金正日重病説で気になる軍部の動き | 永田町異聞

金正日重病説で気になる軍部の動き

かねてから健康不安説が絶えなかった金正日総書記の「Xデー」とその後の混乱を想定し、中国の情報機関はかなり以前から水面下で、日本や韓国の対応などについて情報収集を続けていたらしい。


今回の「脳卒中」報道は、どこまで深刻なものか判然としないが、糖尿病や心臓病を患い、一時は認知症説まで飛び出した人物だけに、かなり重症であることも疑われる。


事実上「権力の空白」が生まれている可能性もあるだろう。中国に同調して北朝鮮の延命をのぞむ米国は「北朝鮮有事」のさい、中国・米国を中心とした「国連平和部隊」を投入する提案をしていたとさえ言われる。


米中が恐れるのは「体制崩壊」による政権内部の対立、内乱などだろう。後継の指導者が決まらぬまま、金正日にもしものことがあれば、軍を政治基盤とする「先軍政治」の国家体制において、人民軍の突出も懸念される。


建国60周年の軍事パレードに人民軍主力が参加しなかったのは何を意味するのだろうか。北朝鮮はもはや社会主義経済が崩れ、人々は闇市場で中国の商品を売り買いして命をつないでいる。


拝金主義が蔓延して、政権中枢部はワイロで腐敗。表面的には規律を保っていても、人心は荒れている。実質的には崩壊同然の国家が命ながらえているのは、崩壊を食い止めることが国益だと考える他国の援助があるからだ。


米国は経済支援を本格的に復活させるためテロ支援国家指定の解除に動いたが、北朝鮮側が核関連施設の立ち入りなどに抵抗、核施設の無能力化作業の中断を表明し、一時は「テポドン」発射準備の観測も流れた。こうした経緯からも、北朝鮮人民軍の動きを金正日ら首脳部が掌握しきれていない実態がうかがえる。


後継体制が確立できず、7月以降、独裁者の重病情報が漏れはじめたなかで、軍部が六カ国協議を無視して“暴走”し始めたのではないだろうか。


金日成から金正日への政権移譲は、1974年、党中央委第5期第8回総会で金正日が政治委員に選出されてから、1994年に金日成が亡くなるまで、20年にわたる権力の“分担”によりおこなわれた。


金正日はなぜか、そうした長期にわたる後継者養成の方法をとらなかった。息子たちを信頼していないのか、それとも永久に自らが独裁者として生きられると信じていたのだろうか。


7月以降、金総書記の対外活動は「第2号」「第3号」と呼ばれる代役が務めていたという報道もある。ひょっとしたら、自分のクローン人間をつくって後を継がせたいというのが金正日の夢なのかもしれない。独裁者はそれだけ自己愛が強いということだろう。                       (敬称略)


*より多くの方に読んでいただくため、よろしければクリックをお願いします↓

Blogbanner2 人気ブログランキングへ