Youtubeの動画で見つけたのですが・・・・・
わずか5~6秒の動画なのに題名どおり”思わず笑ってしまう”
下記画像をクリックすると動画になります。傑作でしょう!
犬種は、このワンコが「パグ」でいいのですかね?
随分ブログの更新をさぼっていたのです・・・・・スミマセン💧
昨日思い切りポメをモフモフしてしまった、久しぶりだな、この感触・・・・
実は北海道札幌市でデカポメを含めたポメ三頭と暮らしているれんじさんとは親しくお付き合いをさせていただいています。
そのれんじさんがなんとGWに秋田までおいでいただき、我が家にお立ち寄りいただき三頭と濃密なひと時の至福の時を与えてくださったのです。ポメをこんなに撫でたのは・・・・・もう昔の事で忘れてしまった。
このれんじさんが育てている三頭の内れんじ君は体重9キロ、まさにデカポメです。
他の二頭はいわば標準体重のようですが、この三頭との暮らしぶりをインスタで詳細に紹介している内容も素晴らしい物ですので、以下にリンクで紹介させていただきます。
以下の画像が当日の様子です。しかし・・・・・アラシが虹の橋を渡って今年の暮で14年になる。未だにこうした縁が続いているのも、アラシお前のおかげだよ・・・・・



昨日思い切りポメをモフモフしてしまった、久しぶりだな、この感触・・・・
実は北海道札幌市でデカポメを含めたポメ三頭と暮らしているれんじさんとは親しくお付き合いをさせていただいています。
そのれんじさんがなんとGWに秋田までおいでいただき、我が家にお立ち寄りいただき三頭と濃密なひと時の至福の時を与えてくださったのです。ポメをこんなに撫でたのは・・・・・もう昔の事で忘れてしまった。
このれんじさんが育てている三頭の内れんじ君は体重9キロ、まさにデカポメです。
他の二頭はいわば標準体重のようですが、この三頭との暮らしぶりをインスタで詳細に紹介している内容も素晴らしい物ですので、以下にリンクで紹介させていただきます。
Instagram オレンジポメのれんじ
以下の画像が当日の様子です。しかし・・・・・アラシが虹の橋を渡って今年の暮で14年になる。未だにこうした縁が続いているのも、アラシお前のおかげだよ・・・・・



私の愛犬 ポメラニアンのアラシは22年末に16歳で旅立ちました。
以下はその出会いから別れの日までの想い出を取りとめもなくなく書き綴りますが、これをアップする事がアラシの供養になればと願い、安らかに眠れと人生最良の友に捧げます。合掌。
【1・アラシとの運命的出会い】
平成22年末に16歳の愛犬を旅立たせた。ポメラニアンの小型犬のオスで名前を「アラシ」といった。幼少の時に縁あって私の家族となってから、共に暮らしたのは13年程であった。
子どもの頃から犬が好きであったが「室内で飼って最期まで看取る」のは初めての経験であった。
私のかけがえのない友であり、家族であり、宝物であった。
初めてアラシと会った時、彼はゲージ(キャリヤー)に入っていた。
あるお婆さんと二人で暮らしていたが事情で飼えなくなり、私のいた寺にもらわれてきたのだった。
初めてゲージ越しにアラシと視線があった時「赤い糸」を感じた、アラシもそうであったようだ。
すぐに私と仲良くなり私はこの友に夢中になった。当時の年令は3~4歳であったようだ。
それから程なくして今度はジャーマンシェパードの「セナ」が引き取られてきた、こちらはメスだが既に老犬であった。
これも私が育てる事にして、かくしてアラシとセナは同居生活を始めた。

夫婦だったと言えば夫婦のようであったが交尾はしていない・・・というか、出来ない。アラシは体重が7K、一方のセナは40Kを超えている。たまに挑む場面もあったが背が届かないし、セナに適当にあしらわれていた。
しかし、この二頭は仲が良くて抜群のカップルであった。アラシがやんちゃ坊主、セナは優しく見守る母親犬の風情であった。
シェパードのセナは訓練の行き届いた犬で散歩にリードは不要であった。こちらの側を離れずに、時に私を伺いながら歩を進める。これに対してやんちゃ坊主もリードをつけないので(散歩は裏山で車はこない)ず~と先まで走ってゆき、時々こちらに戻ってくる、こんな感じであった。
時に二頭がすこし先を進むのでひょいと物陰に私が隠れて、二頭をうかがう事もあった。気がついた二頭は私がいないので、それこそ脱兎の如く今来た道を引き返してきて私を探した。ほんのイタズラだったが、真剣な様子を見て悪い事をしたと反省した。
この山道では春先、孟宗竹の大きな筍が土の上に顔を出すのだがセナはその筍をガリガリっと齧った。
昼間は犬舎に入れていたが、私が出かけて帰ってくる車の音で帰宅を察知、それこそ二頭の歓迎のワンワンの声がすさまじかった。
遊びはもっぱらボール投げであった、遠く放り投げたボールを二頭が競争で追う。
その時は真剣に競い合っていたが、若いアラシに分があったようだ。
夏には近くの川に連れていっての水遊びもしたりした。
ある日、二頭がひょいと見えなくなった。
私が外出中に仲間が庭で遊ばせている内に見えなくなったのだと言う。
近所を捜索して一時間ほど、500m先の草むらにいたのを見つけて連れ戻したが、この500mほどを二頭がどの様に会話しながらウロウロしていたかを想像すると微笑ましくて怒る気にもなれなかった。
しかし、何事もなくて安心した。
おみやげに「豚足」を買ってきて与えると喜んだ。
セナは骨までガリガリと噛み砕いて食べるがアラシは骨が硬いのはポイと出して「柔らかいとこちょうだい」とこちらを見上げる。
【2・セナとの別れと死生観】
楽しい共同生活から二年ほどして、この生活に別れを告げる時がきた。セナが横になって立ち上がらなくなったのだ。食事も一切口にしない、老齢であったので私は死期を覚悟した。
それから二日間、時間のある限りそばで体をさすった、語りかけた。この犬の本当に終盤のみの付き合いであったが、お互いに十分心の交流をした。
三日目の朝、横倒しでもう動かなかった。老衰であった。
散歩でよく出かけた山道に土葬をした。碑を立てたが迷わず「聡明であった・・・・・」事を記した。
こうした時、つがいのアラシはどう変化するのか・・・・注意してみたが大きな変化は感じられなかった。
さて、動物の死であるが「従容として死につく」というか「死を平然と迎える」この姿に、ある種の威厳というか風格というか、大袈裟に言うと”神性”さえ感じるのは私だけであろうか。
人は死をうろたえて迎える事が多い。
「まだ死にたくない」「やり残したことがある」「残した家族が心配」等々だ。
私もそうなるかもしれない、だから人間なのだとも言えるかもしれない。
人として生まれたらその全員が等しく例外なく遭遇する出来事が一つだけある。
それは必ず「死を迎える」事である。ただ、その死を自分の物としては考えないのだ、よほど大病でもして入院でもしなければ。
悟りを得たと言われる高僧であっても死に際に「死にたくない」と言葉を発した例を聞いている。
これに対してセナの最期は静かに死を受け入れる、死にあたってバタバタしない崇高な生命の終わり方であったと私は思っている。

そうして私とアラシは二人きりの生活に戻った。この当時は室内飼育でなく屋外犬舎での飼育であった。私が外出から戻る、アラシの犬舎に向かう。
遠くから私をみつけたアラシは喜びを体全体であらわして当時は後ろ足だけで垂直に跳びあがって私を迎えた、20cmも跳んだであろうか。
この喜びのあらわし方・・・・・今朝以来の対面なのに、まるで十年ぶりに邂逅したように体全体で、心の底から喜びをあらわす。
これに負けるのだ、こんなに私を無条件に受け入れ、喜びを表現してくれる生きものは・・・・・・お前しかいない。
そして、十年ぶりの再会を味わうように私はアラシを抱きしめ、アラシは私の顔をペロペロと舐めるのであった。そしてそれを、毎日繰り返すのである。
ワンコが好きでない人には”異常”な風景であろう、しかしワンコ大好きにとっては”至福の時”なのである。
山道の散歩も今は二人、しかし彼は相変わらずわ~っと先に駆けてゆき時々思い出したように戻ってくるのであった。
そうした生活を送っていた時、私は秋田県に移住する事になった。アラシも連れて行く、これだけは譲れなかった。名古屋空港から空路アラシが先に秋田に向かった、当時8歳であった。
数日遅れて新幹線を乗り継いで秋田に向かう車中、初めての土地に向かう不安よりも”アラシに会える喜び”が大きく、僅か数日間であったが初めて離れて暮らした時に生ずる心の隙間に愕然ともしていてアラシの存在がいかに大きいのかを感じさせられたのであった。
【3・秋田に移住 新生活】
室内飼育が当たり前ともいえる昨今であるが、秋田にきてからもアラシは室外飼育だった。
というよりも・・・・・私は大の犬好きであるが”室内飼育”は考えたことがなかったし、経験もなかった。室内で飼うと体毛が食卓にとんでくる、それは犬は好きだが嫌だなと漠然と考えていた。
室内で飼うようになったのは、ある日の雷鳴であった。
ご存知の様に犬は大きな音が大嫌いというか、恐怖心すら覚えるようだ。雷鳴や花火の音に驚いて繋がれていた鎖をほどいて、高い塀を越えて行方不明になるケースすらあるのだと聞いた。
大きな雷の音であるから怖がってきたアラシを室内に入れた、室外では雷鳴を避けられない、ソファーの隅の音ができるだけ聞こえない環境に置いた。
アラシは元々室内保育のワンコだったのだろう、それからは室内に入りたがり私もそれを許した。
当初はまず立ち入り禁止地域を教えた、即ち居間の敷居を出た所で「ここはダメ」と物差しで床を叩く。それだけでよかった、頭のいい犬で居間からこちらには来なくなった。

しかし・・・・居間と隣接している食堂で食事をしていると「私は居間からでていません」とばかりに後ろ足のつま先がかろうじて居間に引っかかって、体の大半は食堂にあるという事が常態化、微笑ましくそれも許した。
この立ち入り禁止地域はその後徐々にせばまり、最後は仏間と寝室をのぞいて出入り自由となっていた。
【4・学習 そして叱られていじける】
さて、教え込むと飲み込みの早い賢いワンコであった。
私は趣味で庭の大半を畑(家庭菜園)にしている。
畑に入って蒔いた種や苗を荒らされたら困る。前回の室内と同じ方法であった。
まだ耕作前の畑の中央にアラシを呼び寄せると喜んでくる。
そこで、予め用意した板切れで地面を強くたたいて「ダメ、ダメ」と大きな声で言う、アラシは驚いて畑の外に出る、それだけでよかった。一応ここが畑と教えるために杭を立てロープで囲ったが、再びここに入る事はなかった。
それどころか、大好きなボール投げで遊んでいる時にボールが畑の中に入ってしまう事もある。
ボールを追っていたアラシは勢い余って畑に入る・・・・・とも思われたが、畑の手前で止まりこちらを振り向いて「(私は入れませんので)取ってきて」とばかりにして私を見上げる、絶対に入る事はなかった。
同じボール投げで畑の向こう側にボールが行ってしまったこともある。畑を突っ切れば早いが、彼は迂回して遠回りしてボールを追った。
頭のよいワンコであった。

ワンコの訓練(学習)であるが、これはワンコにも学習意欲があり教えると目を輝かせて覚えようとした。しかし、飼い主の根気も試させられる。
ワンコは学習したがっている。一つ覚えて褒めてあげれば、次の学習ができる。
大体がまず「お座り」「お手」「おかわり」「伏せ」といった所から始めるのだろうが、私は「お手」は重視しない。
私が一番身に付けさせて欲しいのは「待て」だ。
食べ物を目の前にしての「待て」もあるが、あらゆる場面で「ヨシ」と言うまでその姿勢を保つ事だ。
散歩の途中でコンビニで買い物がある。店内に入れる訳にはいかない。
この時、私はリードを付けたまま入り口脇で「待て」と命ずる。アラシはお座りか、時に伏せの姿勢になる。
そのまま買い物を終えて出てくるまで、その姿勢を保たせる。
これが身に付くと、どんな場面でも扱いが楽だ。

