
そういうことなんじゃないかと思ってる。

 

「世の中がつまらない」
「人生が退屈」

そう感じるときは、たぶんセンサーが閉じてるだけ。

世界がつまらなくなったんじゃない。

自分が、目の前の感動を「受信」できていないだけ。

 

ゆで卵に感動できる人は、たぶん大丈夫。

何が大丈夫なのかは知らんけど。

でも、大きな成功や強い刺激じゃないと感動できない人生よりも、

毎日のゆで卵にちゃんと感動できる人生の方が、たぶん幸せ。

僕にとっても、
ゆで卵なんて子供の頃から日常にあったし、
特に好きとも嫌いとも思っていなかったし、
基本的には、何かに添えられて出てくる
付け合わせ的な存在だった。

そういう、
何とも思っていない普通の中にこそ、
大事な気づきがあったりする。


当たり前に動いてくれている自分の身体も、
時々はそんなふうに
新鮮な気持ちで味わってみてほしい。



特別な感覚を探すんじゃなくて、当たり前の感覚をていねいに感じていく。

そうすると、痛みやコリに対する見え方も変わってくる。

「痛みをなくす」とか「治す」という発想が、
どこか身体の“内なるドラマ”を無視していたのかもしれないと気づけるようになる。



感情や欲求を抑圧はしない。振り回されもしない。
マインドフルネス整体の在り方とは?
 
怒り、悲しみ、寂しさ、頼りたい気持ち。
 
どれも、私たちの内側から自然に湧いてくる“生命の声”。
 
けれど、それを感じることなく飲み込んだり、逆に、感じたままにぶつけたりしてしまうと、
 
心にも、身体にも、静かに歪みが生まれていきます。
 
感情や欲求は、抑え込んでも、振り回されても、うまくいかない。
 
大切なのは、そのあいだ――
 
「ちゃんと感じて、でもそれに流されず、私自身が“選ぶ”」という在り方です。
 
 

  「感じないようにする」ことが、癖になっていませんか?

 
たとえば誰かに傷つけられたとき。
 
「こんなことで落ち込むなんて情けない」
「気にしない、気にしない」
と笑ってやり過ごす。
 
本当は胸がザワついて、言葉が引っかかったままなのに、“自分は傷ついていない”ことにしてしまう。
 
また、誰かに頼りたい気持ちが湧いたとき。
 
「迷惑かけたくない」
「私は大丈夫」
 
そう言い聞かせて、甘えたい気持ちを引っ込めてしまう。
 
さらに、イラッとした瞬間にも、
 
「怒るなんて大人げない」
「私が我慢すれば丸く収まる」
 
と、自分の感情をなかったことにしてしまう。
 
こうした“抑圧”を繰り返していると、気づかないうちに感情のセンサーが鈍くなり、何を感じていたのかすら、わからなくなっていきます。
 
 

  「ポジティブ思考」でごまかしてしまうときも

 
抑圧していることに気づきたくないとき、人は“前向きな言葉”で、うまくフタをします。
 
「これは学びだから」
「きっと意味がある」
「感謝しよう」
 
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
 
でも、本当の気持ちに蓋をしたまま、無理に明るくふるまうことは、
 
"前向きさの皮をかぶった「感じないクセ」"を深めてしまうこともあるのです。
 
 
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  解放は必要。でも、“感じたまま”に動くのは違う

 
だからこそ、「感じない」は卒業して、一度はちゃんと感情や欲求を解放することが大切です。
 
でも、それをそのまま表現すればいいかというと、そうでもない。
 
怒りをそのままぶつけたり、
悲しさに浸りきって閉じこもったり、
欲望のままに手を伸ばし続けていたら――
 
きっと、関係も、自分自身の軸も、どこかで崩れてしまう。
 
感じたまま動くのではなく、感じたうえで“選ぶ”こと。
 
それが、本当にしなやかで自由な在り方です。
 
 

  マインドフルネス整体が育てる「感じて、選ぶ力」

 
マインドフルネス整体では、
この「感じて、選ぶ力」を、“身体の感覚”を通して育てていきます。
 
 
たとえば、誰かの言葉にカチンときたとき。
 
まず深く息を吸って、胸のザワつきや肩の緊張に気づいてみる。
 
すると、思考より早く、身体が教えてくれます。
 
「今、わかってもらえなかったと感じたんだ」
「期待していたのに、応えてもらえなくて寂しかったんだ」
 
その“本当の気持ち”に触れたとき、、
 
怒りが、やわらかな切なさへとほどけていくこともある。
 
そしてそのうえで、「私は少し傷ついたよ」と、やさしく、でも確かに伝えることができる。
 
それは、感情に飲まれたのでも、押し殺したのでもない。
 
身体を通して気づき、選び、動いた結果です。
 
 

