「検察批判は国会で」という朝日主筆の現実離れ | 永田町異聞

「検察批判は国会で」という朝日主筆の現実離れ

朝日新聞の主筆、若宮啓文氏が10月17日紙面の「座標軸」で、小沢氏は国会の証人喚問で検察批判をすべきだという趣旨のことを書いておられる。


「議論の府」である国会での証言を避けていては、小沢氏の「検察の許しがたい権力乱用」という訴えに、議員や国民の共感は広がらないと言う。


果たしてそうだろうか。証人喚問という場で、小沢氏が検察に対する意見を開陳しようとすれば、「尋問にまともに答えず自説を展開」と批判され、朝日をはじめとするマスコミにこっぴどく叩かれるのがオチだろう。


若宮氏が展開するとりすました論理のカラクリをのぞいてみよう。


国会は議論の府であり、そこで行われる証人喚問に出ないことは議論を避けていることになる。ゆえに小沢氏は議論をする気がなく、選挙にしか関心がないから、「政治とカネ」の疑惑を持たれるのだ。ざっとそんなところだろう。


ここに、言葉による概念のすり替えがあるのはもうお気づきのことと思う。証人喚問は尋問の場であり、議論の場ではないという、現実がある。それを議論の国会という言葉で一括りにし、ごまかしているのである。


人は痛いところを突かれると腹が立つものだ。そもそもこの記事は、記者クラブのオツムの構造を、記者会見の場で小沢氏に突かれたところに、執筆の動機がある。


記事は小沢氏の発言からはじまる。


◇「君はどう考えているの。司法の公判が進んでいるとき、立法府がいろいろ議論すべきだと思っているの」「三権分立をどう考えているの」


多くの読者もご記憶だろう。民主党の小沢一郎氏が初公判を終えた6日の記者会見で、国会での証人喚問に応じるかと聞かれて返した言葉である。◇


若宮氏は「小沢氏にこう問い返してみたい」と、次の文章に続ける。


◇あなたが公判で語った激しい検察批判は、国会で与野党の議員たちにこそ訴えるべきではないのか、と。◇


相変わらず「説明責任は?」と呪文のように繰り返す大手マスコミの若手記者に、小沢氏が「君ら少しは頭を使ってるのか」と言いたい気分はよくわかる。


つい語気が強くなると、必ずその部分をクローズアップして、小沢悪役イメージの増幅にいそしむのもマスコミという怪物だが、大新聞社の主筆が記者会見の仇討ちのように大論陣をはるのもいささか大人としては情けない。


しかも検察批判を国会でやれと小沢氏に勧めても、それがいかに現実離れしているかということは、政治の現場を見てきたであろう若宮氏なら重々承知のはずである。


若宮氏はさらに「国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義をふみにじり…」「社会的な暗殺だ」などと小沢氏が法廷で述べたことを取り上げ、「それを訴えて共感を求めるべき相手はまず同じ国会の議員たちに違いない」と指摘する。


だが、若宮氏が小沢氏の立場なら、国会で与野党の議員たちにどのような方法で訴えるのであろうか。小沢氏にすればぜひ伝授してほしいところだろうが、それらしき記述は以下の部分しか見当たらない。


「小沢氏は証人喚問だけでなく、何度もあった政治倫理審査会への出席のチャンスを生かそうともせず、野党どころか党内にも理解を広げられなかった」


要するに、証人喚問か政倫審に出ろと言いたいだけらしい。


これでは記者会見の初っぱなに定番質問メニューの「説明責任」を持ち出して、長時間にわたる公判を終えたばかりの小沢氏を苛立たせたくだんの記者と、お知恵のレベルにさほど差があるとは思えない。

 

 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)