この訓練は、私は始めお座りしたアラシと向き合い、「待て」と言ってからまず後ずさりに二歩、三歩彼から静かに離れる。最初はすぐにこちらを追ってくる。
そこでアラシを元の位置にもどし、「待て」と言ってまた下がる。
また追ってくる、また戻す。
何度か繰り返す内に、動かない時期が必ずくる。
この時、最大限に褒めてあげる。
これ以上褒められないくらい褒めてあげる。
三歩が五歩、五歩が十歩、必ず進歩する。飼い主の根気がなにより必要だ。
すぐ追ってくるワンコを実は可愛いのだ。その可愛い気持ちが優先すると、失敗する。
繰り返すが、ワンコはいろいろ勉強するのが嫌いではない。
嬉々としてやろうとしているのだから・・・・・
思い出すと切なく物悲しい情景もある。アラシを叱った時だ。
こうした頭のよいワンコだったからメッタに叱る事はなかった。
しかし、私が農作業中につい私を求めて畑の中に足を踏み入れた事もあった。
まだ本格的な植え付けの前であるから被害はない、しかし、これを許せば最盛期に又畑に入る可能性がある。私は大きな声で叱って棒で地面を叩いた。
びっくりしたアラシは逃げ出して、今はほとんど使っていない犬小屋に入って恐縮、恭順の意を示す、さて、それからだ。

「分かればいいよ・・・・」とばかりに近づいた私を上目遣いに見て、小屋から出てこようとしない。
すっかりいじけている。怒られたのがよほどショックだったのだ。
「おいでおいで・・・・もう怒っていないよ」にも出てこようとしない、しかし、こちらの様子はうかがっている。
ついにはおやつを餌にようやく小屋から引きづり出した。
体を撫でてようやく元に戻るのだが、小屋から出た当初は尾の振り方にも元気がない。
「ハイ、反省しております。もう怒らないでね」このモードに完全になっている、これをみると”叱った方が悪い”とさえ思えてくる。
【5・この信頼感はなんだ】
私は秋田に来てしばらく勤めに出た。8時に家を出て、5時過ぎには帰宅する日課であった。
これは家人に聞かされた話だが「5時くらいからソワソワしだす」との事であった。私の帰宅が近いことを分かるのだ。
以前テレビでも同じような事を実験していた。
室内の犬の様子を隠しカメラで撮り、一方は主人の帰宅の様子をカメラで追い、これを同時並行で見せるのだ。
すでにワンコは主人が会社を出るところから何がしかの感触で帰宅を待つ姿勢に変わる。
主人が家に近づくにしたがってワンコの待つ姿勢に変化が現れ、ドアに主人が近づけばそれこそワンコは最高潮にテンションがあがる。
ところが、主人が「今日は飲み会」でまっすぐ帰宅しない日もある。この日は不思議だ、会社を出た時刻つまりワンコになにがしかの徴候がある時間に変化が全くでないのだ。
これを感じ取るインスピレーションというか、サイキックな能力がワンコにはあるらしいのだ。

さて、人間が飼うペットの双璧は犬(ワンコ)と猫(ニャンコ)だ。
勿論この他に小鳥、魚類、ハムスター、兎、中には蛇・トカゲのような爬虫類大好きもいるようだ。
このペットを家族同様に育てるのが当たり前になってきている、ここではワンコのみを採り上げるがこれはどうした事なのでしょうか・・・・・・
この人と犬の信頼感は何でありましょうか。
人と人は親友と言えども、兄弟と言えども些細なことで関係が崩れる例は沢山あるようだ。
しかし、この”生涯最良の友”は一途に忠実で、裏切ることなく、喜びを体全体で表し、お互いになくてはならない存在になっている。
ちょっと一時間ほど離れていてアラシと再会するとそれこそ「10年ぶりに会った」ように体全体で喜びを表し、しかもそれには裏がない。

人間同士はどうでありましょう・・・・・・言葉の裏に心の闇があります。
言葉とて口から出たものを真に受ける訳にはいかない事も沢山あります。
嫉妬、ひがみ、虚栄心、裏切り、慾、思想・信条、優越感や劣等感これらに抱かれて私たちは暮らしています。心が安まりません。
しかしこの全てにワンコは無縁です(やきもちは焼くようですが)。
無償の愛ともいえる一途な健気さにふれ、こちらの気持ちも浄化される。これが全てではないでしょうか。
【6・たくましいアラシ 心配かけるアラシ】
若い頃は(アラシも私も)朝は一時間も散歩を楽しんだ。
地域柄20分も歩けば秋田港であったので、早朝から釣り糸を垂れる人びとを眺めたり、毎朝行き交う散歩犬との交流も楽しんだ。
おかげで私もダイエットの必要もない体を保てた。
庭で放し飼いであったので散歩の必要はないのだが、外へ行くためのリードを見れば大喜びするのであった。
それは雪の日も雨の日も同様であった、なにしろこの散歩でウンチの排泄をするので欠かせないのである。行き先も日々コースを替えてというか、気分によって行き先はマチマチであった。私も起床は早い方であったので散歩の途中で日の出を迎える事も度々であった。
庭で放し飼い、自由に動き回っていたので脚の筋肉は盛り上がっていて逞しい脚をしていた。
ポメラニアンとしては大型で体重は大体7K程で、最初にペットショップにトリマーを電話予約でいったら「ポメは3K前後」と想定していた先方を驚かせた。
アラシが放し飼いになっていた庭は通りに面していてそこを散歩のワンコがたくさん通る。
アラシは決して他のワンコに吠えない、尾を振って親愛の情を示す犬だったので友達ワンコがたくさんいた。フェンス越であったがしばしの交友の姿がよく見られた。
中には逆にアラシに吠えかかるワンコもいたがアラシはいつもおとなしく、吠えられてもキョトンとしていた。


ワンコだけでなく新聞配達、宅急便等の人たちでワンコ好きな人からも可愛がられた。
しかし、郵便配達や他の用事で来るバイクの音だけは嫌いで吠えまくった。姿が見えなくなってもまだ吠えるほどであった。
時々は本当に幼い子どもを連れた親が、子どもを犬に触れさせたくてくる事もあった。私がいる時はフェンスから出して幼児に直接ふれさせ「この犬は絶対に噛まないから」と保証して触らせた。
ただし「犬の尾っぽを引っ張らない事」「犬によっては噛む犬があること」を教え込んだ。
犬に触れて”犬好き”になるきっかけになればと思ったのだ。
幼少時に犬で怖い目にあうと犬嫌いになるのでそれを避けさせたかったのだ。


アラシは「食べ物の待て」もしっかりとできる犬であった。
「待て」と言ってから鼻先にジャッキーを置いても「ヨシ」の声がかかるまで決して口にしなかった。
たまにフェンスの戸締りのミスから表を放浪することもあった。
愛されていた犬なのでそうした時は近所の人から「アラシがどこどこを歩いていた」と情報がもたらされた。
交通事故や大型の犬との遭遇もあるので急いで探しにでかけるが、こちらの姿を認めると駆けつけてきてすぐ捕獲できた。
実は普段は鎖でつながれている犬はこうした時「久しぶりの自由満喫」とばかりに飼い主が行けばいくほど逃げ回る犬もいる。こうした時は捕獲に苦労するらしいと聞いた。
だが半日の間”行方不明”になったことがあった。やはり戸締りの不備をついて外に出たようなのだ。
車で散歩コースや主だった所を探したが見つからない。
「交通事故」や「犬泥棒」まで想定して気が気でなかった、雨も降ってきた。
外が暮れてきてから電話で保護しているとの連絡をもらって駆けつけた。なんと散歩で行った事もない2K先の商店でお世話になっていた。丁重にお礼を述べて引き取ったが、首輪に連絡の電話番号を記入していたのが幸いした。
【7・ボール遊びが大好き】
アラシはボール遊びが大好きだった、私がボールを投げる、ダッシュして咥えて持ってくる。又投げる、ダッシュするの繰り返しだ。
時に私は投げる振りをして投げない。ダッシュしようとしてボールがないので、こちらに振り返って「早く投げろ」と唸る、こんな事を台本があるように繰り返す。
その内、地面をころがすのでなく低い位置で空中に放り上げる、それをダイレクトにパクッと口でキャッチする、これも台本通りだ。
投げられた先で咥えてきてこちらに戻るがすぐには私に返さない、こちらが口から取りにゆくのを待っている、これもいつもの遊び方であった。
犬には相当の知能が備わっている、咥えて帰ってきてボールをすぐに渡さずこちらに返すまで私をじらす。これを明らかに楽しんでいる。
本心は早く私に返してもう一度遠くに投げて欲しいのにだ。
このなんでもない戯れが私には楽しみであった、アラシも間違いなく楽しんでいた。
この遊びでのアラシの表情は真剣であった、いくつかを映像で残していて時に楽しんでいる。
【8・アラシの食事】
アラシの食事を聞いたら心ある愛犬家に私は非難を浴びたであろう。
ご承知のように昔の犬は残りご飯に味噌汁をかけたのが当たり前であった。
近頃は専用のドッグフード以外は与えてはダメとなっている。
犬には塩分をはじめ味のついたものはダメ、特にネギ(玉ねぎ)類は絶対にダメが浸透している。
このせいか最近の犬は長生きになった。
アラシも基本はドッグフードだが、三食の食事の度に私の食卓に同席した。そして、お座りをしてあの愛らしい目でこちらを見つめるのだ。
私は濃い味の物は避けたが自分の食料を分け合って食べさせた、これが実は絶対に避けなければならないタブーであった。
「カロリーの取りすぎ」と「ドッグフード以外の食物禁止」に引っかかる。


しかし私はこの習慣を継続した。
勿論この習慣でアラシの寿命を縮めるのは本意ではない、そうならない範囲を前提にだが・・・・・・
一つの食べ物を分け合って食べる、こんなに連帯感というか仲間意識を感じる場面は少ない。
それと例えは極端になるのだけれど・・・・・・例えば人が「宇宙食」さえ食べていれば今より10歳長生きできると言われて「チューブ入りの食料」が三食だったら果たして幸せであろうか。
犬は元々は「肉食動物」だ。
だから私の肉を与えるとガツガツと喰らう、時に口の中で噛み砕きに難儀しているが最後は平らげる、野生の姿に多少近い。
しかしドッグフードを食べている時のアラシに野生を感じることはない。私は最後までこの食事方法を崩さなかった。
時に与えすぎて食べきれない食物をアラシは庭に埋めていた。
鼻先で地面を掘り、そこに食料を置いてから土をかけなおす、これで秘密の食料庫完成だ。
しかし私の見逃しかもしれないが、ここから掘り出して再び食べる場面を見た事がない、物の本によれば埋めた先を忘れてしまう例もあるようだ。
これが犬の本能というものだろう、実に犬の食欲は旺盛、悪く言えば意地汚いほどもっともっとと食べ物をねだる。
食い意地がはっているという見方もできよう。
しかし遠く祖先をたどれば、食料の確保は生きてゆくための絶対・必要最低限の生存条件である。場合によって餓死もあり得るのだ。
どうも犬の祖先は人間の周りにいれば食料に不自由しないことを掴んだ、その為には人間に愛される事や人間の役に立つ事が必要だという事も学んだらしい。
かくして、人と犬は共存の方向に進んだ。
その延長線上に牧羊犬、狩猟犬が生まれ、更には盲導犬や災害救助犬、警察犬や麻薬の取り締まり犬まで活躍するに至った。
だがそうした環境でも飢えの恐怖は本能から絶えずある。今日は満腹食べられても明日の食料は保証されない事が刷り込まれている。
犬は意地汚いのではない。本能がそうさせるのだ。


【9・本当にお利口さんだった】
アラシは手間のかからない犬だった。
例えばそう頻繁ではなかったが風呂場でのシャンプー、おとなしく体を洗わせた。
結構頻繁なブラッシング、長時間はさすがにいやがるがおとなしくブラシを受けた。
時たま動物病院に行くのだが、病院の玄関でどうしても入りたくないと脚を突っ張って抵抗するワンコもみたがアラシは嬉々として入ってゆく。

