本土メディアの論調に違和感を抱く沖縄の声 | 永田町異聞

本土メディアの論調に違和感を抱く沖縄の声

「日本の指導者の言葉が、これほど軽くなったことがあるだろうか」(日経)


「沖縄県民をはじめとする有権者に率直におわびすべきである」(朝日)


普天間移設の決着を5月末としていた鳩山首相が一昨日、「6月以降にまだ詰める必要があれば努力する」と語ったせいか、マスメディアの批判ははいっそう過激になってきた。


5月末断念。約束違反だ。軽薄だ。政治責任をどうとるのか。まだ5月末までに多少の時間があるというのに、マスメディアは「それ見たことか」とすでに総攻撃の準備完了といったところだ。


「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」。これが昨年衆院選にのぞむ党のマニフェストだ。どんな状況にでも対応できるよう、「方向」という言葉を添えてあらかじめ逃げ道をつくっていた。


鳩山首相も、ずるがしこく「見直しの方向で検討している」と言っておけば、自らを追い込まずにすんだ。


この人の美点であり、政治家としては欠点なのかも知れないが、ウソをつけない、素っ気なくできない。マイクを向けられればついつい、報道陣の仕事に配慮してサービストークをしてしまう。


これまでの首相のように結論を先送りして、とどのつまり沖縄に負担を押しつける不誠実は、自らの生き方として、避けたいことだったに違いない。


「日本の指導者が、これほど言質を取られることを恐れなかったことがあるだろうか」。鳩山側近あたりはそう日経新聞に言ってやりたいのではないか。


「有権者にお詫びせよ」と社説で扇情的に迫る朝日新聞に一昨日、「ひとごと本土 怒る沖縄」と見出しがついた記事があった。


地元の後藤啓文那覇総局長と、真鍋弘樹論説委員の署名入りだが、取材そのものは那覇総局がしたのだろう。


この記事で、ようやく朝日新聞に地元のナマの声が載ったと筆者は感じた。先日、鳩山首相に罵声が浴びせられた地元対話集会。そこで朝日の記者が出会った国政美恵という中年女性の意見。


<鳩山首相は沖縄に期待を抱かせた。沖縄の人がかわいそうだ>本土メディアで目立つそんな論調に国政さんは違和感を抱いている。


「私は今も鳩山さんには期待しています。県外移設を引き受けようとしない、痛みを受けとめようとしない本土の日本人に、がっかりさせられているんです」


このあと、記事は以下のような沖縄の思いも伝えている。


移設問題の行き詰まりから、地元では「沖縄差別」という言葉すら日常会話で飛び出すようになった。日本にとって沖縄とはいったい何なのか。思いは、島全体にさざ波のように広がる。


<自民党政権も世論も一向にこの問題に見向きもしてこなかった。自分たちのこれまでの無関心などなかったかのように一斉に政権批判している>(地元紙への投書)


もちろん、これらの意見は沖縄の全てではない。しかし、これまで、こうした具体的でリアリティある地元住民の声をメディアは積極的に、われわれ本土に住む人間に届けようとしてくれただろうか。


反対集会が開かれれば、その記事に沿う単純な怒りの声だけを取り上げてこなかっただろうか。


今日の朝日に、沖縄県民を対象にした基地問題についての世論調査結果が掲載され、首相案に「反対」76%と見出しが躍っている。鳩山内閣への支持率も23%と低い。


朝日社説は、この調査で県外移設賛成が、昨年の38%から53%に上昇したことについてこう論じる。


「基地集中と過重な負担が政権交代でやっと改善されるのではと期待したのに裏切られようとしている。その失望と怒りが最近は『沖縄差別』という言葉となって噴き出してもいる」


とうとう鳩山首相は朝日新聞に「沖縄差別」の犯人にまでされてしまった。


「自民党政権も世論も一向にこの問題に見向きもしてこなかった」という、長年の思いの宿る県民の投書とくらべ、何と近視眼的なものの見方であろうか。


朝日新聞はまず、世論形成に大きな力を有するメディアとして、「これまで世論がこの問題に見向きもしてこなかった」という県民の悲嘆の声にどう答えるかを考えるべきだろう。決して、他人事として片付けてはならない。


そして、県外移転賛成の住民が増えたこと、すなわち住民の期待値が上がったことを、日米合意見直しにチャレンジする鳩山政権の「功」とするか、寝た子を起こした「罪」とするか、見解を明確にして論を進めるべきだ。


首相をはじめ閣僚経験者の少ない政権を「シロウト内閣」と斬って捨てるのは簡単だ。自民党と蜜月関係を築いていた官僚は記者たちにあれこれ不満、不足を漏らすふりをして、「政治主導」にケチをつける材料を吹き込むだろう。


しかし、なれ合い政治の「クロウト衆」がさんざん好き勝手をし、この国を傾けたからこそ、「シロウト」に国民は託したのだ。


江戸末期、長州ではクロウトであるはずの武士階級が戦いの役に立たず、農民、町民らの「奇兵隊」が活躍した。明治維新の諸改革は、薩長の下級武士ら政治のシロウトが、当初はほとんど国家プランもなく、欧米に学びつつ、試行錯誤の末に成し遂げたものだ。


800兆円もの借金、官僚組織の野放図な自己増殖、13年かかって除去できなかった普天間基地の危険。すべて、半世紀をこえる自民党長期政権が残していったツケである。


それをいったん更地にして建設し直すのならまだしも、複雑に入り組んだ巨大な古家を8ヶ月で改造しようとすれば、神業にすがるほかない。


鳩山政権はこの支えがたいほどの重荷といま格闘しつつ、坂道を登ろうとしている。


坂の上まで登りきれるかどうかは未知数だが、せめて次の総選挙まで、われわれはこの「未知数」に賭けてみたい。後戻りは真っ平ごめんだ。


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