トニー・ブレアのスーツケース | 永田町異聞

トニー・ブレアのスーツケース

トニー・ブレア氏は、首相官邸を盟友ブラウン氏に明け渡し、引越し荷物を運び出した後、自らスーツケースを持って地元セッジフィールド行きの電車に飛び乗った。

ブレア氏は、明るい豊かな表情、パフォーマンス、そしてウイットのきいた巧みな演説で、人々を惹きつけるチャーミングなリーダーだった。イラク戦争でアメリカに追従したことが10年間も続いた政権の命取りになったが、やはり今でも彼の人気は健在だ。

今月27日、英国議会で最後のクエスチョンタイムに臨んだ彼はまるで映画の主人公のようだった。

野党、保守党のキャメロン党首が「首相とご家族の今後の幸運を祈ります」と柔和に語りかけ、論戦の場が休戦ムードに包まれると、ブレア氏は「ありがとう」と笑顔を見せた。

そして「みなさん、これで終わりです」と答弁を終え、席に戻ろうとしたとき、与野党を問わず全議員がスタンディングオベーションでこれまでの労苦をねぎらった。

首相の座を退くとともに下院議員も辞職した。英国では首相が退陣した後、上院議員に鞍替えするのが慣例だが、その選択はしなかった。

中東和平を仲介する米国、欧州連合(EU)、国連、ロシアの4者が「中東特使」に任命したからだ。電車で選挙区に戻ったあとの演説会で、特使を引き受けたことを正式に表明した。

ワシントン・ポストによると、ブレア氏の中東特使任命はライス国務長官のアイデアらしい。過去2カ月にわたり水面下で関係国との調整が続けられてきたという。

まだ54歳。政治家として働き盛り。特使任命はその実力を国際社会が評価している証だが、なぜ中東特使か、という疑問符はつきまとう。「大量破壊兵器」のガセネタを信じ、「ブッシュのプードル」と揶揄されながらもアメリカとともにイラク侵攻をし、多くのアラブ人犠牲者を出したことは、紛れもない事実である。

米国の最大の同盟国であるとはいえ、ブッシュ大統領にブレーキをかける役目も果たせたはずだ。当然、イスラム諸国の中には彼に対して憎悪の念を持ってる人も多いだろう。

米国報道官によると、ブレア特使はイスラエルとパレスチナの和平プロセスには直接関与しないという。中東和平を仲介するライス国務長官、ブッシュ大統領を側面から支援する役割なのだとか。何と気になる任務だろう。

イスラム原理主義組織ハマスのガザ地区制圧で、パレスチナがガザ地区と穏健派ファタハ統治下のヨルダン川西岸に事実上分裂し、イスラエルとパレスチナの関係が新たな局面を迎えている状況の中で、アメリカはブレア氏に何を期待しているのか。

イスラエルとファタハを軍事的に支援し、ハマスを殲滅する片棒を担がされるのだったら、この役目は引き受けないほうがいいかも知れない。イラクと同じ失敗を繰り返し、憎しみの連鎖をより深刻にする恐れがある。

ブレア氏は自国が抱える難問「北アイルランド紛争」の解決に奔走し、今年5月には敵対関係にあったプロテスタント系「民主統一党」とカトリック系「シン・フェイン党」による自治政府復活にこぎつけて、30年以上におよぶ紛争終結への道筋をつけた。

これは卓越したコミュニケーション能力を遺憾なく発揮したブレア氏の大きな功績である。「賢者の知恵」の所産と言ってもいいだろう。

中東特使として旅立つ、そのスーツケースには憎しみの連鎖を絶つ「賢者の知恵」が詰め込められるだろうか。