公明は党是を捨て、安倍は歴史に悪名を残す | 永田町異聞

公明は党是を捨て、安倍は歴史に悪名を残す

安倍首相が繰り返し口にするのは、「国民の命と平和を守る」だ。記者会見でも、国会答弁でも、党首討論でも、食傷するほど耳にした。


スローガンというものは昔から政治詐術の常套手段である。「国民の安全を守るため」、「平和のため」…。誰も反対しないそうした名目を掲げて、殺人兵器を使う。


そんなインチキ政治家に鼓舞され命を捧げる兵士たちは気の毒だが、スローガンをぶち続ける政治家は彼らの犠牲を賞賛してやまない。


集団的自衛権行使についての自民、公明の協議とやらが、「限定的」と称して国民を欺く合意をつくるための文言探しの意味しかない“茶番”であることは誰しも分かっていたことではある。


しかし、すでに常識になっているように、集団的自衛権の行使とは、米軍の下請けをして戦争に参加するということである。


日本が攻撃されてなくても、他国の助太刀にはせ参じ、殺し、殺される武力行使を、自民党にせっつかれて公明党も容認しようとしている。党利を優先し政権与党の座に固執して「平和」という党存立の基本的精神を捨てるのは、政党としての自滅行為とはいえないだろうか。


これで閣議決定に持ち込めば、安倍晋三という独裁者気取りの男は、歴史に名を残す目標に一歩近づく。ただし、名を残すと言っても、おそらく「悪名」だろう


第2次安倍内閣が発足する直前の2012年12月15日、Googleの「政治家と話そう」というイベントで、一般市民の質問に関連し安倍はこう語っている。


「日本国憲法の前文にはですね、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したと書いてあるんですね。つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと、言っている。…みっともない憲法ですよ、はっきり言って」


自民党の総裁に返り咲いた安倍が衆院選投票日の前日、現行憲法を「みっともない」とけなしていたとは、驚くべきことだ。


「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というくだりを、自分たちの安全を世界に任せるという意味だとする。


そのうえで、そんなことでいいんですか、自分の国は自分たちで守るべきではないですかと暗に訴えて、憲法、とりわけ9条改正の必要性を一般市民、とくにネット番組に参加している若者層の頭に刷り込もうとする。


これはためにする曲解というほかない。平和を愛する諸国と外交によって信頼関係を結ぶことで日本の平和を守ろうというこの前文にこめられた真の意図を無視している。


第2次政権をスタートさせた安倍は祖父、岸信介以来の悲願である憲法改正をめざし、まずは発議のハードルを下げるため憲法96条の改正をもくろんだが、首尾よくコトが運ばない。


そこで仕方なく、憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使できるようにする、いわゆる「解釈改憲」へと舵を切った。


そうなると、当然のことながら2012年12月15日の発言のように現行憲法を否定することはできなくなる。


安倍はちゃっかり前文の自己流解釈を捨てた。そして「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を定めた13条とともに、集団的自衛権の根拠にしてしまったのだ。


「日本国民は恒久平和を願い、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


このくだりを、「自国の安全を世界に任せるなんてみっともない」と批判していたはずだったが、次のような解釈に変えたのである。


「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない」


だから、集団的自衛権、個別的自衛権の区別なく、自衛権の行使は容認できるという。


同じ文章を、かつては他国まかせの安全保障と批判するネタとして使い、こんどは、集団的自衛権の行使を認める根拠として用いるというのだから、あきれるほどに恣意的だ。


5月8日の報道ステーションで、イラク戦争当時、パウエル国務長官の首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソンへの興味深いインタビューが放映された。


イラク戦争時に日本が集団的自衛権を行使できていれば、米政府は日本に参戦するよう要請していたか、という質問に対し、ウィルカーソンは実に率直に答えた。


「要請したと思う。実際に我々は政治的支援か軍隊の派遣を求める戦略をまとめていた。もし日本がどこにでも派遣できる準備が整っていたら、私は日本から部隊を二つ送るとその戦略に書いただろう」


米国としては、財政難で軍事予算が削減されるなか、戦力の不足部分を補うため日本の自衛隊と共同作戦を展開したいのはやまやまだろう。


ウィルカーソンは言う。「こういった誤った情報による戦争は今後も繰り返される。われわれはまったく学んでない。米国は唯一の超大国だからイラク戦争のようなことはやるべきでないが、またやるかと聞かれれば、『絶対にやる』と言える」


日本が憲法を改正する手続きを省いて、解釈変更で集団自衛権の行使ができる国になるということは、すなわち米国に巻き込まれて、世界の火薬庫に足を踏み入れ、憎しみの連鎖の輪に加わる可能性があるということである。


それで本当に日本人は誇りが持てるのだろうか。ウィルカーソンは続ける。


「私は日本がいわゆる普通の国になるのを見たくありません。普通とは、10年ごとにあちこちへ戦争に行き・・・何人も人を殺す銃や爆弾を持って、石油などのエネルギーを追いかけるようなことです」


イラク戦争の当事者の一人だった米政府の元高官が政治的立場を離れたがゆえに言える良識的な言葉と受け止めたい。


おそらく、知日派米国人の多くが、わざわざ米軍の下請けをやれるように憲法解釈を変えるなんて馬鹿げたことだと、利害を離れた本音の部分では思っているに違いない。


日本はやっかいな首相を選んだものである。

 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)