親子教室へ行かなくなった、私とアラジン。

この頃は2歳前。基本的に、あまりご機嫌で過ごしてくれることはなかったアラジンです。
夜泣きも3歳過ぎるまで続いていました。

朝から、グズグズが始まるのでアセアセ
いち早く準備をし、眠たい目をこすりお出掛けしていました。

向かう先は児童館か、公園、電車見学などでした。
日中ほぼ、外出DASH!

その日も児童館へ。
朝イチから来ているママさんたちは、偶然にも男の子のお子さん連ればかりあせる
ママさんとお話すると耳

「夜泣きとグズりがひどくて…笑い泣き

この言葉をよく聞きましたあせる
やっぱり、男の子は育てにくいにくいのかな…
なんて考えていると…ポーン

お部屋から飛び出していこうとするアラジンハッ
1歩遅かった私アセアセアセアセアセアセ
ドアを開けないように、さえぎっていたブロックをなぎたおしたアラジン滝汗
近くには一歳ぐらいの小さなお子さんが滝汗
瞬時に気がついた先生がお子さんを抱っこ!!

「ぎゃーーあせるあせる

ブロックには当たらなかったけど、ビックリして泣き出す子供。
部屋には泣き声が響きます。



ただただ、謝る私。
一瞬目を離した私が悪かった。
アラジンを怒りたいけど、知らんぷりして逃げていきます。
謝らせたいけど…それも出来ない。
なにも分かっていないアラジン。

謝ってその場をさるしか出来ない私。

この日から、小さな子供の集まる場所は怖くなり徐々に児童館からは遠ざかる私。
公園にもなるべく、人の少ない所を見つけて行ったりしていました。


疲れて家で過ごしたいなぁって思っても、家にいるととにかく泣いて、泣いて…笑い泣き

ご飯を食べているとき。
DVDをつけているとき。
寝ているとき。

これ以外はまともに過ごせてなかったといっても、過言じゃなかったです。

家で追いかけて来て、泣いていたのでそれが後追いだとその時は思っていたのですが。
今思えば、それもこだわりがそのこの頃から出てきていたのかもしれないなぁ…っと。

いつもいている場所にママがいないとか…
このタイミングでは、ないとか…
細かいこだわりが、グズりになっていたように思います。

それを感じた出来事が。
友達とランチに行ったときにありましたパスタ
交代でトイレに行ったとき男性トイレ女性トイレ
お友達の子供たちは、ママ と離れるときにはこの世の終わりぐらいに泣いていました。

アラジンはというと…
ベビーカーで知らんぷりしょんぼり

「アラちゃんは大人しく待っててくれて賢いね~ほっこり

なんて…ママ友さんには言われたんですがあせる
ほんとは状況把握が全くできてないわけでえーん
この頃はママという認識ではなく、私の事を便利な道具ような存在だったのだろうと思いますダウン


毎日のように家ではグズるアラジン。
行き場のない毎日でした。

パパに愚痴っても、なかなかずっと見ていないと伝わらない大変さ。

愚痴られ続けて、パパも本当にうっとおしかったと思います。
でも、聞いてもらいたかったんです。
一番の理解者でいてほしかった。


この日もずっと、アラジンは泣いていました。
二時間ベビーカーで散歩もしました。
でも、寝ないし…機嫌も最悪。

なんとか泣き止んで欲しくて、本を持って話しかけました。
効果なんてなにもなく、ひたすら泣いて…泣いて。

精神的に限界だった私。

バン!?
「いい加減にして!!

絵本を投げ叫んでしまいました。
アラジンに本気に怒ったのは、それが初めてでした。

もう、何も聞きたくなかったです。
耳が聞こえなくなればいいのにって、思ってしまいました。

その後、本当にメニエール病になり耳が聞こえなく聞こえなくなりました。

宗教とか霊的な世界とかおばけくんそんなのは、全然信じてない私ですが。
言霊とか人の思いとか…
その時はあるのかなぁ……なんて、思いました。



泣いているアラジン。
耳をふさぐ私。

そこへパパが帰ってきました。

パパ「泣いてるけど、どうした?」
ママ「何しても泣き止まない…本投げてしまった」

パパ「壁傷ついてる。投げるのはダメだろ」


アラジンと壁を心配するパパ。
私の事は視界に入っていないかのよう。



パパとの溝はこの頃が一番ひどかったです。