ひとつだけ気がかりだったのは”花嫁”を与えられなかった事だ。私と暮らしてから交尾はゼロであった。
そのせいか時折こちらの脚に両手をからませ、腰を動かす事も再三あったが致し方あるまい。美男子だっただけに子孫を残してあげたかった。
このアラシは夏を迎える前は必ず毛を短く刈り込んだ。
暑い夏を快適に過ごさせる意味があったが、心臓への負担を少なくするために”そうせよ”との動物病院からの強い指導もあった。
大体6月に刈り込んで、11月には元に戻る、こんな感じであった。短く刈り込んだアラシはよく「柴犬」と間違われた。若々しくなってこれはこれで可愛い、しかし私はポメ本来の「小型ライオン」とでもいうフサフサの毛並みが本当は好みであった。
でも数年これを繰り返しているうちに「一粒で二度おいしい」キャッチフレーズを思い出し、この様相の変化も十分に楽しんだ。
*ポメ仲間の情報交換では「短く刈ったら戻らなくなった」もあった。アラシはそんな事はなく半年後にはフサフサになっていた。
アラシをよく外出に同行した、アラシも車が大好きであった。
助手席のシートで後足で立ち上がり窓を開けさせて外を眺めるのが好きであった。大潟村に菜の花と桜が咲く頃(ちょうどGWの頃)は毎年出かけていた。アラシの元には色々な人が寄ってきて「可愛い」「触らせて」と来るのが嬉しかった。またアラシもそうさせるのが嬉しいらしく、されるがままになっていた。
目が不自由になってからここ1~2年は留守番させることになったが、大潟村にくるとアラシの躍動的な姿を思い出す。
アラシの住む地元では7月20~21日が名の通った有名な祭りだ。山車が出てそこそこで秋田民謡、踊りが披露されて大変な人出となる、露店もビシッと並ぶ。ここにも必ず一緒に行った。

そこかしこで「可愛い」の声があがる、それが嬉しい。犬好きの人はかがみこんでアラシが顔をペロペロ舐めるのを許している。
露店で焼鳥を買い求め分け合って食べる、それを毎年繰り返した。

しかし出かける時に「アラシは留守番」の時も当然ある。それは雰囲気で分かるようだ。
犬によってはこの置いてきぼりの不満から普段はしないオシッコをしてはいけない場所でしたり、連れて行けと騒ぐ犬もいるらしい。
アラシはそんな事は一度もなかった。
今日は留守番なんだと分かるとおとなしく見送るのであった。
以下はその出会いから別れの日までの想い出を取りとめもなくなく書き綴りますが、これをアップする事がアラシの供養になればと願い、安らかに眠れと人生最良の友に捧げます。合掌。
【1・アラシとの運命的出会い】
平成22年末に16歳の愛犬を旅立たせた。ポメラニアンの小型犬のオスで名前を「アラシ」といった。幼少の時に縁あって私の家族となってから、共に暮らしたのは13年程であった。
子どもの頃から犬が好きであったが「室内で飼って最期まで看取る」のは初めての経験であった。
私のかけがえのない友であり、家族であり、宝物であった。
初めてアラシと会った時、彼はゲージ(キャリヤー)に入っていた。
あるお婆さんと二人で暮らしていたが事情で飼えなくなり、私のいた寺にもらわれてきたのだった。
初めてゲージ越しにアラシと視線があった時「赤い糸」を感じた、アラシもそうであったようだ。
すぐに私と仲良くなり私はこの友に夢中になった。当時の年令は3~4歳であったようだ。
それから程なくして今度はジャーマンシェパードの「セナ」が引き取られてきた、こちらはメスだが既に老犬であった。
これも私が育てる事にして、かくしてアラシとセナは同居生活を始めた。

夫婦だったと言えば夫婦のようであったが交尾はしていない・・・というか、出来ない。アラシは体重が7K、一方のセナは40Kを超えている。たまに挑む場面もあったが背が届かないし、セナに適当にあしらわれていた。
しかし、この二頭は仲が良くて抜群のカップルであった。アラシがやんちゃ坊主、セナは優しく見守る母親犬の風情であった。
シェパードのセナは訓練の行き届いた犬で散歩にリードは不要であった。こちらの側を離れずに、時に私を伺いながら歩を進める。これに対してやんちゃ坊主もリードをつけないので(散歩は裏山で車はこない)ず~と先まで走ってゆき、時々こちらに戻ってくる、こんな感じであった。
時に二頭がすこし先を進むのでひょいと物陰に私が隠れて、二頭をうかがう事もあった。気がついた二頭は私がいないので、それこそ脱兎の如く今来た道を引き返してきて私を探した。ほんのイタズラだったが、真剣な様子を見て悪い事をしたと反省した。
この山道では春先、孟宗竹の大きな筍が土の上に顔を出すのだがセナはその筍をガリガリっと齧った。
昼間は犬舎に入れていたが、私が出かけて帰ってくる車の音で帰宅を察知、それこそ二頭の歓迎のワンワンの声がすさまじかった。
遊びはもっぱらボール投げであった、遠く放り投げたボールを二頭が競争で追う。
その時は真剣に競い合っていたが、若いアラシに分があったようだ。
夏には近くの川に連れていっての水遊びもしたりした。
ある日、二頭がひょいと見えなくなった。
私が外出中に仲間が庭で遊ばせている内に見えなくなったのだと言う。
近所を捜索して一時間ほど、500m先の草むらにいたのを見つけて連れ戻したが、この500mほどを二頭がどの様に会話しながらウロウロしていたかを想像すると微笑ましくて怒る気にもなれなかった。
しかし、何事もなくて安心した。
おみやげに「豚足」を買ってきて与えると喜んだ。
セナは骨までガリガリと噛み砕いて食べるがアラシは骨が硬いのはポイと出して「柔らかいとこちょうだい」とこちらを見上げる。
【2・セナとの別れと死生観】
楽しい共同生活から二年ほどして、この生活に別れを告げる時がきた。セナが横になって立ち上がらなくなったのだ。食事も一切口にしない、老齢であったので私は死期を覚悟した。
それから二日間、時間のある限りそばで体をさすった、語りかけた。この犬の本当に終盤のみの付き合いであったが、お互いに十分心の交流をした。
三日目の朝、横倒しでもう動かなかった。老衰であった。
散歩でよく出かけた山道に土葬をした。碑を立てたが迷わず「聡明であった・・・・・」事を記した。
こうした時、つがいのアラシはどう変化するのか・・・・注意してみたが大きな変化は感じられなかった。
さて、動物の死であるが「従容として死につく」というか「死を平然と迎える」この姿に、ある種の威厳というか風格というか、大袈裟に言うと”神性”さえ感じるのは私だけであろうか。
人は死をうろたえて迎える事が多い。
「まだ死にたくない」「やり残したことがある」「残した家族が心配」等々だ。
私もそうなるかもしれない、だから人間なのだとも言えるかもしれない。
人として生まれたらその全員が等しく例外なく遭遇する出来事が一つだけある。
それは必ず「死を迎える」事である。ただ、その死を自分の物としては考えないのだ、よほど大病でもして入院でもしなければ。
悟りを得たと言われる高僧であっても死に際に「死にたくない」と言葉を発した例を聞いている。
これに対してセナの最期は静かに死を受け入れる、死にあたってバタバタしない崇高な生命の終わり方であったと私は思っている。

そうして私とアラシは二人きりの生活に戻った。この当時は室内飼育でなく屋外犬舎での飼育であった。私が外出から戻る、アラシの犬舎に向かう。
遠くから私をみつけたアラシは喜びを体全体であらわして当時は後ろ足だけで垂直に跳びあがって私を迎えた、20cmも跳んだであろうか。
この喜びのあらわし方・・・・・今朝以来の対面なのに、まるで十年ぶりに邂逅したように体全体で、心の底から喜びをあらわす。
これに負けるのだ、こんなに私を無条件に受け入れ、喜びを表現してくれる生きものは・・・・・・お前しかいない。
そして、十年ぶりの再会を味わうように私はアラシを抱きしめ、アラシは私の顔をペロペロと舐めるのであった。そしてそれを、毎日繰り返すのである。
ワンコが好きでない人には”異常”な風景であろう、しかしワンコ大好きにとっては”至福の時”なのである。
山道の散歩も今は二人、しかし彼は相変わらずわ~っと先に駆けてゆき時々思い出したように戻ってくるのであった。
そうした生活を送っていた時、私は秋田県に移住する事になった。アラシも連れて行く、これだけは譲れなかった。名古屋空港から空路アラシが先に秋田に向かった、当時8歳であった。
数日遅れて新幹線を乗り継いで秋田に向かう車中、初めての土地に向かう不安よりも”アラシに会える喜び”が大きく、僅か数日間であったが初めて離れて暮らした時に生ずる心の隙間に愕然ともしていてアラシの存在がいかに大きいのかを感じさせられたのであった。
【3・秋田に移住 新生活】
室内飼育が当たり前ともいえる昨今であるが、秋田にきてからもアラシは室外飼育だった。
というよりも・・・・・私は大の犬好きであるが”室内飼育”は考えたことがなかったし、経験もなかった。室内で飼うと体毛が食卓にとんでくる、それは犬は好きだが嫌だなと漠然と考えていた。
室内で飼うようになったのは、ある日の雷鳴であった。
ご存知の様に犬は大きな音が大嫌いというか、恐怖心すら覚えるようだ。雷鳴や花火の音に驚いて繋がれていた鎖をほどいて、高い塀を越えて行方不明になるケースすらあるのだと聞いた。
大きな雷の音であるから怖がってきたアラシを室内に入れた、室外では雷鳴を避けられない、ソファーの隅の音ができるだけ聞こえない環境に置いた。
アラシは元々室内保育のワンコだったのだろう、それからは室内に入りたがり私もそれを許した。
当初はまず立ち入り禁止地域を教えた、即ち居間の敷居を出た所で「ここはダメ」と物差しで床を叩く。それだけでよかった、頭のいい犬で居間からこちらには来なくなった。

しかし・・・・居間と隣接している食堂で食事をしていると「私は居間からでていません」とばかりに後ろ足のつま先がかろうじて居間に引っかかって、体の大半は食堂にあるという事が常態化、微笑ましくそれも許した。
この立ち入り禁止地域はその後徐々にせばまり、最後は仏間と寝室をのぞいて出入り自由となっていた。
【4・学習 そして叱られていじける】
さて、教え込むと飲み込みの早い賢いワンコであった。
私は趣味で庭の大半を畑(家庭菜園)にしている。
畑に入って蒔いた種や苗を荒らされたら困る。前回の室内と同じ方法であった。
まだ耕作前の畑の中央にアラシを呼び寄せると喜んでくる。
そこで、予め用意した板切れで地面を強くたたいて「ダメ、ダメ」と大きな声で言う、アラシは驚いて畑の外に出る、それだけでよかった。一応ここが畑と教えるために杭を立てロープで囲ったが、再びここに入る事はなかった。
それどころか、大好きなボール投げで遊んでいる時にボールが畑の中に入ってしまう事もある。
ボールを追っていたアラシは勢い余って畑に入る・・・・・とも思われたが、畑の手前で止まりこちらを振り向いて「(私は入れませんので)取ってきて」とばかりにして私を見上げる、絶対に入る事はなかった。
同じボール投げで畑の向こう側にボールが行ってしまったこともある。畑を突っ切れば早いが、彼は迂回して遠回りしてボールを追った。
頭のよいワンコであった。

ワンコの訓練(学習)であるが、これはワンコにも学習意欲があり教えると目を輝かせて覚えようとした。しかし、飼い主の根気も試させられる。
ワンコは学習したがっている。一つ覚えて褒めてあげれば、次の学習ができる。
大体がまず「お座り」「お手」「おかわり」「伏せ」といった所から始めるのだろうが、私は「お手」は重視しない。
私が一番身に付けさせて欲しいのは「待て」だ。
食べ物を目の前にしての「待て」もあるが、あらゆる場面で「ヨシ」と言うまでその姿勢を保つ事だ。
散歩の途中でコンビニで買い物がある。店内に入れる訳にはいかない。
この時、私はリードを付けたまま入り口脇で「待て」と命ずる。アラシはお座りか、時に伏せの姿勢になる。
そのまま買い物を終えて出てくるまで、その姿勢を保たせる。
これが身に付くと、どんな場面でも扱いが楽だ。

