「政権交代は手段にすぎない」という虚言 | 永田町異聞

「政権交代は手段にすぎない」という虚言

保守合同で自民党が生まれた1955年からかぞえて54年。1993年にたった一度だけ実現した非自民連立政権は、むりやり8つの党や会派がくっついただけだったため、あっという間に瓦解した。


それから、さらに15年のときを経て、民主党という政党が成長し、ようやく自民党、民主党という二つの大政党から、国民が政権を選択できる時代になった。


迫りくる衆院総選挙が、その歴史的な政権選択選挙だ。日本の政治史上、はじめて、実質的に国民が総理大臣を選ぶことができる。


選挙を前に、この重要な事実を我々は忘れないようにしたい。


これまでは、自民党の衆院議員数が圧倒的に多く、自民党のトップがそのまま総理大臣になった。


自民党という一つの政党の総裁選が事実上の、総理大臣選出選挙であり、自民党本部で決まったことが日本の政策になった。


国会は、自民党にとって、国対族を中心に法案を強引に通す場所であり、官僚とともに野党議員の顔を適当に立てながら論戦パフォーマンスを繰り広げる舞台に過ぎなかった。


自民党というコップの中で、派閥に推された政治家たちが権力争いに明け暮れ、総裁選に投票権のないわれわれ国民は、その政治ショーをテレビで見て、なんとなく政治に参加しているように錯覚させられてきた。


結局は、それも自民党内での政権たらいまわしに過ぎなかった。内閣改造や、総裁選で、何かが変わると期待させられながら国民は、半世紀以上の自民党政権を許容してきた。


その間に、政・官・業の既得権のしがらみがこの国の政治に絡みついて、ときの政権は何をしようにも身動きできず、目くらましの改革で急場をしのいできた。


いま、自民党は、政権にあぐらをかき進歩への改革と努力を怠ったがために苦しんでいる。


そして、民主党の「政権交代」のスローガンに対し、「政権交代は手段に過ぎない」と反論し、その言葉のもつ意味を薄めることに躍起となっている。


小選挙区制を導入して二大政党制をめざした政治改革は、それまでの一党独裁や、与野党なれあいの戦後政治体制をぶっ壊すことが目的だったはずだ。


二大政党が切磋琢磨して、まっとうな政策論争をし、国民がどちらかを選択する。その結果が良くなければ、次の選挙で別の政党に機会を与える。


それによって、政党は自己改革に励み、国民の側に立ってものごとを見るようになる。


政権交代可能な政治体制をつくりあげるのは国民の責任である。そのためには、自民党に対抗する政党を育てなければならない。


政権を担ったことがないから不安だというのでは、この国の政治は永久に変わらない。


もう、国民は政治に受身でいることは許されない。成熟期から衰退期に向かうこの国には、新たな国家観、生活観が必要であり、そのための新しい政治が求められる。


「政権交代」は、単なる手段ではなく、政権担当能力のある二大政党を国民が育成するための第一歩であることを肝に銘じたい。


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