妊娠発表の際に、以前から子宮内膜症を煩ってい事も書かせてもらったところ
どのような治療をしたのか、日常生活でどんな事を気をつけていたのかなど
沢山の質問をいただいたので、お答えさせてください。


まず、私が子宮内膜症と診断されたのは14歳、中学校3年生の時でした。
初潮から数年たった頃から、どんどん酷くなっていく生理痛。
最初は痛いのが当たり前で、仕方のない事だと思っていたのですが
重い時は授業を受ける事も辛く、保健室で休む事も多くなってきました。


母がその事に気づいてくれて産婦人科を受診。
その時に伝えられた病名が『子宮内膜症』ステージ4のうちのステージ3
通常であれば前屈しているはずの子宮が炎症のため後屈し
小さいけれどチョコレート膿腫もあるとの事でした。


勿論、その当時の私には初めて聞く病名で、主治医の先生から
『このまま治療せずにいると
将来、子供を授かる事ができなくなるかもしれない』
そう言われても、どこか他人ごとのような気がするのと
将来の事よりも、月に1度、必ず襲ってくるこの辛い痛みから
早く解放してもらいたい、そんな気持ちでいっぱいでした。


なのですぐに治療を開始する事になりました。
きっと当時の主治医は、治療について色々と説明してくれたと思うのですが、
全く知識がなく、幼かった私は、殆ど理解できていませんでした。


その時に内服した薬は『男性ホルモン誘導体』
生理を止め子宮内膜の増殖を抑える『ホルモン療法』を開始したのです。
主治医から『もしかしたら、少し太ったり、ニキビができるかもしれない』
そう言われたのですが、『少し』なんだろう、そう軽く考えていました。



内服を開始してから3ヶ月、私の身体は激変しました。
体重は10kg以上増え、顔は化膿したニキビだらけになってしまったのです。
それは当時、那覇の高校に通い離れて暮らしていた姉が
久しぶりに帰省した時に私に気がつかないほどでした。


確かに内服中は生理が来ないので、辛い痛みからは解放されましたが
思春期の女子にはあまりにも重い副作用でした。
病気を治すつもりが、別の病気になってしまった。
そう感じてしまい、将来の子供なんかいらないとまで悩み
半年続けた時に治療を中止しました。



誤解のないようにしたいのですが
『ホルモン療法』は今でも内膜症の治療の基本です。
ただ、当時はその療法に使う薬が限られていて、選択肢が少なかったのです。



その後はモルモン療法の中でも
『偽閉経療法』という注射での治療もしましたが
骨量の低下の副作用があるため、3ヶ月で中止しました。
この療法も今では重症例を除いては、主流の治療ではありません。



少し長くなったので次へ続きます。