麻生太郎に野中広務が“宣戦布告” | 永田町異聞

麻生太郎に野中広務が“宣戦布告”

元自民党幹事長、野中広務は政界を引退したはずだが、いまだに全国土地改良事業団体連合会の会長として利権を握り、政治への影響力を保っている。


彼がこのところ苦々しい思いでいるのは「麻生太郎待望論」が自民党内にはびこり始めたからだ。甘利明に続き、麻生太郎の盟友、中川昭一も「何も発信しない首相ではだめだ」と“福田降ろし”の声を上げて、党内にはキナ臭い空気が漂っている。


野中広務はたまらず、24日早朝のTBS「時事放談」のなかで、麻生太郎に“宣戦布告”した。「麻生さんではダメです。もしそのようなことがあったら、私自身のことに関してでも、国民の皆さんに明らかにするつもりです」


筆者は野中の私怨をその言葉から感じた。麻生がかつて野中に放った言葉の矢。そのときの怒りをいまだ水に流していないようだ。


2001年4月、森喜朗の退陣表明を受けた総裁選で、連立与党内から野中を推す声が強まった。もし野中が出れば圧倒的に有利とみられたが、彼はそれを固辞し橋本龍太郎を担ぎ出した。


ジャーナリスト、魚住昭は自著「野中広務差別と権力」のなかで、「永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼(野中)が政界の出世階段を上がるたびにそれを妬む者たちは野中の出自を問題にした」と書いている。


おそらく、野中はそういう背景を考慮して辞退したのだろう。「自分が出馬したら橋本派が分裂する」と危惧したともいわれる。


一方、麻生太郎はそのときの総裁選に出て、小泉純一郎、橋本龍太郎と戦った。党大会の前日、大勇会(河野グループ)の会合で、麻生は当然その場にはいない野中を名指しして言い放った。


「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」


野中はその話を伝え聞いたが、その場はじっとこらえて胸にしまいこんだ。やがて2003年の総裁選で小泉打倒を画策して失敗。引退を決意してのぞんだ自民党総務会の席上、政調会長だった麻生に向かって野中が激しい言葉を投げつけた。


「君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずはないんだ。私は絶対に許さん」麻生は何も答えず、うつむいていたという。


森喜朗もそうだが、麻生の弱点の一つは、余計な発言が多いということである。民主党の話に関連して、「ドイツはナチスに一度やらせてみようということで政権を与えてしまった」と言ったのはつい先日の話。日本と中国のコメ価格を比べ、「どっちが高いかは認知症患者でも分かる」という昨年7月の発言も、“デリカシー欠乏症候群”の兆候がくっきりあらわれていた。


麻生が愛してやまないマンガは日本が世界中に輸出した誇るべき文化だ。サブカルチャーというが、その影響力は「サブ」を取り除いてもいいほど大きい。なによりも、エンタテイメントを楽しむ脳にジワリと一定の思考パターンや情緒をしみ込ますことができる恐ろしい情報武器なのである。


世界中に生まれたポケモン世代は“日本人の心”を潜在意識に植え付けられて大人になった。ユーロ高で日本への旅行が格安になったヨーロッパの若い女性がどっと東京へ押しかけ、ジャニーズの関連グッズを買いあさる光景は、ひと昔前にはとうてい考えられないことだった。


麻生が注意しなければならないのは、この漫画カルチャーのしみついた麻生自身の発言が、ともすればインパクトのある単語を使って分かりやすくしようという「サービス精神の罠」に落ちることだ。


野中はときに、歌舞伎役者を思わせる大時代な節回しで喋る。「時事放談」での発言は、似つかわしくないほどサラリとしていて、かえって不気味だった。


魚住昭はこうも書いている。「この国の歴史で被差別部落出身の事実を隠さず、権力の中枢までたどり着いた人間は野中しかいない。ようやく山頂にたどり着こうとしたところで耳に飛び込んできた麻生の言葉は彼の半世紀にわたる苦闘の意味を全否定するものだったに違いない」


麻生は「国民の皆さんに明らかにする」という何やら脅迫めいた野中の言葉をどう受けとめるだろうか。デリカシー欠乏症を早期に治しておかないと、野中のような難敵をさらに増やしかねない。百鬼夜行の政界で戦い抜くことはいかにも難しい。                       (敬称略)


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