  「思考」ではなく、「感覚」から自分に還る

 
マインドフルネス整体では、感情を“どうにかしよう”とはしません。
 
「なぜこんな気持ちになったのか?」を考える前に、
「今、どんな感覚が身体にある?」に目を向ける。
喉が詰まっているかもしれない。
 
みぞおちがキュッとしているかもしれない。
 
背中が固まって、呼吸が浅くなっているかもしれない。
 
その感覚にただ気づいていると、、
 
感情の“芯”だけが、静かに浮かび上がってくる。
 
それは、ストーリーや過去に巻き込まれるのではなく、今ここにある「自分の本音」とつながる感覚です。
 
感じることは、わがままではない
選ぶことは、我慢でもない
 
感情も欲望も、私たちの“命の現れ”です。
 
それらを敵にせず、否定もせず、
でも飲み込まれず、ふりまわされずに扱えるようになると、
 
生き方そのものが、とても自由で、しなやかになっていきます。
 
 
マインドフルネス整体は、その土台となる“感覚の感度”を、じっくり育てていくための方法です。
 
「感じることを許してから、どう動くかを選ぶ」
 
この在り方が、あなたの中の“治る力”を呼び覚ましていきます。
 
 

思考で変われなかった僕が、身体から変わった理由

〜「マインドフル・ボディ」と、「治るカラダ覚醒ワークショップ」〜

 

少し前に、タイトルに惹かれて読み始めた『マインドフル・ボディ』という本。

 

ハーバード大学の心理学者、エレン・J・ランガーが書いたもので、「思考や環境が身体に与える影響」を科学的に示している。

 

たとえば、

 

「昔の時代設定で生活してもらったお年寄りの体力や記憶力が改善した」という有名な実験。

 

読んでいて、すごく共感した。

 

「思考が変われば、身体が変わる」

「環境が変われば、人は変われる」

 

――これは、僕自身も体験として感じてきたことだから。

 

 

でも、同時に思った。

 

「それって、けっこう難しくない?」

 

思考を変えるって、頭では「そうかも」と思っても、すぐまた元のパターンに戻ってたり、

 

「わかったつもり」になって終わってたりすることが、僕はすごく多かった。

 

 

頭では納得してるのに、身体はまだ緊張してる。

 

心は動いていない。

 

逆に、“頭だけが先に行って、身体との分離”が起きていたり。

 

その時は、分離していることにも気付いていないことも多い。

 

「自分は調子がいい」と思い込むことで、違和感や不調にフタをして、慢性的に悪化させてしまっていた時期もある。

 

体が軽くなってはじめて、「ああ、ずっと重たかったんだ」って気づくこともある。

 

 

環境だって同じ。

 

変えたいと思っても、すぐには動かせないこともある。

 

仕事、家族、人間関係……

 

 

思考が強いと、「これが自分にとっていい環境なんだ」と思い込んで、身体が本当に感じていることを無視してしまう。

 

そんな自分にとって、

 

「まず身体から」というのは、正直ちょっと苦手なアプローチだったけど、

 

結果的にはいちばん効果的に、心身の健康を取り戻す道だった。

 

だから僕は、

 

まず、感じることから始める。

 

まず、身体の声に耳を澄ませる。

 

 

それが、「治るカラダ覚醒ワークショップ」の出発点。

 

このワークショップでやっているのは、

 

今この瞬間、自分の身体にどんな感覚があるかに気づいて、そこにただ、寄り添ってみること。

 

すると――

 

「何かをする」前に、身体はすでに“治ろうとしている”ことに気づける。

 

その力に寄り添って、

 

それを邪魔することをやめれば、、

 

身体は、緩んだり、整ったり、自然に動き出す。

 

 

そして、それに引っ張られるように、気持ちが変わり、考え方も変わっていく。

 

意識で支配していた自分を、無意識優位に戻していく感覚。

 

 

 

思考や環境から変えるアプローチも、もちろん大切。

 

その方がうまくいく人もいると思う。

 

でも、もし今それがうまくいかないなら、順番を変えてみるのもいいかもしれない。

 

「まず、感じる」。

 

その先に、整う身体と、変わっていく自分がいる。

 

これは、俺自身が何度も体験してきたこと。

 

そして、ワークショップに参加してくれる人たちが、その“変化”を身体で思い出していく瞬間を、何度も見てきた。

 

 

変わりたいなら、、

 

頑張るのをやめて、感じることから始めてみる。



次回の「マインドフルネス整体」は

6月1日(日)(早割申し込みは5/15まで)

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