今日6月23日は沖縄戦が終結したとされる慰霊の日、沖縄県民にとってはとても大切な日です。



この日が近づくと、沖縄戦で亡くなった母方の祖父や叔父、南方戦線で軍医として戦死した父方の伯父の事を思い出します。



当時、平壌医専の学生だった父方の伯父は、医師になってからは1度も故郷、宮古島の地を踏むことなく、24歳という若さでフィリピンの先遠くソロモン諸島で戦死しました。
    



残念ながら伯父の最期を見た人はいません。
大きな戦闘の時に、生きていたら集まろうと約束した場所に伯父は現れなかったのです。




昭和20年3月29日
終戦迄わずか4ヶ月前です。



南方に旅立つ際
「畑を売って迄、医大に通わせてくれた父母に親孝行する事なく旅立つ事が無念だ」
そう泣きながら話していたと、戦後わざわざ宮古島まで訪ねてきてくれた医専の同級生が父に話してくれたそうです。



そして、伯父の墓には同級生の有志の皆さんが寄進してくれた碑が建っています。



でも、墓の中には遺骨はありません。



伯父の墓には父が生前、「1度は兄が戦死したと云われる場所に行きたい。」そう言って向かったソロモンで拾った石が眠っています。




伯父の命日とされる翌日、3月30日に生まれた私に、祖母や父がいつも伯父の話をしてくれた事が私が医学を志したきっかけになっています。




ただ、私自身は戦争を知りません。




でも、だからこそ毎年この日は、私達の大切な家族が、命をかけて守りたかった物はなんだったのか、命を繋いで貰った私達にはなにができるのか、それらを改めて考える日にしなくてはならないと思うのです。



色々な考え方はあると思いますが、刻々と変わる世界情勢のなかで沖縄は、日本は、どうやって自国を守り、大切な人を守り、どう進んでいくのが正しい事なのか




繰り返しにはなりますが、先の大戦で尊い命を落とされた方々が、何を考え、何を望み、どういう未来を想い描いていたのか、本当の「平和」とはなんなのかを今一度、冷静に考える必要があるのではないでしょうか。




沖縄以外では、慰霊の日がニュースになる事は少ないですが、沖縄での戦死者は、およそ20万人。その半数以上が、女性や幼い子供達を含む一般の県民だったことを知っていただけたらと。





今年も正午には、梅雨明けの青空の故郷を思いだしながら、沖縄に向かって黙祷を捧げたいと思います。