「行旅死亡人」という名の日本人 | 永田町異聞

「行旅死亡人」という名の日本人

法律用語である「行旅死亡人」とは、普段あまり使わない言葉だが、もともとは行き倒れで亡くなった身元不明者のことだろう。


ところが、たとえ血がつながっていても、人と人との関係が希薄になりがちなこの時代、「行路」「旅路」に関係なく、どこの誰だかわからないご遺体が増えているようだ。


家の中で死んでいても、傍らに身分証明書があっても、本人確認をする手だてがなく、遺体の引き取り手もいなければ、「行旅死亡人」として扱われる。


「行旅死亡人」の遺体は地方自治体が火葬し遺骨を保存、官報に公告して引き取り手を待つことになるが、めったに待ち人が現れることはないようだ。


「行旅死亡人」が「身元不明者」という名に変わるのが、各都道府県警察の「身元不明相談リスト」である。


ためしに警視庁のホームページをのぞいてみよう。平成14年ごろから今年5月までの身元不明遺体の男女別リストが載っている。


発見された順に番号がつけられており、男女それぞれ670番台半ばまであることからみれば、この8年ばかりの間に警視庁管内だけで1200人以上の「行旅死亡人」が発見されたということになる。


ちなみに、警察庁が持っている身元不明死者の資料は1万7000人分くらいあるといわれている。


警視庁のリストのうち、直近の男性674番に関するデータはこうだ。


「平成22年5月14日ころ東京都北区浮間で発見。50~60歳。身長155~165cm 中肉、白髪、手術痕(下腹部)。 赤色チェック柄シャツ、ベージュ色ベスト、灰色ズボン、白色運動靴(25.5cm)。 所持品は煙草(パーラメントワン100S)、眼鏡 」


着衣と所持品の写真が掲載されている。


直近の女性675番については下記のような内容だ。


「平成22年5月18日ころ、東京都江戸川区上篠崎にて。 50~60歳 。身長150~155cm、中肉、白髪混じり、傷痕(下腹部)。花柄長袖シャツ、紺色Gパン、白色運動靴(25.5cm)。 血液型 B型」


ざっと、その他のリストをチェックしてみると、やはり中高年が圧倒的に多く、70歳~80歳とみられる方も、かなりいる。


こうした人が身元の判明しないまま、あと数十年すれば、100歳以上の所在不明のお年寄りの中に入ってくると思うと、暗澹たる気持ちになる。


孤独に最期を迎え、死亡届を出す人もないまま、長寿のお祝いの対象者の中に入ることになるのだろう。


その光と影のコントラストがあまりに強すぎるゆえ、「都会の砂漠」という使い古された言葉が、激しいリアリティを帯びて、よみがえる。


行方が分からない100歳以上のお年寄りの数が、降ってわいたように毎日増え続けてゆく。


「父は家を出て行ったきり会っていない」「消息は分からないが母は弟のところにいるはずだ」


親への言葉とは思えない薄情さには驚かされるが、家庭や親子関係の事情は他人のわれわれには分かるすべもなく、常識という不確かなモノサシで茶飲み話として推し測るしかない。


そこでついつい、いつものように、このような社会をつくりだした下手人は誰だということに話は向かうのだが、この下手人探しこそ骨が折れる。


あえていうなら、筆者を含めた戦後世代の大人たちが、濃密な近隣関係を嫌って、プライベートな楽しみを重視したツケがまわってきていると見るべきかもしれない。


もちろん、そこには経済重視の政策や、テレビ、パソコン、携帯電話の普及など、人と人の絆を切り離す数々の要因を見つけ出すことも可能だろう。


100歳以上の所在不明者が続々と判明し、多少、平均寿命の信憑性に疑問符はついたが、日本が長寿大国であることには変わりはない。


いかに老い、いかに病を得て、いかに死すべきか。人の幸せを考えるうえで、その観点を避けては通れない時代となった。


国の社会保障、福祉政策にも、いくばくかの人生の哲理が求められよう。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)