妻を「愛している」のに不倫した | 夫婦再構築ブログ

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不倫という大きな間違いを犯してしまった僕が不倫に至ったところから再構築(8年)までの経験を書くことで、不倫で苦しんでる人の心の支えになりたい

こんにちはアラタです。


再構築するにあたって

よくぶつかったこと


僕は

妻を愛している

と主張


妻は

愛しているなら

不倫なんてしない

あなたは

私を愛していない


と何回もぶつかり続けました。

これについて書いてまいります。

愛についての定義は私見です。

ご了承ください。



  僕の言う「愛している」


僕の言う愛している

僕にとって妻が一番大事

これからの人生において

妻しかいないと考え結婚した


まったくの本心であり

ここに

嘘偽りは無い


ただし

自分の次に大事

である。


僕の言う「愛している」は

自分が大前提

自分があってから妻

世の中で自分が自分以外の人間で

1番愛しているのが妻

という感覚でいた。


しかも無自覚・無意識に

みんなそういうものだとすら

思っていた。


みんな自分があって

その次に1番大事な人が

心から愛している人

そんな認識だった。


自分ではこれが

おかしい感覚であることの自覚がなく

不倫なんていう

自己愛の極みのような愚行を働いても

無自覚ならば

気付きようがない


妻から愛しているか?と

問われれば

即答で

愛していると答えた


  妻の言う「愛している」


妻の言う愛している

妻にとって僕が1番

自分以上に大事な存在で

僕が幸せなら自分も幸せ

だから一生を共にしようと結婚した

世間一般の認識だと思います


自分の行動基準に

僕が喜ぶことか?

僕が悲しむことか?

という基準が

ごく当たり前にある


妻の言う

「私を愛しているのに不倫したのか?」は

妻の感覚・価値観で


それをしたら

私が悲しむと「わかりながら」も

不倫相手を選び

自分を蔑ろにして

暴言・人格否定を行ってきた

それのどこが

私を愛しているのか?

である。


これに対していくら

不倫相手に気持ちはない

不倫相手などに愛情はない

と弁明しても

自分の欲求を優先してしまった

性欲からやらかしてしまった

と強く訴えても


妻からしたら

私を愛していなかったに

変わりない

のである。



「愛って何?」 


僕は僕の価値観で

妻は妻の価値観で

大前提が食い違ったまま

ぶつかり続けて

僕が吐いたセリフ

「愛って何?」

わかんない。教えてくれ

である。


妻からしたら

ふざけるな!であり

僕からしたら

至って本気でわからない


お互いに求めていること

その前提にある感覚が違うから

一向に話は擦り合わないし

平行線のまま進んでいく


間違っているのは僕の方

僕のいうものは

ただの

自己愛

強すぎる自己愛

常に自分が最優先で

常に自分の存在ありきで

常に自分の快不快が大切で


その次に「1番」愛している人が

妻や子供ということ


ちなみに

不倫相手もこれ

自己愛

そうでないと

不倫なんて成立しない


不倫者同士

いくら愛していると言い合い

逢瀬を重ねても

互いに自分しか愛していない


だから

仮に万一

不倫相手と一緒になっても

互いが自分最優先同士である

長続きなんて不可能

破綻なんて時間の問題



無自覚に自分を優先し

自分が1番であることに

気づかないで生きてきたのだから

妻の言う「愛しているか?」

に応えられず

食い違う回答を続け

キレて開き直り逃げる




  自己愛に気付く


僕は妻の価値観では

「妻を愛していなかった」ことになる

いくら僕が「愛している」と伝えても

僕なりに愛していた

だけである。


自分以外の人間の中で

妻が1番であり

他の女性や人間が

妻の立ち位置にくることは

あり得ない

比較することすらおこがましい

そういう感覚が事実であっても


これは誰かを愛しているではない

これに気付けるか?

これを受け入れられるか?

これを認めることができるか?

とてもとてもとても

大きな問題だと思います


これを認めるということは

妻からしたら

今までの時間は全て

自分の独りよがりであること

自分の一方的な愛情であったこと

自分は愛されていなかったこと

を認めることに酷似している


僕からしたら

付き合ってから今に至るまで

妻を大切にしていたつもりだったと

認めることと同義


幸いにも

付き合ってから今に至るまで

僕は僕なりにであっても

妻を大切にしていて

妻を喜ばせようと

妻に笑ってもらおうと

いろんなことをしてきた

ことはあった


あくまで

自分に余裕があったり

自分が苦しくならない範囲ではあったが

僕は僕の中に

心から妻を大切にしていた言動はあった

それが妻に伝わっていたことが

僕にとっての幸運の1つでした


妻とやり直すにあたり

僕が自分しか愛していないことに

気付いたのは

妻に離婚を切り出されてからである

(この時期のことです。)



満たされてますか? 


僕はずっと

自己愛感覚で生きてきました。

常に満たされないでいました。


上を見ては妬み僻み

羨ましさと自分の無力感を感じ


下を見ては安心慢心し

自分はまだマシと思ってきた


なりたい自分と今の自分の

ギャップのみに

苦しみ続け

1つ得ては次を求め

満たされることの

少ない道のりでした


当たり前です

自分からはあまり

与えないのだから

与えたら自分の何かを

犠牲にしないと成り立たないと

思っているのだから


もらうことのほうが

圧倒的に多いのだから

もらえるものはありがたくもらい

自分が得をしたようで

自分は特別と思えるから


与えることなく

くれくれくれ。と

だから大切なものを失う

だから大切なものに気付けない

自分の身の回りの全てが

自分の見える世界がつまらなく

満たされないものに感じるのは

全て自分に原因がある

こうである限り

ただの「自己満足」を見つけ出し

それなりに楽しかった。とでも言って

孤独になっていくのだと思う


もし、自己愛を捨て

誰かを大切にして

思いやり

相手のために行動して

喜んでくれた姿を見て

僕も心が温まる

見返りなんか求めていない

大切な人が幸せそうにしている

それだけで嬉しくなる

こういう気持ちが

「本当に愛している」

ということだと思う


相手も僕を大切にしてくれて

思いやりを持って

喜ばそうと何かをしてくれて

互いに笑い会える

互いが互いを満たし合う関係性

この関係性が

「本当の相思相愛」

だと思う


だから

不倫する人の

「真実の愛」「本当の愛」

だとかいう言葉には反吐が出る。

脱線しました。



互いが互いを

思い合う関係性

僕が僕を優先しなくても

自分以上に僕を優先してくれる人

僕が僕以上に

優先したいと心から思う人

そんな人と過ごす日々は

なんにもなくても

わかりやすい賞賛も

わざとらしい好意も

そんなのなくても楽しいものです

今、僕は日々忙しくも

満たされてます

妻や子供達のおかげです

自己愛なんか

さっさと捨てた方がいいです


最後に。

僕の妻をはじめ

不倫されてしまった方の多くが

僕の妻と同じ様に

自分以上に他人を大切にできる人

愛情に溢れた人だと思います。


一方、不倫をしてしまった人

不倫を未だに続けている人は

僕と同じ様に

何においても自分しか

大切にしていない人だと思います。


気づいて変われるか?

それを受け入れてもらえるか?

1日でも早いほうがいい


ここまでお読みいただき

ありがとうございました。





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