自らの栄光を守りぬくナルシスト、小泉純一郎 | 永田町異聞

自らの栄光を守りぬくナルシスト、小泉純一郎

もともと大蔵族議員である小泉純一郎は、財務省と自らコトを構える気などつゆほどもなかった。根っからの改革者と思ったら大間違いだ。彼は自民党のトップの座にたどり着くための戦略として、「改革」を旗印に掲げ、「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」とぶち上げて、旋風を巻き起こした。このときのキーパーソンは、小泉の応援団長として付き添った田中真紀子だった。ぶっ壊す「自民党」のターゲット、最大派閥・橋本派の橋本龍太郎は小泉・田中連合にあえなく敗れ去り、真紀子の父、角栄のつくった軍団はその後、衰退に向かう。首相になった小泉は、田中真紀子と袂を分かち、改革の推進者として竹中平蔵を選んだ。自らは改革の矢面に立たず、経済財政諮問会議を司令塔に仕立てて構造改革路線を突っ走る竹中を後押しした。その一方で、財務省からの出向秘書官、丹呉泰健と飯島勲筆頭秘書官を、財務省とのパイプ役として巧みに使い、官邸と霞ヶ関、党内のバランスを保つ現実的政治手法を駆使した。つまり、小泉にとって「改革」は必ずしも「目的」ではなく、政治的栄光に到達するための「手段」であった。栄光のピークは2005年、郵政解散の後の総選挙で、小泉劇場の熱狂により歴史的大勝利を飾ったときだ。小泉はナルシズムに酔いしれた。彼の鋭い直感は、これ以上の栄光が自分の人生に訪れることはないと悟っていた。こういうとき人間は所詮、エゴイストだ。引き際を間違えると、せっかくの栄光が色あせる。そのまま政権の座にいては霞ヶ関改革を迫られる。これに自ら手を突っ込む気はもともとない。持論としていた郵政民営化法案の成立をやり遂げると、翌年の総裁選には出馬せず、安倍晋三に最も困難な霞ヶ関改革を託した。安倍がこの改革に手をつけようとして、官僚のサボタージュにあい、閣僚スキャンダルのリークにより、“憤死”したことは記憶に新しい。首相の座を降りた小泉は、できるだけ表に出ないことによるある種の「神格化」を企図した。国民にいいイメージを植え付けたまま姿を隠すことによって、カリスマの姿を追い求める大衆心理をかきたてる。その効果で、しばらく国民の人気は持続した。しかし、所得格差や医療や年金の崩壊など、小泉改革がもたらしたと喧伝される負の側面がマスコミで強調され、エスカレートするにしたがい、小泉や中川秀直ら「構造改革派」の旗色は悪くなり、所属する町村派の実質的支配者、森喜朗は麻生総理実現に動いた。麻生は折にふれて竹中平蔵の構造改革論を攻撃することにより、小泉路線を批判してきた。小泉が麻生を快く思うわけはない。しかし、だからといって中川秀直や小池百合子らを引き連れて自民党を割って出るという蛮勇をふるえるような国士ではない。彼は考えただろう。今度の総選挙に出馬して、議員活動を続けたなら、必ず政界再編の波にのみ込まれる。そのときに再びこの国に小泉旋風を起こす力が自分に残っているだろうか。無理をすれば過去の栄光に泥を塗るだけではないか。いまの小泉改革への批判の風など、時がたてば去る。ここは、いくばくかの惜しむ声があるうちに身を退くべきではないか。中川秀直は、総裁選で小池百合子を応援するよう小泉に直談判したさい、小泉の意思を感じ取っていたようだ。「総裁選の日に、“そんなことはないでしょうね”と聞いたら、“いやいや”と手を振っていた」と総裁選期間中、小泉に抱いた不安を吐露している。小泉は、総選挙が迫り、後援会などが臨戦態勢に入ったところで引退を告げ、次男を後継者に指名した。政治一家の古くからの世襲の手法である。小泉純一郎の政界引退についての評価は様々だろう。「卑怯だ」「がっかりした」という人もいれば、「引き際の美学」をほめそやす人もいる。しかし、いずれにしても自民党の利益誘導型政治家を弱体化させ、ムラ型選挙基盤を破壊して、ポスト小泉時代の自民党選挙に危機感をもたらしたことは小泉の大きな功績であろう。自民党がまっとうな政策で勝負しない限り、民主党に勝てないという状況は、大いに歓迎すべきことである。もう千両役者は姿を消し、劇場は幕を閉じた。総選挙での与野党の活発な政策論戦を期待したい。                 (敬称略)*より多くの方に読んでいただくため、よろしければクリックをお願いします↓↓Blogbanner2人気ブログランキングへ