この訓練は、私は始めお座りしたアラシと向き合い、「待て」と言ってからまず後ずさりに二歩、三歩彼から静かに離れる。最初はすぐにこちらを追ってくる。
そこでアラシを元の位置にもどし、「待て」と言ってまた下がる。
また追ってくる、また戻す。
何度か繰り返す内に、動かない時期が必ずくる。
この時、最大限に褒めてあげる。
これ以上褒められないくらい褒めてあげる。
三歩が五歩、五歩が十歩、必ず進歩する。飼い主の根気がなにより必要だ。
すぐ追ってくるワンコを実は可愛いのだ。その可愛い気持ちが優先すると、失敗する。
繰り返すが、ワンコはいろいろ勉強するのが嫌いではない。
嬉々としてやろうとしているのだから・・・・・
思い出すと切なく物悲しい情景もある。アラシを叱った時だ。
こうした頭のよいワンコだったからメッタに叱る事はなかった。
しかし、私が農作業中につい私を求めて畑の中に足を踏み入れた事もあった。
まだ本格的な植え付けの前であるから被害はない、しかし、これを許せば最盛期に又畑に入る可能性がある。私は大きな声で叱って棒で地面を叩いた。
びっくりしたアラシは逃げ出して、今はほとんど使っていない犬小屋に入って恐縮、恭順の意を示す、さて、それからだ。

「分かればいいよ・・・・」とばかりに近づいた私を上目遣いに見て、小屋から出てこようとしない。
すっかりいじけている。怒られたのがよほどショックだったのだ。
「おいでおいで・・・・もう怒っていないよ」にも出てこようとしない、しかし、こちらの様子はうかがっている。
ついにはおやつを餌にようやく小屋から引きづり出した。
体を撫でてようやく元に戻るのだが、小屋から出た当初は尾の振り方にも元気がない。
「ハイ、反省しております。もう怒らないでね」このモードに完全になっている、これをみると”叱った方が悪い”とさえ思えてくる。
【5・この信頼感はなんだ】
私は秋田に来てしばらく勤めに出た。8時に家を出て、5時過ぎには帰宅する日課であった。
これは家人に聞かされた話だが「5時くらいからソワソワしだす」との事であった。私の帰宅が近いことを分かるのだ。
以前テレビでも同じような事を実験していた。
室内の犬の様子を隠しカメラで撮り、一方は主人の帰宅の様子をカメラで追い、これを同時並行で見せるのだ。
すでにワンコは主人が会社を出るところから何がしかの感触で帰宅を待つ姿勢に変わる。
主人が家に近づくにしたがってワンコの待つ姿勢に変化が現れ、ドアに主人が近づけばそれこそワンコは最高潮にテンションがあがる。
ところが、主人が「今日は飲み会」でまっすぐ帰宅しない日もある。この日は不思議だ、会社を出た時刻つまりワンコになにがしかの徴候がある時間に変化が全くでないのだ。
これを感じ取るインスピレーションというか、サイキックな能力がワンコにはあるらしいのだ。

さて、人間が飼うペットの双璧は犬(ワンコ)と猫(ニャンコ)だ。
勿論この他に小鳥、魚類、ハムスター、兎、中には蛇・トカゲのような爬虫類大好きもいるようだ。
このペットを家族同様に育てるのが当たり前になってきている、ここではワンコのみを採り上げるがこれはどうした事なのでしょうか・・・・・・
この人と犬の信頼感は何でありましょうか。
人と人は親友と言えども、兄弟と言えども些細なことで関係が崩れる例は沢山あるようだ。
しかし、この”生涯最良の友”は一途に忠実で、裏切ることなく、喜びを体全体で表し、お互いになくてはならない存在になっている。
ちょっと一時間ほど離れていてアラシと再会するとそれこそ「10年ぶりに会った」ように体全体で喜びを表し、しかもそれには裏がない。

人間同士はどうでありましょう・・・・・・言葉の裏に心の闇があります。
言葉とて口から出たものを真に受ける訳にはいかない事も沢山あります。
嫉妬、ひがみ、虚栄心、裏切り、慾、思想・信条、優越感や劣等感これらに抱かれて私たちは暮らしています。心が安まりません。
しかしこの全てにワンコは無縁です(やきもちは焼くようですが)。
無償の愛ともいえる一途な健気さにふれ、こちらの気持ちも浄化される。これが全てではないでしょうか。
【6・たくましいアラシ 心配かけるアラシ】
若い頃は(アラシも私も)朝は一時間も散歩を楽しんだ。
地域柄20分も歩けば秋田港であったので、早朝から釣り糸を垂れる人びとを眺めたり、毎朝行き交う散歩犬との交流も楽しんだ。
おかげで私もダイエットの必要もない体を保てた。
庭で放し飼いであったので散歩の必要はないのだが、外へ行くためのリードを見れば大喜びするのであった。
それは雪の日も雨の日も同様であった、なにしろこの散歩でウンチの排泄をするので欠かせないのである。行き先も日々コースを替えてというか、気分によって行き先はマチマチであった。私も起床は早い方であったので散歩の途中で日の出を迎える事も度々であった。
庭で放し飼い、自由に動き回っていたので脚の筋肉は盛り上がっていて逞しい脚をしていた。
ポメラニアンとしては大型で体重は大体7K程で、最初にペットショップにトリマーを電話予約でいったら「ポメは3K前後」と想定していた先方を驚かせた。
アラシが放し飼いになっていた庭は通りに面していてそこを散歩のワンコがたくさん通る。
アラシは決して他のワンコに吠えない、尾を振って親愛の情を示す犬だったので友達ワンコがたくさんいた。フェンス越であったがしばしの交友の姿がよく見られた。
中には逆にアラシに吠えかかるワンコもいたがアラシはいつもおとなしく、吠えられてもキョトンとしていた。


ワンコだけでなく新聞配達、宅急便等の人たちでワンコ好きな人からも可愛がられた。
しかし、郵便配達や他の用事で来るバイクの音だけは嫌いで吠えまくった。姿が見えなくなってもまだ吠えるほどであった。
時々は本当に幼い子どもを連れた親が、子どもを犬に触れさせたくてくる事もあった。私がいる時はフェンスから出して幼児に直接ふれさせ「この犬は絶対に噛まないから」と保証して触らせた。
ただし「犬の尾っぽを引っ張らない事」「犬によっては噛む犬があること」を教え込んだ。
犬に触れて”犬好き”になるきっかけになればと思ったのだ。
幼少時に犬で怖い目にあうと犬嫌いになるのでそれを避けさせたかったのだ。


アラシは「食べ物の待て」もしっかりとできる犬であった。
「待て」と言ってから鼻先にジャッキーを置いても「ヨシ」の声がかかるまで決して口にしなかった。
たまにフェンスの戸締りのミスから表を放浪することもあった。
愛されていた犬なのでそうした時は近所の人から「アラシがどこどこを歩いていた」と情報がもたらされた。
交通事故や大型の犬との遭遇もあるので急いで探しにでかけるが、こちらの姿を認めると駆けつけてきてすぐ捕獲できた。
実は普段は鎖でつながれている犬はこうした時「久しぶりの自由満喫」とばかりに飼い主が行けばいくほど逃げ回る犬もいる。こうした時は捕獲に苦労するらしいと聞いた。
だが半日の間”行方不明”になったことがあった。やはり戸締りの不備をついて外に出たようなのだ。
車で散歩コースや主だった所を探したが見つからない。
「交通事故」や「犬泥棒」まで想定して気が気でなかった、雨も降ってきた。
外が暮れてきてから電話で保護しているとの連絡をもらって駆けつけた。なんと散歩で行った事もない2K先の商店でお世話になっていた。丁重にお礼を述べて引き取ったが、首輪に連絡の電話番号を記入していたのが幸いした。
【7・ボール遊びが大好き】
アラシはボール遊びが大好きだった、私がボールを投げる、ダッシュして咥えて持ってくる。又投げる、ダッシュするの繰り返しだ。
時に私は投げる振りをして投げない。ダッシュしようとしてボールがないので、こちらに振り返って「早く投げろ」と唸る、こんな事を台本があるように繰り返す。
その内、地面をころがすのでなく低い位置で空中に放り上げる、それをダイレクトにパクッと口でキャッチする、これも台本通りだ。
投げられた先で咥えてきてこちらに戻るがすぐには私に返さない、こちらが口から取りにゆくのを待っている、これもいつもの遊び方であった。
犬には相当の知能が備わっている、咥えて帰ってきてボールをすぐに渡さずこちらに返すまで私をじらす。これを明らかに楽しんでいる。
本心は早く私に返してもう一度遠くに投げて欲しいのにだ。
このなんでもない戯れが私には楽しみであった、アラシも間違いなく楽しんでいた。
この遊びでのアラシの表情は真剣であった、いくつかを映像で残していて時に楽しんでいる。
アラシボール遊び
【8・アラシの食事】
アラシの食事を聞いたら心ある愛犬家に私は非難を浴びたであろう。
ご承知のように昔の犬は残りご飯に味噌汁をかけたのが当たり前であった。
近頃は専用のドッグフード以外は与えてはダメとなっている。
犬には塩分をはじめ味のついたものはダメ、特にネギ(玉ねぎ)類は絶対にダメが浸透している。
このせいか最近の犬は長生きになった。
アラシも基本はドッグフードだが、三食の食事の度に私の食卓に同席した。そして、お座りをしてあの愛らしい目でこちらを見つめるのだ。
私は濃い味の物は避けたが自分の食料を分け合って食べさせた、これが実は絶対に避けなければならないタブーであった。
「カロリーの取りすぎ」と「ドッグフード以外の食物禁止」に引っかかる。


しかし私はこの習慣を継続した。
勿論この習慣でアラシの寿命を縮めるのは本意ではない、そうならない範囲を前提にだが・・・・・・
一つの食べ物を分け合って食べる、こんなに連帯感というか仲間意識を感じる場面は少ない。
それと例えは極端になるのだけれど・・・・・・例えば人が「宇宙食」さえ食べていれば今より10歳長生きできると言われて「チューブ入りの食料」が三食だったら果たして幸せであろうか。
犬は元々は「肉食動物」だ。
だから私の肉を与えるとガツガツと喰らう、時に口の中で噛み砕きに難儀しているが最後は平らげる、野生の姿に多少近い。
しかしドッグフードを食べている時のアラシに野生を感じることはない。私は最後までこの食事方法を崩さなかった。
時に与えすぎて食べきれない食物をアラシは庭に埋めていた。
鼻先で地面を掘り、そこに食料を置いてから土をかけなおす、これで秘密の食料庫完成だ。
しかし私の見逃しかもしれないが、ここから掘り出して再び食べる場面を見た事がない、物の本によれば埋めた先を忘れてしまう例もあるようだ。
これが犬の本能というものだろう、実に犬の食欲は旺盛、悪く言えば意地汚いほどもっともっとと食べ物をねだる。
食い意地がはっているという見方もできよう。
しかし遠く祖先をたどれば、食料の確保は生きてゆくための絶対・必要最低限の生存条件である。場合によって餓死もあり得るのだ。
どうも犬の祖先は人間の周りにいれば食料に不自由しないことを掴んだ、その為には人間に愛される事や人間の役に立つ事が必要だという事も学んだらしい。
かくして、人と犬は共存の方向に進んだ。
その延長線上に牧羊犬、狩猟犬が生まれ、更には盲導犬や災害救助犬、警察犬や麻薬の取り締まり犬まで活躍するに至った。
だがそうした環境でも飢えの恐怖は本能から絶えずある。今日は満腹食べられても明日の食料は保証されない事が刷り込まれている。
犬は意地汚いのではない。本能がそうさせるのだ。


【9・本当にお利口さんだった】
アラシは手間のかからない犬だった。
例えばそう頻繁ではなかったが風呂場でのシャンプー、おとなしく体を洗わせた。
結構頻繁なブラッシング、長時間はさすがにいやがるがおとなしくブラシを受けた。
時たま動物病院に行くのだが、病院の玄関でどうしても入りたくないと脚を突っ張って抵抗するワンコもみたがアラシは嬉々として入ってゆく。

