「大政奉還」は自民党復活への道を開く
昨日の自民党代議士会。「大政奉還」せよと、若手代議士、古川禎久が、目前の麻生首相に迫った場面は、テレビで繰り返し放映された。
かつて私設秘書として仕えた鳩山邦夫を裏切った麻生首相への私怨があるとはいえ、思い切ったことを言ったものだ。
「大政奉還」を、どういう意味で使ったのか。徳川慶喜が統治権を明治天皇に返上した日本政治史上の大事件を、今にあてはめるならば、誰に統治権を戻すのか。
常識的には主権者である「国民」ということになる。この国の憲法がそう定めているからだ。
江戸期には当然のことながら「国民」という概念はなかった。全国統治は、天皇から将軍へ委任されたものであるという江戸後期の学説が、天皇への「大政奉還」という形を生んだ。
国民に現政権が統治権を返すとすれば、どのような手法で返すのか。まずは、麻生首相が解散する権利を誰かに「奉還」しなければならないだろう。
とすれば、現実の政治における具体的なやり方としては、麻生首相が内閣総辞職をして、政権を野党第一党、民主党に渡し、民主党が選挙管理内閣をつくったうえで解散、総選挙をするというのがスジとなる。
そして、主権者たる国民に選ばれた議員たちが、国会で首班を指名することによって、国民の主権が行使されることになる。
むろん、麻生首相にそんな潔さがあるとは思えないが、国民の意思と無関係に、自民党内で安倍、福田、麻生の三代にわたり政権をたらいまわししてきた自民党の反省をこめ、自らいったん野に下って、選挙に臨むほうが、国民の支持を得られやすいのではないか。
今、自民党に求められるのは、敵対する政党のスキャンダル探しでもなければ、政権を担った経験がない事実をもって「政権担当能力がない」と吹聴することではない。
1955年以来、細川と羽田内閣の約10ヶ月を除いて半世紀以上も政権の座にある自民党は、あまりに長い政権党の独占によって、自らを大きな利益集団に変え、その既得権の呪縛によって身動きの取れない守旧的政党に成り果てている。
自民党をぶっ壊すといって登場した小泉純一郎に、国民が喝采を送ったのは、壊して自民党を再生してくれるという幻想を抱いたからである。
「自民党をぶっ壊す」。これしか、自民党再生の方法はない。にもかかわらず、麻生首相はこれまでの自民党を必死に守ろうとし、自らへの批判に対しては笑ってごまかしているように見える。そこに、国民は不信を抱いている。
自民党に求められているのは「反省」と「自己改革」であり、そのために「一から出直す決意」である。
古川禎久が発した「国民の懐深くに帰り、保守政党の原点に戻るべきだ」という言葉を、個人的な恨みつらみをこえて、麻生首相は真正面から受け止めるべきではなかったか。
「何の大政をどう奉還するのか分からないが、若い方々には緊張感がある」と、いつもながら茶化したような麻生節は、多くの心ある国民の耳には嫌味にしか聞こえないだろう。
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