終戦記念日 | 晴好雨奇

晴好雨奇

気紛れ更新の日記です。


私にとっての終戦の象徴は、教科書の写真。


ラジオの前でうなだれる人々の写真。




小学生の時、宿題が出された。


「戦争の体験談を聞いて来なさい」


何も知らない私は、祖父の家に聞きに行った。


「じいちゃんは吃りのお蔭で赤紙を免れた」


もう少し戦争が長引けば、招集されていたらしい。


「おっきいおじいちゃんに聞きなさい」


は~いと返事をして、曾祖父の所へ。


「学校の宿題なんだ。戦争の話聞かせて」


元から無口な曾祖父だが、この時は様子が違った。


眉を顰めて、暫く考えている様だった。


「…じいちゃんは、寝てたんだ…」


静かに、言葉を紡いだ。


「周りが騒がしくなって、目が覚めた」


私は、ちょっとわくわくしていた。


「起きると、撤収の準備をしていた」


ここから話が始まるのだ。


「もう少し起きるのが遅かったら、置いて行かれていた」


…無事にお戻り頂けて何よりでした。


って、それでは宿題になりませぬ。


お家に帰って図書館へ。


色々と読み漁るが、曾祖父が居た場所の情報は無い。


ただ、戦争は酷い物なのだという情報だけが溜まって行く。


高校の図書館で、中国で捕虜になった人の本を見つけた。


「私の娘は、日本兵に殺されました。でも、悪いのは戦争です」


そう言って、優しく接してくれた人達の話だった。


ロシアの捕虜の話もあった。


「苦労している自分達を見かねて、手伝ってくれる優しい人達がいた」


そんな優しい人達を、自分達は裏切った。


致し方無い状況ではあった。


でも、筆者は申し訳ない事をしたと綴っていた。


読めば読むほど、似た様な情報が集まって来る。




社会人になって数年。


深夜番組で、曾祖父が行っていた場所を放送していた。


完全な負け戦の場所だったらしい。


弾が無い。


薬が無い。


食料も無い。


ただ、ひたすら歩き続けるだけ。


歩いているだけなのに、仲間が減って行く。


「もう少し起きるのが遅ければ、置いて行かれていた」


やっと、あの言葉の意味が理解出来た。


僅かな段を越えられず、行軍を諦める人もいた。


あの時、教えてくれなかったのは曾祖父の優しさ。


小学生に此れはきつ過ぎる。


感謝すると共に、愚かな教師への憤りを感じた。


知らなかったとはいえ、私は酷い事をしてしていた。




「昔の事は忘れて、仲良くしよう」


言うのは簡単。


でも、ある程度知った上で、同じ事を言える?


やられた事だけではなく、


自分の国がやった事を知る努力をしよう。


嬉しい事はされた事。


嫌な事はした事。


こちらを強めに思う様にすれば、


相手に対する思いやりだけが成長すると思う。


思いに囚われるのは良くないけれど、


忘れてはいけない事は沢山あると思う。