ひとつだけ気がかりだったのは”花嫁”を与えられなかった事だ。私と暮らしてから交尾はゼロであった。
そのせいか時折こちらの脚に両手をからませ、腰を動かす事も再三あったが致し方あるまい。美男子だっただけに子孫を残してあげたかった。
このアラシは夏を迎える前は必ず毛を短く刈り込んだ。
暑い夏を快適に過ごさせる意味があったが、心臓への負担を少なくするために”そうせよ”との動物病院からの強い指導もあった。
大体6月に刈り込んで、11月には元に戻る、こんな感じであった。短く刈り込んだアラシはよく「柴犬」と間違われた。若々しくなってこれはこれで可愛い、しかし私はポメ本来の「小型ライオン」とでもいうフサフサの毛並みが本当は好みであった。
でも数年これを繰り返しているうちに「一粒で二度おいしい」キャッチフレーズを思い出し、この様相の変化も十分に楽しんだ。
*ポメ仲間の情報交換では「短く刈ったら戻らなくなった」もあった。アラシはそんな事はなく半年後にはフサフサになっていた。
アラシをよく外出に同行した、アラシも車が大好きであった。
助手席のシートで後足で立ち上がり窓を開けさせて外を眺めるのが好きであった。大潟村に菜の花と桜が咲く頃(ちょうどGWの頃)は毎年出かけていた。アラシの元には色々な人が寄ってきて「可愛い」「触らせて」と来るのが嬉しかった。またアラシもそうさせるのが嬉しいらしく、されるがままになっていた。
目が不自由になってからここ1~2年は留守番させることになったが、大潟村にくるとアラシの躍動的な姿を思い出す。
アラシの住む地元では7月20~21日が名の通った有名な祭りだ。山車が出てそこそこで秋田民謡、踊りが披露されて大変な人出となる、露店もビシッと並ぶ。ここにも必ず一緒に行った。

そこかしこで「可愛い」の声があがる、それが嬉しい。犬好きの人はかがみこんでアラシが顔をペロペロ舐めるのを許している。
露店で焼鳥を買い求め分け合って食べる、それを毎年繰り返した。

しかし出かける時に「アラシは留守番」の時も当然ある。それは雰囲気で分かるようだ。
犬によってはこの置いてきぼりの不満から普段はしないオシッコをしてはいけない場所でしたり、連れて行けと騒ぐ犬もいるらしい。
アラシはそんな事は一度もなかった。
今日は留守番なんだと分かるとおとなしく見送るのであった。
【10・書物に感動 犬って何故にこんなに・・・・】
さて、私の愛読書に文藝春秋別冊「犬のいる人生 犬のいる暮らし」という雑誌がある(平成16年発行)。
主に有名人がこの雑誌のために書き下ろした愛犬物語は全部で73篇、いずれもが愛犬との想い出を書き連ねたもので、読んでいて微笑ましかったり涙する物語もある。


有名なところでは「南極に取り残されたタロ、ジロ」「上村直己の北極圏走破の犬橇の逸話」「忠犬ハチ公」「盲導犬クイール」等々があるし、有名人が犬に寄せる逸話を寄せたのは阿久悠、佐藤愛子、中村紘子、藤本義一、椎名誠、米原万里、久世光彦、堺屋太一、檀ふみ、新井満、黒鉄ヒロシ、西木正明、畑正憲等々多彩なメンバーだ。
へぇ~、この人も犬好きだったんだと、俄かに親近感が湧く。
この中でアラシと同じポメラニアンの想い出を語っているのは僅か二名、犬種としては「柴犬」が多いように思う。

ここで紹介する第一は藤本義一が書き残した「一家犬族」で紹介されるフランス系シェパードのアルファーが義一の父が亡くなった時の逸話である。喪に服す犬の情景である。
「・・・・・・父が病院で逝去し、遺体が担架で帰った時から、
アルファーは犬舎から一歩も出ずに四日間絶食して喪に服した。
四肢を少し曲げ、顎を板につけ、目を閉じ、排泄もせずに煎餅のようになったのだ。
誰にも吠えず、通夜、葬儀の間も沈黙し、
五日目にやっと母から粥を貰って徐々に体力を回復させていったものだ。
私は死をこれほど謙虚に受けとめる人間はいるだろうかと思った」
今ひとつ紹介するのも藤本義一のドイツ系シェパードのベーターの死にまつわる話である。
「ベーターは後年、腰部と後肢が動かなくなった。
呼びかけても、ただ薄っすらと目を開けているものの焦点が定まっていない。
15歳で天寿をまっとうする気配だった。
"もう間もなくだな"と私が家族に告げた夜明けに、
犬舎で尾っぽを振る音が聞こえた。午前三時頃だった。
そっと犬舎を見て愕いた。
腰もしっかりし、前肢を垂直に立て、人間で言うならきちんと正座した格好で
庭の楠の樹を仰いで、嬉しそうに目を細めているのだ。
少し開けた口からは舌の先がのぞき、上下に揺れている。
その目は楠の枝と葉と彼方の満月を見上げている。
私は息を呑んで見守った。ベーターの動作はつづく。
私は足音を忍ばせて書斎に戻った。なにか崇高な姿の生物を見た気がした。
樹霊と月の光に導かれている図であった。
その日の夜明けに、ベーターは横倒しになって息絶えていた。」
犬との別れを切なくあるいは淡々と語っているページが目立つ、心から離れないのであろう。
読んでいて涙なしには読めないページもたくさんある。
【11・かように無心なものが・・・・・】
「ハラスのいた日々」で有名な、作家の中野孝次も文を寄せている(著作はベストセラーで加藤剛主演で映画化もされている)。
ここでは犬によせる素朴な思いがあふれている。
「犬を飼っていたところで特別のことがあるわけではない。
それどころか、毎日の食事の世話とか、病気の心配とか、朝夕の散歩など、厄介なことの方が多いのだが、それでも私と妻が三十年も犬と共に暮らし続けてきたのは、犬というものが我が家にいることが、なんともいえぬ心の喜びを与えてくれるからであった。
それは一言で言えば、こちらの愛したいという本能を呼び起こす生きものがそこにいて、愛を受けとめ、向こうもまた正価でそれに応じる。そのへんの心の通いあいが何ともいえずいいということになる。人間どうしではなかなかそうはいかないのだ。」
わたしは三十年余犬と暮らしてみて、結局犬を飼いつづけてきた気持ちは「かような無心なものがなにより慰めになり申す」と、ある詩句のいう所につきると思うようになった。」
と言って詩人丸山薫の「犬と老人」を紹介している。
*丸山薫は詩人で大分県生まれ。1899~1974年。
詩人が子犬をつれて散歩に出ると坂の上から粗末ななりをした老人が下りてきて、立ち止まり「ほう、よい犬でごわすな」と誉め、珍しい犬種だとか、何を食べさせているかなどときく。
詩人がうるさがっていい加減にあしらっていると、ふしぎなことに犬のほうが親愛の情を示して、しきりに尾を振り老人にとびついてゆき、節くれだった老人の手で撫でられて喜んでいる。
そして老人がふいにこう言ったというのだ。
「老齢(トシ)でごわすなあ」ふいに思い余った吐息をして老人がいった。
「かような無心なものがなにより慰めになり申す
女房は墓になりました
子どもは育って寄りつかん
世間には憂きことばかり
終日働いて帰ると、かようなものがじゃれついてくる もうそれだけで疲れは忘れるでごわすよ」
その言葉は不思議な滋味を滴らした・・・・・と詩人が語っている。
【12・アラシに老いの徴候が・・・・】
さて、こうした楽しい日々を過ごしている内にアラシに老いの徴候が見え始めた。
アラシの老いを感じたのは先ず行動だった。
車で一緒に出かけるのが大好きで、ハッチバックを開けそこを手で叩くとピョンと飛び乗っていた。高さはどうだろう、60cmほどだったろうか。
まず、それが失敗する様になった。
もう一つも車に関わる出来事だが、助手席に乗っていざ目的地に着くと運転席の私の膝上に移動、ドアを開けるとパッと飛び降りていた。それが飛び降りて、地面でずっこける様になってきた。
身体的には眼の白濁だった。ある時、私の膝に前足をかけこちらを見上げた瞳が白くなっていた、この車での失敗と眼の濁りは同時期だったと思う。

この頃から、あんなに好きだったボール遊び(投げたボールをダッシュして追いかけ、咥えて戻ってくる)に興味を示さないようになり、ボールを転がしても知らん振りをするようになった。
病院で目薬をいただき、点眼を続けたが進行を止めるまでに至らず15歳前後からほぼ失明した。
一般的に犬の白内障は遺伝的な病気なので、専用の目薬で緩和できる程度で直らないようだ。
手術をする専門医もいるようだが、麻酔による合併症の心配と、かなり費用が高額だと聞いている。しかも、手術は体力のある若い内が限度で、年老いての手術は危険なようだ。
サプリメントで視力が回復したとの例もあるようですが、私は試してはいない。
さて、失明してからだが・・・・
人間の途中失明よりは不自由はないと専門家にきいた。つまり、嗅覚である程度補えるとの事のようなのだ。
しかし、なにかと言えばぶつかって歩く姿を見るのは痛々しい。
元気な時は遠くにいる私を見つけて駆け寄ってきたのに、今は近づいて身体に触れるまでわからない・・・・
実は眼の病気が明らかになってきた頃から、嗅覚も衰え、耳も遠くなってきた。加えて、歯もだいぶ抜け落ちた。ま~完全な老人(それも後期の)となっていた。
昼間は庭で放し飼いなのだが、しばらく外出して帰ると”行き先を見失って”植え込みに頭を突っ込んでじーっとしている姿などは、見ていて涙がでた。
今日は降るまいと思った日に急に雨になり、急いで戻ったら立ち尽くしてビショ濡れの時もあった。


人間の途中失明よりは不自由はない・・・と聞かされていたものの、例えば食事の時に私の足許に来る。すこしづつ私の食べ物を与える、暫くすると次の食べ物を求めて移動するが、それが全く方向違いの場所に行ってじーっと待っている。
抱きかかえてこちらに戻すがワンコとて不自由さにかわりはない。
【13・老いて関係は濃密に】
加えて病気の進行も安心できないものであった。
多少肥満気味で、獣医からはダイエットを強く言われていたが、心臓肥大、腎臓機能低下が特に言われその影響でガチョウが鳴くような咳き込んだ声がひどくなっていた。
ついに22年の初夏は庭で苦しそうにのた打ちまわり、病院に運び込んでICU収容の入院となったが幸い回復した。獣医からは「いつ、なにがあっても、おかしくない」と脅されており不安は尽きない状態であった。

毎朝晩の薬の投与は欠かせないし、必要に応じた診察も頻繁だ。しかし、病院の前で入るのいやだと駄々をこねる他のワンコを尻目に、大喜びで入ってゆくのは喜ぶべきか・・・・・悲しむべきか・・・・・
室内では居間を自由に歩き、好きな所で寝ていたが一年ほど前から寝た場所がグッショリ濡れてきた。そうひどくはないが失禁しだしたのだ。
当然体毛の一部も汚す、その後は寝場所を定めてトイレシートの上に寝かせている。
さて、その”寝る”だが一日の大半が寝て過ごす事になってきた。
元々よく寝るのだがそれに拍車がかかった。
食事や接触の時間を除くとほぼ横になっている、う~~ん一日2時間程が起きているって感じだろうか。


さて、これはどうしたことでありましょうか。誤解を怖れずに言えば今は「喜びを与えてくれるより、世話する手間の方が多い」のです。
さて、こうなると私とアラシの喜びはなんでありましようか・・・・・
それが又濃密なのであります。
もっとも変化したのは”抱っこ”でありましょう。
若い時に抱っこをすると”遊びたいから早く降ろせ”とばかり暴れたのですが、近頃は腕の中でじーっとしております。時にはそのまま寝てしまいます。
「身を委ねる・・・・」ということでしょうか、安心しきって膝の上、腕の中におります。
そうしながら頭を撫ぜ、身体を撫ぜていると、私の心も安らぎます。
時に膝の上でグッスリ寝こみ、頃合を見計らって寝場所に移しますが全く起きないほど寝ています。信頼しきってくれていると私も嬉しい限りです。

この頃はドッグフードの食器は私の「手の平」であります。皿に盛っても場所が分からなくなるせいもあるのですが、一度これを始めたらやめられなくなりました。
体毛を汚したオシッコの始末も苦になりません。もっと介護が必要になる日が遠くないかもしれません。

