野中氏「政治的中立」の狙い | 永田町異聞

野中氏「政治的中立」の狙い

今月6日、全国土地改良事業団体連合会を率いる野中広務氏は、鹿野農水相に「政治的中立」を宣言した。


野中氏とパイプのある仙谷官房長官の了解のもと、事前に根まわしされたセレモニーと推測する。


これで、今年度、概算要求(4889億円)の半分以下、2129億円に減らされた土地改良予算を、来年度に大幅復活させてもらえる見通しがついたようだ。


むろん、今年度の土地改良予算をばっさり削るよう政府に求めたのは当時の小沢一郎幹事長だった。


小沢一郎封じ込め戦略で生まれた菅・仙谷政権の隙間から、小沢の政敵、野中広務が公明党カードをちらつかせて、首を突っ込んできた感が強い。


野中が自民党時代、公明党・創価学会との太いパイプを築いて、実力者にのし上がったのは周知の通りだ。簡単におさらいしておこう。


1996年、公明党代表の藤井富雄都議らが暴力団組長と密会しているビデオテープを手に入れた野中は、この密会ビデオを利用して、創価学会中枢に近づき、公明党取り込み工作を進め、小沢新進党の切り崩しにまんまと成功した。


いうまでもなく新進党は細川・羽田連立内閣を構成した8つの政党・会派のうち、新生党、公明党、民社党、日本新党、民主改革連合などが、連立政権崩壊後、小沢一郎を中心につくった政党だ。


97年12月、新進党は解党、6つの政党に分裂し、小沢は衆参54人の自由党を立ち上げた。


98年7月の参院選で自民党が惨敗し、小渕恵三が首相の座に就くと、野中が官房長官に指名された。


学会票をあてにする小選挙区の候補者が増えるとともに、学会への影響力を持つ野中が自民党を牛耳る仕組みが形成されていった。


公明党・創価学会と野中の関係はいぜんとして続いている。85歳になってなお権力への執着を捨てきれない野中は、全土連という圧力団体を武器に、自公政権への影響力を保ってきたが、政権交代によって小沢一郎が最高実力者になり、民主党幹事長室への陳情一本化で、政権中枢へのパイプが遮断されていた。


ところが思いがけないチャンスが転がり込んできた。鳩山・小沢から、菅・仙谷ラインへ移行したうえ、参院選で民主党が惨敗したことにより、公明党の動向が政局を左右する状況が生まれたことである。


野中にしてみれば、野党である自民党より、民主党を味方につけたほうが得策だという計算が働いてもいっこうに不思議ではない。


野中は参院選直後から、創価学会幹部と接触を重ねた。9月26日、池田大作が設立した東京富士美術館を菅首相が突然、訪問した背後に、野中の影がちらついていた。


官房長官として大先輩である野中は仙谷のアドバイザーだと噂される。仙谷の部下である福山哲郎官房副長官は京都選出であり、野中がその才覚を見込んで目をかけていたといわれる。


ことし9月20日、竹下登元首相の夫人が亡くなったさい、福山が野中に電話し、対応の仕方について指導を仰いだことが、月刊誌「選択」などで報じられた。


野中は、公明党とのパイプを持つ小沢氏が排除されている状況を最大限利用し、公明・創価学会との橋渡し役を買って出ることによって、政権中枢に食い込み、全土連の利権を確保しようとしているように思える。


その橋渡し役の働きがあるからかどうか、公明党が思わぬ「ねじれ特需に」わいている、と10月21日の朝日新聞は報じた。


民主党が、公明党の政策を採用する姿勢を強めているという記事だ。美術品補償法案、地域活性化交付金、子宮頸がんワクチンの公費助成。いずれも公明党が主張してきた政策で、とくに美術品補償法案は、自公政権時代でさえ財務省が渋っていたのに、急にOKが出たという。


霞ヶ関の改革に本気度が感じられず、公明党に過度にすり寄る菅政権の姿勢。これでは、何のための政権交代か、と疑わざるをえない。


せっかく小沢氏が大幅削減した土地改良、すなわち農業土木の来年度予算を、時代に逆行して増額する必要があるとは思えない。われわれはしっかり監視する必要がある。


また、上記の公明法案が、国会運営の取引材料として十分な審議、検討なしに通されることがあっては、民主党政権の今後に禍根を残すことになるだろう。


  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)