週末のフルマラソンに向け,距離を普段の8割にして調整する。
最初の3キロはパートナーと一緒に緩いジョグ,残り5キロは通常のジョグ(キロ6:30)。
足が重かった。
走る度に思うことではあるが,ランニングは,なぜ,こんなに毎回辛いのだろうか。もう少し楽になってくれても良さそうなものだが。一向にランニングを好きになれない。10Feetの曲に集中して,なんとか乗り切る。
那須川天心さんvs井上拓真さんの試合をリアルタイムで見た。
試合後,那須川天心さんは,ボクシングで負けたという表現を使われていた。
ボクシング素人の私の勝手な感想であるが,那須川天心さんは,おそらくは,ボクシングという言葉を,殴り合い,倒し合いという意味で使ったのだろう。そして,ここまで自分を追い込んでもボクシングで勝てなかった,つまり,倒しきれなかったことに悔しい思いを抱いていたのだろう。悔しいあまり,ポイントゲームであるボクシングには負け,倒し合いというボクシングには勝ったとおっしゃりたかったのだと思う。
チャンピオンになるために,ルールに則って,倒しきれない場合にも勝つ手段についてはあまり考えていなかったのかなとも思う。
井上拓真さんは,練習の時から,ポイントの取り方を意識し,試合でも実践したという記事に触れた。
ただ,素人の私は,那須川天心さんのボクシングは,圧倒的にかっこいいと思った。
才能や練習量の差ではなく,練習の質や準備,意識の差が,結果を分けてしまったのかもしれないなと,少し残念に思った。
死刑が相当と内心で思うことは,絶対的に自由である(憲法19条)。
死刑が相当だという考えを外部に表明する場合には,公共の福祉の制限を受ける(憲法21条1項)。
競技や世の中,いたるところに「ルールがある」ということは,私もなんとなく知っている。だが,自分の行動や発言は,ルール内であるかどうか,ルールに照らすとどうであるのか,ルールに違反しているとどうなってしまうのかということを考えながら,私は行動できているのか。できていないな。成長の余地あり。
玉川徹氏「日本人が飢えている。アジアでもトップならいいじゃないか」 - サンスポ
現在,名古屋でアジア競技大会が開催されている。
気が遠くなるような濃密な時間を費やして己の心身を磨き上げ,ルールの範囲内で,本番に全ての力を発揮させようとするその姿に,私は感動する。
若きアスリートの短いアスリート人生における一瞬のきらめきが私の心を掴む。
特にランニングを始めてからは,次元は全く違うものの,トレーニングを継続することの苦しさ,苦しくなってから頑張ることの辛さがほんの少しわかる(つもりな)だけに,アスリートが煌めこうとする姿に胸を打たれる。
日本,アジア,世界,地域,年代,どのようなくくりであっても,一所懸命に結果を追い求める姿は,私を含めた多くの人を気持ちを揺すぶるのだと,私は思う。
今月は,あと1回走れば月間150kmを達成できる。
あとは,マラソン本番に向けて,仕事を終わらせ,すっきりした頭で,悔いなく走りきりたい。