この人と犬の信頼感は何でありましょうか。
人と人は親友と言えども、兄弟と言えども些細なことで関係が崩れる例は沢山あるようです。
しかし、この”生涯最良の友”は一途に忠実で、裏切ることなく、喜びを体全体で表し、お互いになくてはならない存在になっています。
【14・老犬もまたよし・・・・】
平成22年・・・・・・
この年、夏の暑さは異常ともいえる暑さでしばしば35度を超えることもあった。すでに老年の域に入っていたワンコにとって厳しい夏であった。
アラシは日中はエアコンのきいた室内で過ごし、暑さのやわらぐ朝晩は庭に出たが「この夏を越せるか!」と心中は思っていた。なんとか夏を乗り切ったが歩く姿もヨボヨボしてきて老人そのものだった、前にもまして時間があれば寝ている時間が増えた。
寝ていたあとがグッショリしだしたのは前にも記したが、この先介護が必要になる事も心の中で準備した。

この頃はもう滅多に「ワン」と声を出す事もなかったし、庭でのオシッコも片脚を上げるのではなく用をたすようになった。
ある日アラシの姿が見当たらない。かってもそう言うことはあったが、若い時にフェンスを抜けて表を探検にいった元気は今はない。たいして広い家ではない、しかし見つからない。
思案にくれていた時、久しぶりに「ワン」の声が聞こえた。声の方向にいた!
居間から庭に出る境いにゴーヤ(ニガウリ)を毎年植える。背丈は3mにも達し、なにより葉を猛烈に繁らす、これが夏の日除けになるので幅5mもネットで誘引してゴーヤのジャングル(は大袈裟だが)になるのだが、そのジャングルに迷い込み、しかもネットに手足をとられていたのだった。
助けを求めるため久しぶりに「ワン」と叫んだのだった。

この当時はもう全く目が見えないので、畑の境界を示すロープを超えて畑に入り込む事もあった。若き日に怒られた事例だ。しかし、もう怒る気などない。作物に多少の被害があったとて、それがなんであろう。今大事なのは必死に生きているお前だ。
私は畑の中にいるアラシを宝物のように抱えて戻すのであった。
大分年老いたが見た目は最後まで若々しかった、知らない人が見たら外見だけでは老犬には見えなかった筈だ。しかし側にいる私には眉毛やひげが白髪になった、歯がだいぶ抜け落ちた、歩き方が弱々しいなど老いの徴候は顕著であった。
朝の散歩にこの頃は時々程度の頻度で連れ出した。以前のようにリードをグイグイ引いたり、小高い植え込みの土手にピョイと飛び乗る元気さはもうない。
しかし叢の臭いを嗅ぎながら散歩をユックリと楽しんでいる。
老犬とつきあうと若々しい頃のあのエネルギーはもう感じようもないが、落ち着いた”戦友”とでも言うべき関係になっているのに気づき「老犬もまたよし」の思いを強く感じたものだ。
この頃はやはり「あとこの幸せがいつまで・・・・・」と時々思わずにはいられないのであった。
一方でもしこの宝物がいなくなったら・・・・・・の恐怖感をも感じさせるのであった。


【15・いよいよ別れの日が・・・・この想い出シリーズ(完)】
さて、いよいよその日が来た。平成22年12月1日であった。
この日いつものように朝起きてから抱きかかえて庭に出すのだが、腕から降ろしても腰が崩れて立てない。しばらく様子をみたがどうも下肢に力が入らない。体が崩れてしまう。
急いで室内に戻り寝床を調えるが涙が溢れて止まらない。
”ついにその日を迎えた”と確信せざるを得なかったのだ。
私の判断で病院には連れていかなかった。
病院で点滴その他の治療を受け入院すれば数日最後の日が永らえたかもしれない。
しかし、最後を私と離れて病院で亡くなるのは耐えがたかった、アラシもそうであろうと確信していた。
この日は極力私が抱いていた。
この日に何度か「ワン」と声をあげた、久しくきいていない声であった。ぐったりして起き上がることさえしないのに、最後の力を振り絞るように鳴いた、吠えた。
抱いて、抱いて、身体を撫ぜた。アラシもこちらに身をまかせている。
夜の10時半、抱かれたまま苦しむ事もなく、眠るように息を引き取った。寝顔は安らかであった。
不慮の事故で亡くなる犬もいる、さっきまで元気だったのに急に命の灯火が消える犬もいる。
それに較べれば最後の一日もず~っと一緒だった私は幸せだ、この腕の中で息絶えたアラシも心安らかなはずだ。そう思おうとした。
実は家人が11月に入院して16日に手術を受け病院から帰ってきたのが11月30日であった。アラシが空路秋田に着いたときに迎えに出たのも彼女だ。私が勤務中は彼女が面倒をみてくれていた。
アラシも私が主人である事は認めながら、彼女に一目おいていた。当然である、身の周りのことはお世話になっている。
この彼女が退院するのを待っていたように、彼女の姿を見てから亡くなったのであった。
翌日に親しくしていた仲間に会葬してもらい、又寺の住職にも来てもらい読経をしてもらって冥福を祈った。

埋葬であるが生前にそう話していたとおり「自宅庭に土葬」とすることにした。
最近はワンコでも火葬、骨上げが一般的であるようだが、幸いにも庭が広い。ここに墓を手づくりして埋葬することにした。

埋葬場所は私が今この文章を打っているパソコン机(居間)から、首を右に曲げれば見える場所にした。
さて私はアラシを最後の犬と以前から決めていた。
一つは私の年令だ、この先15年も元気な犬を飼えば私は80歳になる。最後まで面倒をみきれるか、場合によっては犬を残してゆくこともあり得る。
もう一つはアラシが全くに非の打ち所のない犬であったことだ。
この先どんな犬を飼おうと「アラシならこうであった」「アラシだったら・・・・・」と比較してしまうであろう。これは酷なことだ。
ペットロスを解消するのは新しいペットを飼うのが一番とも言われる。私にペットロスの症状がない訳ではない。しかし私はもう犬は飼わないであろう。
少女めいた事をいうようで気が引けるが「アラシとの想い出と共に残りの人生を生きる」こう決意している。
仏教の教えの中に八苦がある。「四苦八苦」の八苦である。
この八苦の中に「愛別離苦(あいべつりく)」と言う教えがある。
愛する者と別れたくなくとも別れなければならない苦しみを言い、人の苦しみの中でもとりわけ重い苦しみで、生きる者すべての人が背負わなければならない自然の道理でもあると言う。
家族を失ったり、恋人や友人を失ったり、このペットを失う悲しみは正に「愛別離苦」である。
しばらくこの苦しみから逃れようもないが、逆に考えると失った苦しみを味わうほど「愛するものがいた」事でもある。
アラシを喪って、この言葉を改めてかみしめた。
犬は英語ではDogという。
このスペルを逆から並べるとGod、そう「神」だ。
これをして犬は人間のために神が遣わせた動物であると何かで読んだ。
本当にそう思う。
これだけ人間をとりこにする動物、人をして純粋な愛を感じさせる生き物はいない。
正に神の遣わせた生き物に違いない。【完】
さて、私の愛読書に文藝春秋別冊「犬のいる人生 犬のいる暮らし」という雑誌がある(平成16年発行)。
主に有名人がこの雑誌のために書き下ろした愛犬物語は全部で73篇、いずれもが愛犬との想い出を書き連ねたもので、読んでいて微笑ましかったり涙する物語もある。


有名なところでは「南極に取り残されたタロ、ジロ」「上村直己の北極圏走破の犬橇の逸話」「忠犬ハチ公」「盲導犬クイール」等々があるし、有名人が犬に寄せる逸話を寄せたのは阿久悠、佐藤愛子、中村紘子、藤本義一、椎名誠、米原万里、久世光彦、堺屋太一、檀ふみ、新井満、黒鉄ヒロシ、西木正明、畑正憲等々多彩なメンバーだ。
へぇ~、この人も犬好きだったんだと、俄かに親近感が湧く。
この中でアラシと同じポメラニアンの想い出を語っているのは僅か二名、犬種としては「柴犬」が多いように思う。

ここで紹介する第一は藤本義一が書き残した「一家犬族」で紹介されるフランス系シェパードのアルファーが義一の父が亡くなった時の逸話である。喪に服す犬の情景である。
「・・・・・・父が病院で逝去し、遺体が担架で帰った時から、
アルファーは犬舎から一歩も出ずに四日間絶食して喪に服した。
四肢を少し曲げ、顎を板につけ、目を閉じ、排泄もせずに煎餅のようになったのだ。
誰にも吠えず、通夜、葬儀の間も沈黙し、
五日目にやっと母から粥を貰って徐々に体力を回復させていったものだ。
私は死をこれほど謙虚に受けとめる人間はいるだろうかと思った」
今ひとつ紹介するのも藤本義一のドイツ系シェパードのベーターの死にまつわる話である。
「ベーターは後年、腰部と後肢が動かなくなった。
呼びかけても、ただ薄っすらと目を開けているものの焦点が定まっていない。
15歳で天寿をまっとうする気配だった。
"もう間もなくだな"と私が家族に告げた夜明けに、
犬舎で尾っぽを振る音が聞こえた。午前三時頃だった。
そっと犬舎を見て愕いた。
腰もしっかりし、前肢を垂直に立て、人間で言うならきちんと正座した格好で
庭の楠の樹を仰いで、嬉しそうに目を細めているのだ。
少し開けた口からは舌の先がのぞき、上下に揺れている。
その目は楠の枝と葉と彼方の満月を見上げている。
私は息を呑んで見守った。ベーターの動作はつづく。
私は足音を忍ばせて書斎に戻った。なにか崇高な姿の生物を見た気がした。
樹霊と月の光に導かれている図であった。
その日の夜明けに、ベーターは横倒しになって息絶えていた。」
犬との別れを切なくあるいは淡々と語っているページが目立つ、心から離れないのであろう。
読んでいて涙なしには読めないページもたくさんある。
【11・かように無心なものが・・・・・】
「ハラスのいた日々」で有名な、作家の中野孝次も文を寄せている(著作はベストセラーで加藤剛主演で映画化もされている)。
ここでは犬によせる素朴な思いがあふれている。
「犬を飼っていたところで特別のことがあるわけではない。
それどころか、毎日の食事の世話とか、病気の心配とか、朝夕の散歩など、厄介なことの方が多いのだが、それでも私と妻が三十年も犬と共に暮らし続けてきたのは、犬というものが我が家にいることが、なんともいえぬ心の喜びを与えてくれるからであった。
それは一言で言えば、こちらの愛したいという本能を呼び起こす生きものがそこにいて、愛を受けとめ、向こうもまた正価でそれに応じる。そのへんの心の通いあいが何ともいえずいいということになる。人間どうしではなかなかそうはいかないのだ。」
わたしは三十年余犬と暮らしてみて、結局犬を飼いつづけてきた気持ちは「かような無心なものがなにより慰めになり申す」と、ある詩句のいう所につきると思うようになった。」
と言って詩人丸山薫の「犬と老人」を紹介している。
*丸山薫は詩人で大分県生まれ。1899~1974年。
詩人が子犬をつれて散歩に出ると坂の上から粗末ななりをした老人が下りてきて、立ち止まり「ほう、よい犬でごわすな」と誉め、珍しい犬種だとか、何を食べさせているかなどときく。
詩人がうるさがっていい加減にあしらっていると、ふしぎなことに犬のほうが親愛の情を示して、しきりに尾を振り老人にとびついてゆき、節くれだった老人の手で撫でられて喜んでいる。
そして老人がふいにこう言ったというのだ。
「老齢(トシ)でごわすなあ」ふいに思い余った吐息をして老人がいった。
「かような無心なものがなにより慰めになり申す
女房は墓になりました
子どもは育って寄りつかん
世間には憂きことばかり
終日働いて帰ると、かようなものがじゃれついてくる もうそれだけで疲れは忘れるでごわすよ」
その言葉は不思議な滋味を滴らした・・・・・と詩人が語っている。
【12・アラシに老いの徴候が・・・・】
さて、こうした楽しい日々を過ごしている内にアラシに老いの徴候が見え始めた。
アラシの老いを感じたのは先ず行動だった。
車で一緒に出かけるのが大好きで、ハッチバックを開けそこを手で叩くとピョンと飛び乗っていた。高さはどうだろう、60cmほどだったろうか。
まず、それが失敗する様になった。
もう一つも車に関わる出来事だが、助手席に乗っていざ目的地に着くと運転席の私の膝上に移動、ドアを開けるとパッと飛び降りていた。それが飛び降りて、地面でずっこける様になってきた。
身体的には眼の白濁だった。ある時、私の膝に前足をかけこちらを見上げた瞳が白くなっていた、この車での失敗と眼の濁りは同時期だったと思う。

