日本メディアの多様性のない怖さ | 永田町異聞

日本メディアの多様性のない怖さ

ありえない話だが、もし、北朝鮮の核実験を日本のマスコミが無視したら、北朝鮮はショックだろう。


もちろん、北朝鮮の地下核実験は許されるものではない。マスコミは多少、大げさな報道になるのも仕方がない。


ただし、日本の怒り、恐れを期待して、核実験という挑発をするのだから、それにマスコミが乗れば乗るほど、北朝鮮の思う壺であることも間違いない。


ここに自由な言論社会のジレンマがある。人間にとって自由は最も重要な価値の一つだ。それだけに自由にはバランスの取れた自己規制も求められる。


新型インフルエンザ報道も、過熱気味だった。ほかに大きなニュースがなかったこともあって、マスコミは連日、関西のマスク群集を撮影し、ウイルスの気味悪い顕微鏡写真とともに流し続けた。


その結果、生まれ出たのは、関西の空気はウイルスに汚染されているといった誤ったイメージだ。


当然、神戸、京都、大阪への観光の足はピタリと止まり、関西経済は短期間に破壊的なダメージを受けた。経済危機はますます深刻になり、広告収入に依存するマスメディアの経営にも響くだろう。


メディアは、本来ならそれぞれが違う見方を国民に提示し、相互に批判しあうことによって、全体としてのバランスがとれていく。それなら情報を受け取る側も一方向に偏ることがない。


ところが、日本のマスメディアは、数だけ多くても、中身はほぼ同じだ。みんなと同じなら安心、違っていたら心配、という日本人の横並び意識が、真にクオリティーのある媒体の誕生を阻害している。


スクープといえば、たいがいは捜査機関や官僚や大物政治家への夜回りで得られる早耳競争であり、取材相手に都合よくメディアが利用されるケースも多い。もちろん、そんな活動の中から世紀の大スクープが生まれる可能性を否定するものではない。


しかし、たとえ記者クラブで発表された官庁ネタであっても、お役人の説明通りに記事にせず、同じネタを別角度から洗いなおし、独自調査を加えて眺めてみれば、まったく違った真実が見えてくることもあるだろう。その発見を、そのまま書けばスクープになる。


日本のメディアが、BSやCSの多チャンネルにいたるまで全国紙と系列の民放各社、NHKの寡占状態になっていることは周知の通りだ。そして、それら大メディアは地下茎で権力とつながり、既得権を享受し、新規参入者を排除するギルド社会を構成する。


その既得権死守の象徴的人物が読売グループ会長、渡邉恒雄で、今般、厚労省の分割案を、麻生首相に提案して、またまた物議をかもしている。


公称1000万部の発行部数と、傘下のメディア集団の威力、そしてマスコミ界における発言力と、大物政治家への影響力。そのせいか何か知らないが、麻生首相は素直に、まことに素直にナベツネさんの持論、厚労省分割案に飛びついた。


振り返ってみれば、ポスト福田を自公が模索していたころ、麻生太郎を日本テレビに呼びつけて、後継者に適任かどうか品定めをしたのもナベツネさんだった。


選挙の目玉にもなりそうもない政策だが、永田町や大手町のムラ社会からは、世の中がいまひとつよく見えていないようだ。


2年ちょっと前、筆者がブログを書き始めるきっかけとなったのが、某新聞社の編集幹部とのこんな会話がきっかけだった。


筆者 「いまの時代、締め切りに追われて忙しい新聞記者より、インターネットで丹念に情報収集している人間のほうが、面白い記事が書けるかもしれないね」


編集幹部 「絶対そうですよ。現役の記者は毎日、官庁の記者会見で時間を割かれ、夜討ち朝駆けで疲れて勉強するヒマもないですからね」


20年近く、ものを書く仕事から離れていた筆者は、ブログという小さなメディアで、頭のリハビリのつもりで、文章を綴り始めた。


筆者は新聞記者時代、社会部に所属していた。当時は社会部帝国主義といわれ、「社会部にあらざれば人にあらず」という空気が編集局にみなぎっていた。事件、事故など警察ネタ中心が嫌だった。


筆者は、事件呼び出し用のポケットベルの電源を切り、人間ドラマが書ける街ダネを捜して歩いた。今から考えると、警察ネタでも、切り口を変えれば人間の本質に迫る記事が書けたかも知れない。


ブログに挑戦するにあたって、何をテーマにするか考えた。なぜか「政治」に決めた。硬派の政治ネタを、どう料理できるか。それを試してみたかったのだと思う。


どう書くべきか、いつも迷いながらパソコンに向かっている。これでいいと思って投稿したはずなのに、ブログの記事を読み直すのは怖い。間違ったメッセージを発信していないか。ものの見方がズレていないか。


読んでくれる人が増えるほど、怖さは募る。それでも、書くという作業そのものは楽しい。


話がえらく脱線してしまった。かつて、マスコミに身をおき、やりがいと失望を味わった経験を持つ者として、報道に対して言いたいことが膨らみ、それがタラタラとあふれ出てしまったとご理解いただきたい。


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