七森剛(細田佳央太)は,子どもが捨てたぬいぐるみを拾って帰り,きれいに洗って自分の身近に置いておくような高校生だった。

 

 

 京都の大学に進学し,そこで麦戸美海子(駒井蓮)と知り合う。

 

 彼女もおとなしい性格でふたりは気の合う友人になるが,ぬいぐるみサークルが気になり行ってみる。

 

 

 ふたりともぬいぐるみを作るサークルだと思い込んでいたが,メンバーはぬいぐるみを作っても良いという曖昧な対応で,何をするサークルかはよく分からなかった。

 

 

 しばらくして,ぬいぐるみサークルが,心の中のモヤモヤをぬいぐるみに向かって吐き出すサークルだということが分かる。

 

 

 ある先輩は,ぬいぐるみに向かって,世界中で起きている紛争や災害で苦しむ人たちへの気持ちを訴え続けていた。

 

 

 他のメンバーは大抵,もっと身近な不平不満や上手く行かないことを愚痴っていた。

 

 

 生きていく上での不平や不満を人に向かって吐き出せば,そのことで又,傷つく人も出てくるかもしれない。

 それでは意味がないが,かと言って黙っていれば自分がパンクしてしまう。

 だからぬいぐるみに向かって吐き出すのだ。

 

 ぬいぐるみサークルのルールは,他のメンバーがぬいぐるみに向かって話している内容を聞かないということだった。

 

 

 だから他のメンバーがいるときは,ヘッドホンやイヤホンをしてぬいぐるみに話しかけている。

 

 七森と麦戸は,戸惑いながらもぬいぐるみサークルになじんでいく。

 

 ぬいぐるみサークルの中で白城ゆい(新谷ゆづみ)だけは,ぬいぐるみに話しかけない。

 彼女は他のメンバーとは違って社交的で,学園祭のスタッフもしている。

 

 七森はそんな彼女に魅力を感じて,交際を申し込む。

 

 

 白城は男と別れたところだと言って,七森と付き合うことを承諾する。

 だが,七森は白城と付き合う内に,彼女が周囲と上手くやっていくためにセクハラっぽいことや女性としての役割を押しつけられるような状況を巧みに乗り越えて行く状況を見て息苦しくなる。

 その話を白城にすると,彼女は七森が麦戸ではなく,自分に告白したことが意外だったと言う。

 

 

 ふたりは別れることにするが,七森は最近大学に来なくなった麦戸のことが心配になり,彼女の下宿に行ってみる。

 すると彼女は通学途中で痴漢に遭っている女性を見たという。

 被害者の気持ちや何もできない自分,見て見ぬ振りをする周りの人たちのことを考えると苦しくなってしまって,外へ出られなくなってしまったという。

 

 

 七森が一緒にいることで麦戸は少し気持ちが楽になる。

 

 七森は成人式のために帰省するが,同窓生たちは相変わらず,デリカシーのない男と女の話しかしない。

 下宿に帰った七森は大学に行けなくなる。

 

 すると今度は麦戸が訪ねてきてくれる。

 

 

 ようやくふたりは自分たちの気持ちに気がつく。

 

 

 

駒井蓮の新作ということで鑑賞。

 

 自分自身が繊細すぎて上手くやっていけないのに,上手くやっている人が割り切ってしまったことへの苦しみにまで共感して苦しむのだから大変である。

 この映画の内容をナイーブすぎてこれじゃ生きていけないと切り捨てることは簡単だが,そんなことは原作者も映画にした人たちも分かっていると思う。

 

 その上で,あえてこの物語を作るということの意味を考えると,どう振る舞うにせよ,割り切れない想いは心のどこかに残しておくべきだということなのだろうと思う。

 

 上手くやっている白城がなぜ,ぬいぐるみサークルにいるのかというところが,正解ではないにしてもこの話のポイントだと思う。