この頃から、あんなに好きだったボール遊び(投げたボールをダッシュして追いかけ、咥えて戻ってくる)に興味を示さないようになり、ボールを転がしても知らん振りをするようになった。
病院で目薬をいただき、点眼を続けたが進行を止めるまでに至らず15歳前後からほぼ失明した。
一般的に犬の白内障は遺伝的な病気なので、専用の目薬で緩和できる程度で直らないようだ。
手術をする専門医もいるようだが、麻酔による合併症の心配と、かなり費用が高額だと聞いている。しかも、手術は体力のある若い内が限度で、年老いての手術は危険なようだ。
サプリメントで視力が回復したとの例もあるようですが、私は試してはいない。
さて、失明してからだが・・・・
人間の途中失明よりは不自由はないと専門家にきいた。つまり、嗅覚である程度補えるとの事のようなのだ。
しかし、なにかと言えばぶつかって歩く姿を見るのは痛々しい。
元気な時は遠くにいる私を見つけて駆け寄ってきたのに、今は近づいて身体に触れるまでわからない・・・・
実は眼の病気が明らかになってきた頃から、嗅覚も衰え、耳も遠くなってきた。加えて、歯もだいぶ抜け落ちた。ま~完全な老人(それも後期の)となっていた。
昼間は庭で放し飼いなのだが、しばらく外出して帰ると”行き先を見失って”植え込みに頭を突っ込んでじーっとしている姿などは、見ていて涙がでた。
今日は降るまいと思った日に急に雨になり、急いで戻ったら立ち尽くしてビショ濡れの時もあった。


人間の途中失明よりは不自由はない・・・と聞かされていたものの、例えば食事の時に私の足許に来る。すこしづつ私の食べ物を与える、暫くすると次の食べ物を求めて移動するが、それが全く方向違いの場所に行ってじーっと待っている。
抱きかかえてこちらに戻すがワンコとて不自由さにかわりはない。
【13・老いて関係は濃密に】
加えて病気の進行も安心できないものであった。
多少肥満気味で、獣医からはダイエットを強く言われていたが、心臓肥大、腎臓機能低下が特に言われその影響でガチョウが鳴くような咳き込んだ声がひどくなっていた。
ついに22年の初夏は庭で苦しそうにのた打ちまわり、病院に運び込んでICU収容の入院となったが幸い回復した。獣医からは「いつ、なにがあっても、おかしくない」と脅されており不安は尽きない状態であった。

毎朝晩の薬の投与は欠かせないし、必要に応じた診察も頻繁だ。しかし、病院の前で入るのいやだと駄々をこねる他のワンコを尻目に、大喜びで入ってゆくのは喜ぶべきか・・・・・悲しむべきか・・・・・
室内では居間を自由に歩き、好きな所で寝ていたが一年ほど前から寝た場所がグッショリ濡れてきた。そうひどくはないが失禁しだしたのだ。
当然体毛の一部も汚す、その後は寝場所を定めてトイレシートの上に寝かせている。
さて、その”寝る”だが一日の大半が寝て過ごす事になってきた。
元々よく寝るのだがそれに拍車がかかった。
食事や接触の時間を除くとほぼ横になっている、う~~ん一日2時間程が起きているって感じだろうか。


さて、これはどうしたことでありましょうか。誤解を怖れずに言えば今は「喜びを与えてくれるより、世話する手間の方が多い」のです。
さて、こうなると私とアラシの喜びはなんでありましようか・・・・・
それが又濃密なのであります。
もっとも変化したのは”抱っこ”でありましょう。
若い時に抱っこをすると”遊びたいから早く降ろせ”とばかり暴れたのですが、近頃は腕の中でじーっとしております。時にはそのまま寝てしまいます。
「身を委ねる・・・・」ということでしょうか、安心しきって膝の上、腕の中におります。
そうしながら頭を撫ぜ、身体を撫ぜていると、私の心も安らぎます。
時に膝の上でグッスリ寝こみ、頃合を見計らって寝場所に移しますが全く起きないほど寝ています。信頼しきってくれていると私も嬉しい限りです。

この頃はドッグフードの食器は私の「手の平」であります。皿に盛っても場所が分からなくなるせいもあるのですが、一度これを始めたらやめられなくなりました。
体毛を汚したオシッコの始末も苦になりません。もっと介護が必要になる日が遠くないかもしれません。

この人と犬の信頼感は何でありましょうか。
人と人は親友と言えども、兄弟と言えども些細なことで関係が崩れる例は沢山あるようです。
しかし、この”生涯最良の友”は一途に忠実で、裏切ることなく、喜びを体全体で表し、お互いになくてはならない存在になっています。
【14・老犬もまたよし・・・・】
平成22年・・・・・・
この年、夏の暑さは異常ともいえる暑さでしばしば35度を超えることもあった。すでに老年の域に入っていたワンコにとって厳しい夏であった。
アラシは日中はエアコンのきいた室内で過ごし、暑さのやわらぐ朝晩は庭に出たが「この夏を越せるか!」と心中は思っていた。なんとか夏を乗り切ったが歩く姿もヨボヨボしてきて老人そのものだった、前にもまして時間があれば寝ている時間が増えた。
寝ていたあとがグッショリしだしたのは前にも記したが、この先介護が必要になる事も心の中で準備した。

この頃はもう滅多に「ワン」と声を出す事もなかったし、庭でのオシッコも片脚を上げるのではなく用をたすようになった。
ある日アラシの姿が見当たらない。かってもそう言うことはあったが、若い時にフェンスを抜けて表を探検にいった元気は今はない。たいして広い家ではない、しかし見つからない。
思案にくれていた時、久しぶりに「ワン」の声が聞こえた。声の方向にいた!
居間から庭に出る境いにゴーヤ(ニガウリ)を毎年植える。背丈は3mにも達し、なにより葉を猛烈に繁らす、これが夏の日除けになるので幅5mもネットで誘引してゴーヤのジャングル(は大袈裟だが)になるのだが、そのジャングルに迷い込み、しかもネットに手足をとられていたのだった。
助けを求めるため久しぶりに「ワン」と叫んだのだった。

この当時はもう全く目が見えないので、畑の境界を示すロープを超えて畑に入り込む事もあった。若き日に怒られた事例だ。しかし、もう怒る気などない。作物に多少の被害があったとて、それがなんであろう。今大事なのは必死に生きているお前だ。
私は畑の中にいるアラシを宝物のように抱えて戻すのであった。
大分年老いたが見た目は最後まで若々しかった、知らない人が見たら外見だけでは老犬には見えなかった筈だ。しかし側にいる私には眉毛やひげが白髪になった、歯がだいぶ抜け落ちた、歩き方が弱々しいなど老いの徴候は顕著であった。
朝の散歩にこの頃は時々程度の頻度で連れ出した。以前のようにリードをグイグイ引いたり、小高い植え込みの土手にピョイと飛び乗る元気さはもうない。
しかし叢の臭いを嗅ぎながら散歩をユックリと楽しんでいる。
老犬とつきあうと若々しい頃のあのエネルギーはもう感じようもないが、落ち着いた”戦友”とでも言うべき関係になっているのに気づき「老犬もまたよし」の思いを強く感じたものだ。
この頃はやはり「あとこの幸せがいつまで・・・・・」と時々思わずにはいられないのであった。
一方でもしこの宝物がいなくなったら・・・・・・の恐怖感をも感じさせるのであった。


【15・いよいよ別れの日が・・・・この想い出シリーズ(完)】
さて、いよいよその日が来た。平成22年12月1日であった。
この日いつものように朝起きてから抱きかかえて庭に出すのだが、腕から降ろしても腰が崩れて立てない。しばらく様子をみたがどうも下肢に力が入らない。体が崩れてしまう。
急いで室内に戻り寝床を調えるが涙が溢れて止まらない。
”ついにその日を迎えた”と確信せざるを得なかったのだ。
私の判断で病院には連れていかなかった。
病院で点滴その他の治療を受け入院すれば数日最後の日が永らえたかもしれない。
しかし、最後を私と離れて病院で亡くなるのは耐えがたかった、アラシもそうであろうと確信していた。
この日は極力私が抱いていた。
この日に何度か「ワン」と声をあげた、久しくきいていない声であった。ぐったりして起き上がることさえしないのに、最後の力を振り絞るように鳴いた、吠えた。
抱いて、抱いて、身体を撫ぜた。アラシもこちらに身をまかせている。
夜の10時半、抱かれたまま苦しむ事もなく、眠るように息を引き取った。寝顔は安らかであった。
不慮の事故で亡くなる犬もいる、さっきまで元気だったのに急に命の灯火が消える犬もいる。
それに較べれば最後の一日もず~っと一緒だった私は幸せだ、この腕の中で息絶えたアラシも心安らかなはずだ。そう思おうとした。
実は家人が11月に入院して16日に手術を受け病院から帰ってきたのが11月30日であった。アラシが空路秋田に着いたときに迎えに出たのも彼女だ。私が勤務中は彼女が面倒をみてくれていた。
アラシも私が主人である事は認めながら、彼女に一目おいていた。当然である、身の周りのことはお世話になっている。
この彼女が退院するのを待っていたように、彼女の姿を見てから亡くなったのであった。
翌日に親しくしていた仲間に会葬してもらい、又寺の住職にも来てもらい読経をしてもらって冥福を祈った。

埋葬であるが生前にそう話していたとおり「自宅庭に土葬」とすることにした。
最近はワンコでも火葬、骨上げが一般的であるようだが、幸いにも庭が広い。ここに墓を手づくりして埋葬することにした。

埋葬場所は私が今この文章を打っているパソコン机(居間)から、首を右に曲げれば見える場所にした。
ポメラニアン・アラシが16歳で旅立った・・・・ありがとう生涯最良の友
この映像の最初のワンワンの声はアラシの肉声です。
さて私はアラシを最後の犬と以前から決めていた。
一つは私の年令だ、この先15年も元気な犬を飼えば私は80歳になる。最後まで面倒をみきれるか、場合によっては犬を残してゆくこともあり得る。
もう一つはアラシが全くに非の打ち所のない犬であったことだ。
この先どんな犬を飼おうと「アラシならこうであった」「アラシだったら・・・・・」と比較してしまうであろう。これは酷なことだ。
ペットロスを解消するのは新しいペットを飼うのが一番とも言われる。私にペットロスの症状がない訳ではない。しかし私はもう犬は飼わないであろう。
少女めいた事をいうようで気が引けるが「アラシとの想い出と共に残りの人生を生きる」こう決意している。
仏教の教えの中に八苦がある。「四苦八苦」の八苦である。
この八苦の中に「愛別離苦(あいべつりく)」と言う教えがある。
愛する者と別れたくなくとも別れなければならない苦しみを言い、人の苦しみの中でもとりわけ重い苦しみで、生きる者すべての人が背負わなければならない自然の道理でもあると言う。
家族を失ったり、恋人や友人を失ったり、このペットを失う悲しみは正に「愛別離苦」である。
しばらくこの苦しみから逃れようもないが、逆に考えると失った苦しみを味わうほど「愛するものがいた」事でもある。
アラシを喪って、この言葉を改めてかみしめた。
犬は英語ではDogという。
このスペルを逆から並べるとGod、そう「神」だ。
これをして犬は人間のために神が遣わせた動物であると何かで読んだ。
本当にそう思う。
これだけ人間をとりこにする動物、人をして純粋な愛を感じさせる生き物はいない。
正に神の遣わせた生き物に違いない。【完】
俳優の西田敏行さんがお亡くなりになりました。
名優と言っていいでしょう。映画の代表作は「釣りバカ日誌」でしょうし、NHKのドラマでも印象に残る役柄が多かったと思います
実は犬との交流を描いた作品もあります。「星守る犬」という2011年に公開された映画です。
観ていて切なくなる内容で、最後は空き地に止まった車の中で主役の西田さんは亡くなります。それも胸の痛みからですから今回の現実を思い起こさせます。
決して楽しい映画ではありませんが遺作として紹介させていただきます。
名優と言っていいでしょう。映画の代表作は「釣りバカ日誌」でしょうし、NHKのドラマでも印象に残る役柄が多かったと思います
実は犬との交流を描いた作品もあります。「星守る犬」という2011年に公開された映画です。
観ていて切なくなる内容で、最後は空き地に止まった車の中で主役の西田さんは亡くなります。それも胸の痛みからですから今回の現実を思い起こさせます。
決して楽しい映画ではありませんが遺作として紹介させていただきます。
星守る犬
「ワンチャンほんぽ」からの転載で申し訳ないのですが、時節柄知っておいたほうがよいと思いますので・・・

