学校へ行くか行かないかは子供の課題です。子供が学校へ行かなかったり、勉強をしなかったりするのを見て、イライラしたり不安になったりしますが、それにどう向き合うかは親の課題で子どもの課題ではありません。他の人の課題には誰も介入できないと言うこと。他の人は自分の期待を満たすために生きているわけではないということです。
アドラー人生の意味の心理学「課題の分離」抜粋


HSPについて知る前のタイミングでたまたま第3回の途中と第4回を観ることが出来たNHK 100分de名著 2016年2月 アドラー「人生の意味の心理学」(←このサイトも読むと面白いですよ♪)で、大切だと思える言葉がたくさんあって全部観てみたいと思ったのだけど、再放送を観られると思えなかったのでテキストを買って読んでみました。




岸見一郎さん(哲学者:日本アドラー心理学認定カウンセラー)の話しの中でもとても気になったのは

第3回 対人関係を転換する

「注目されたい子ども」

「他者の承認は必要か」

「課題の分離とは」


なかでも「課題の分離」については、自分の中に定着させるのは少し時間がかかりそうです。
現に理解していたはずなのに1週間前に不安定になった子供の様子に私は「どうなるの??」と、動揺しました。
でも、私が不安になることはないんですよね・・心配はしても。

この「課題の分離」を少なくとも頭でだけでも理解すれば、混乱してもつれる私の感情をクリアに整理が出来きて、気持ちの負担が軽くなりました。

子どもにも、親が学校へ行かない子供への不安やイライラと闘っていることを感じても、それを「自分がどうにかしなければ!」を思わずに「親の課題」だから自分から切り離しておくように伝えるのも大切なのかもしれません。

子供に勘付かれないほどの平気な演技が出来れば別ですが・・・・

でも、それは「貴方の課題だから!」と、放っておくんじゃなくて、子供への関心は示さないと「自分のことはどうでもいいんだ・・」とも取られてしまいかねないから放置も注意ですよね。

ややこしい思春期です・・(-_-;)

学校に行けないことは私の課題ではないと認識した上で、子供の課題を解決するために「協力」をすると言うことがとても大切だと思っていました。

でもちょっとアドバイスするとうっとうしそうにするのに、自分が行き詰ると「言ってくれないと分からない!」とか言われて「イラッ」っとすることもあったり。
思春期あるあるなんでしょうね・・・


学校に行けなくなってすぐのころに「何があったのか、何がしたいのか、どうしたいのか?」を聞いても本人は考える余裕もないかもしれません・・・
そういう時はゆっくりと「子どもが自分の課題と向き合えるようになるまで待つ」しかないのだと思います。

その時の親のイライラや不安は親の課題なので自分で何とかしないといけません。

親の経験値から「こうしたほうがいいのに!」って思うこともたくさんあるので、それは伝え方を間違えなければいいのかな?と思いますが、本の中でそれは課題を持つ人からの問いかけがあるまで待つようにとありました。

これが結構難しい。これには親の成長が必要なんでしょう・・・(^^ゞ



全部読んでスッキリはしたのだけど、まだまだ成長を求められた気がしました。

取りあえず今の私の宿題は「課題の分離」の定着かな?と思っています。







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