以前、間違えてアップしてしまった記事ですが、
今回、きちんと校正してアップしておきます。
後でアップする予定が、校正前に間違えてアップしてしまったようで、しかも既にコメントまで頂いていたようで大変お恥ずかしい…w
「リアル」(井上雄彦)6巻
俺甲で揉めやすい事の一つに「試合後の挨拶」があります。
「試合後の挨拶なんて、画面の向こうにも人がいる以上、当たり前のマナーじゃないか」
という人と
「挨拶なんてめんどくさい」
「挨拶しなかったくらいでブロックするなんて心が狭い」
という人がいますね。
私のブログの読者の方は俺甲を熱心にされている方が多いでしょうから試合後の挨拶をしない方はいないと思います。
そして、結論的にいえば、挨拶をしない理由は全くないのですが、それだけで終わっても面白くないので、「挨拶」の意味から掘り下げて考えてみたいと思います。
挨拶の意味とブロックに至る心理
「試合後の挨拶なんて、画面の向こうにも人がいる以上、当たり前のマナーじゃないか」というのはどういう事でしょうか?
挨拶=マナーであると言うだけでは同義反復になってしまいますので、何故、挨拶がマナーになっているのかを考えてみましょう。
挨拶というのは、心理学には「存在承認」をするものとされているようです。
存在承認とは相手の存在を認めることで、挨拶をする人はされる人に対して、「貴方という存在を認識していますよ」と挨拶で表現している訳です。
挨拶をされることで、された人は自分の存在に関する承認欲求が満たされることになります。
承認欲求は、
①存在承認
②行動承認
③結果承認
などに分かれますが、存在承認の欲求はその一番基礎の部分(承認欲求の中でも最も下位の欲求)に当たります。
俺甲の試合後の挨拶の場面に当て嵌めると、
試合後に挨拶がなく「無視された」「(対等な)プレーヤーとして扱われていない」と残念な気持ちになるのは、存在承認の欲求が満たされなかったためですね。
また、多くの場合、ブロックをする人は先に挨拶をしています。
その場合、自分は相手の存在承認をしているのに、相手が自分の存在承認をしてくれないという矛盾(認知的不協和)が生じており、その矛盾(認知的不協和)を解消するために、ブロックに指が動く訳です。
このように考えていくと、挨拶をしなかった場合にブロックするのは、狭量ではなく、むしろ自然な行動だということになりますね。
挨拶をしない人の心理
逆に試合後に挨拶をしない人はなぜ挨拶をしないのでしょうか?
①相手を実際に下に見ている
②挨拶することを面倒だと思っている
③俺甲で交流する気がない
④挨拶することを恥ずかしいと思っている
⑤俺甲に慣れていなくてどうしたら良いか分からない
など色々な可能性が考えられます。
こうして考えてみると、理由に違いはあれど、挨拶をしない方はプレーヤーとして未成熟ということになるでしょうね。
実際、俺甲の有力校、強豪校の方には試合後の挨拶をしない人は殆どいません。
有力校、強豪校の方は社会人として一定の地位にある方が多いと思いますが、挨拶の手間を惜しむことで嫌われるリスクがあること、嫌われて良い事がないことを骨身に沁みているからだと思います。
余談ですが、企業再生の現場で、まず挨拶を励行することから始めるという話を聞くことがあります。
これは綺麗事でも何でもなく、従業員間で相互に存在承認し合うことで、「個人」になっている従業員を「組織」として作り直すということでしょう。
トップ画像は、「リアル」(井上雄彦)という漫画からとってますが、実はこの典型的な場面だったりします。
このように社会で生きていく上で、挨拶は非常に重要なものですが、挨拶をきちんとする人でも、生まれた時から挨拶をきちんとできていた訳ではないはずです。
挨拶ができないからといって、小学生にガチギレする大人はいないですよね。
という訳で、挨拶をしない人がいてもある程度大目に見てあげても良いのではないかと思っています。
俺甲においても価値観は十人十色ですし、価値観が合わない場合は勿論あると思います。
実際、私も疲労投手や野手投手を意図的に使用し、かつ、対話の余地がない方については、ブロックしています。
これに関しては、当校の事情としてやむを得ないことと考えているので、いずれ別記事で説明しようと思います。
いずれにせよ、同じゲームをやっている仲間だという意識を持って、無意味に分断を煽ることのないようにしたいものですね。