実りの秋、食欲の秋。秋はおいしいものがいっぱい登場してくる季節ですよね。しかし、秋に旬を迎える食べものの中には、実は犬にとっては有害なものもあるので要注意です。
1.ブドウ
ブドウは急性腎不全を引き起こし、重篤な場合には命に関わる可能性もあるため、犬には絶対にNGな果物です。
恐ろしいのは、ブドウの皮、実、タネのどの部位に有毒物質が含まれているのか、また、その有毒物質は具体的に何なのかが明らかになっていないことです。
詳細はわかっていないものの、実際にブドウを食べて腎機能障害を起こした犬が多数いるという症例の報告だけが積み重なっている状況なのです。そのため、一部では「犬にブドウを与えてはいけないのはデマ」という説も囁かれていますが、決して与えてはいけません。
生のブドウを与えないようにするのはもちろんですが、注意したいのはレーズン。
ブドウという感覚が少し薄れるため、油断して与えてしまうことがあるからです。またこれらはパンやお菓子というような加工品に含まれていることも少なくないため、原材料をしっかりチェックすることが大切です。
2.イチジク
秋に旬を迎える果物で、もうひとつ注意が必要なのが「イチジク」です。
イチジクは犬の命に関わる重篤なアレルギー症状を引き起こす場合があります。この原因となるのがイチジクの皮や葉、果肉に含まれている「フィシン」と「ソラレン」という物質です。イチジクを食べたときに口の中が痒くなった経験がある人はいないでしょうか。
この痒みを引き起こす原因となるのが「フィシン」で、犬が摂取すると口内炎や口腔内のただれにより脱水症状に陥ることがあります。また「ソラレン」は下痢や嘔吐を引き起こす可能性があるほか、皮膚が火傷のようにただれてしまうリスクが考えられます。
また少数ではありますが、ゴム製のおもちゃで遊んでいると皮膚が赤くなったり痒くなったりしてしまう「ラテックスアレルギー」を持っている犬がいます。
イチジクの成分は天然ゴムの成分に酷似しているため、もしこのラテックスアレルギーの犬がイチジクを口にしてしまうと、重度のアナフィラキシーショックを起こしてしまう可能性があります。ラテックスアレルギーの犬にイチジクは絶対に近づけてはいけません。
3.ぎんなん
踏むと臭いけれど食べると美味しい「ぎんなん」も、犬にはNGな食材です。
ぎんなんの実の部分には「メチルピリドキシン」という成分が含まれており、けいれんや意識障害を引き起こす可能性があるからです。また実を食べないまでも、外種皮の部分に触れると皮膚が炎症を起こすリスクがあります。
飼い主さんが家庭でぎんなんを扱うことがなかったとしても、お散歩コースにイチョウ並木がある場合などは拾い食いにも要注意です。
ぎんなんは独特の匂いがするため、興味を示してしまう子も多いもの。愛犬がぎんなんに興味を示している様子があったら、すぐに引き離すかお散歩コースを変えるようにしましょう。

実りの秋、食欲の秋。秋はおいしいものがいっぱい登場してくる季節ですよね。しかし、秋に旬を迎える食べものの中には、実は犬にとっては有害なものもあるので要注意です。
1.ブドウ
ブドウは急性腎不全を引き起こし、重篤な場合には命に関わる可能性もあるため、犬には絶対にNGな果物です。
恐ろしいのは、ブドウの皮、実、タネのどの部位に有毒物質が含まれているのか、また、その有毒物質は具体的に何なのかが明らかになっていないことです。
詳細はわかっていないものの、実際にブドウを食べて腎機能障害を起こした犬が多数いるという症例の報告だけが積み重なっている状況なのです。そのため、一部では「犬にブドウを与えてはいけないのはデマ」という説も囁かれていますが、決して与えてはいけません。
生のブドウを与えないようにするのはもちろんですが、注意したいのはレーズン。
ブドウという感覚が少し薄れるため、油断して与えてしまうことがあるからです。またこれらはパンやお菓子というような加工品に含まれていることも少なくないため、原材料をしっかりチェックすることが大切です。
2.イチジク
秋に旬を迎える果物で、もうひとつ注意が必要なのが「イチジク」です。
イチジクは犬の命に関わる重篤なアレルギー症状を引き起こす場合があります。この原因となるのがイチジクの皮や葉、果肉に含まれている「フィシン」と「ソラレン」という物質です。イチジクを食べたときに口の中が痒くなった経験がある人はいないでしょうか。
この痒みを引き起こす原因となるのが「フィシン」で、犬が摂取すると口内炎や口腔内のただれにより脱水症状に陥ることがあります。また「ソラレン」は下痢や嘔吐を引き起こす可能性があるほか、皮膚が火傷のようにただれてしまうリスクが考えられます。
また少数ではありますが、ゴム製のおもちゃで遊んでいると皮膚が赤くなったり痒くなったりしてしまう「ラテックスアレルギー」を持っている犬がいます。
イチジクの成分は天然ゴムの成分に酷似しているため、もしこのラテックスアレルギーの犬がイチジクを口にしてしまうと、重度のアナフィラキシーショックを起こしてしまう可能性があります。ラテックスアレルギーの犬にイチジクは絶対に近づけてはいけません。
3.ぎんなん
踏むと臭いけれど食べると美味しい「ぎんなん」も、犬にはNGな食材です。
ぎんなんの実の部分には「メチルピリドキシン」という成分が含まれており、けいれんや意識障害を引き起こす可能性があるからです。また実を食べないまでも、外種皮の部分に触れると皮膚が炎症を起こすリスクがあります。
飼い主さんが家庭でぎんなんを扱うことがなかったとしても、お散歩コースにイチョウ並木がある場合などは拾い食いにも要注意です。
ぎんなんは独特の匂いがするため、興味を示してしまう子も多いもの。愛犬がぎんなんに興味を示している様子があったら、すぐに引き離すかお散歩コースを変えるようにしましょう。
【まさか】5匹の犬が男の子を救出? 頑張る姿に思わず笑顔 タイ
NEXERの100%子会社であるpetandcoは、ペットとの暮らしを豊かにするメディア「Qrasippo」にて、犬が好きな女性300人を対象に「好きな小型犬」についてアンケートを実施。その結果を「好きな小型犬ランキング」として発表しました。さまざまな小型犬の中で、犬好きの女性から人気を集めたのはどの犬種だったのでしょうか。
●第2位:ポメラニアン
第2位は「ポメラニアン」でした。ポメラニアンは、小さな頭に大きな丸い目、さらに、豊かなダブルコートの被毛が特徴の犬種です。もともと中型犬だったため、小型犬としてはやや大きくなることもあります。
人なつっこく遊びが好きな個体が多いとされ、社交性も高いといわれています。毛が長いため、抜け毛はやや多めです。
ポメラニアンを選んだ人からは、「ふわふわしていてかわいいから」(東京都・10代女性)「くりくりした目がかわいいから」(山形県・20代女性)などのコメントが寄せられました。
●第1位:トイ・プードル
第1位に輝いたのは「トイ・プードル」でした。フランス原産で、プードルの中で最も小さい犬種です。そのふわふわとしたカールの被毛はぬいぐるみのようで、毛色はさまざまなバリエーションがあります。
トイ・プードルは、知的で親しみやすい性格の子が多いのが特徴です。また、運動好きな一面もあるため、毎日の散歩が欠かせません。
トイ・プードルを選んだ人からは、「お人形さんみたいで本当にかわいく、動きがコミカルなのが好きです」(佐賀県・40代女性)「ぬいぐるみのようで、しぐさがかわいい。人なつっこく、甘え上手だから」(熊本県・60代女性)などのコメントが寄せられました。
●第2位:ポメラニアン
第2位は「ポメラニアン」でした。ポメラニアンは、小さな頭に大きな丸い目、さらに、豊かなダブルコートの被毛が特徴の犬種です。もともと中型犬だったため、小型犬としてはやや大きくなることもあります。
人なつっこく遊びが好きな個体が多いとされ、社交性も高いといわれています。毛が長いため、抜け毛はやや多めです。
ポメラニアンを選んだ人からは、「ふわふわしていてかわいいから」(東京都・10代女性)「くりくりした目がかわいいから」(山形県・20代女性)などのコメントが寄せられました。
●第1位:トイ・プードル
第1位に輝いたのは「トイ・プードル」でした。フランス原産で、プードルの中で最も小さい犬種です。そのふわふわとしたカールの被毛はぬいぐるみのようで、毛色はさまざまなバリエーションがあります。
トイ・プードルは、知的で親しみやすい性格の子が多いのが特徴です。また、運動好きな一面もあるため、毎日の散歩が欠かせません。
トイ・プードルを選んだ人からは、「お人形さんみたいで本当にかわいく、動きがコミカルなのが好きです」(佐賀県・40代女性)「ぬいぐるみのようで、しぐさがかわいい。人なつっこく、甘え上手だから」(熊本県・60代女性)などのコメントが寄せられました。
いつも同じ排水溝を見つめていた犬。蓋を持ち上げてみると・・・・
犬が主役の映画・ドラマは枚挙に暇がない。
私の記憶ではまずテレビドラマの「リンチンチン」と「ラッシー」で前者はシェパード、後者はコリーであったが毎週欠かさずに見ていたものだ。
その後にディズニーの「101匹ワンちゃん」や「フランダースの犬」等々があったが国産では何と言っても「ハチ公物語(仲代達也主演)」でないだろうか、これは手許に持っている。
ここ数年は犬が主役の映画も多く「HACHI」「いぬのえいが」「犬と私の10の約束」「クイール」「南極物語」「マリと子犬の物語」等々多彩である。
今回は私が持っているDVDライブラリーの中から「黄金の犬」と言う多分皆様がそうは見ていないであろう作品を紹介してみたい。
原作は西村寿行、映画化は1979年だ(と言うことは45年前と言う事になるのか!)。あらすじをgoo映画から転載すると
森林警備官北守は愛犬ゴロを連れて北海道に熊狩に行くが、そこで熊に襲われ、救出されているうちにゴロとはぐれてしまう。強烈な帰巣本能で一路東京を目指す波労困ばいのゴロは、途中、永山雄吉という男に助けられる。永山は通産省の武器課長の職にありながら、汚職事件に巻きこまれており、事件の秘密を知ってしまった業界紙記者・大橋ともども殺し屋に狙われる身となった。その後大橋は釧路近くで殺され、永山は放狼の旅を続けていた。永山とゴロが旅をしていると、街のニュースで妻順子が東京で殺し屋に凌辱され殺されたことを知る。永山は復讐の念に燃え、東京に向かう。
出演者は鶴田浩二、地井武男、夏八木勲、清純時代の島田陽子等々だが、皆さんが故人となっている。
私の記憶ではまずテレビドラマの「リンチンチン」と「ラッシー」で前者はシェパード、後者はコリーであったが毎週欠かさずに見ていたものだ。
その後にディズニーの「101匹ワンちゃん」や「フランダースの犬」等々があったが国産では何と言っても「ハチ公物語(仲代達也主演)」でないだろうか、これは手許に持っている。
ここ数年は犬が主役の映画も多く「HACHI」「いぬのえいが」「犬と私の10の約束」「クイール」「南極物語」「マリと子犬の物語」等々多彩である。
今回は私が持っているDVDライブラリーの中から「黄金の犬」と言う多分皆様がそうは見ていないであろう作品を紹介してみたい。
原作は西村寿行、映画化は1979年だ(と言うことは45年前と言う事になるのか!)。あらすじをgoo映画から転載すると
森林警備官北守は愛犬ゴロを連れて北海道に熊狩に行くが、そこで熊に襲われ、救出されているうちにゴロとはぐれてしまう。強烈な帰巣本能で一路東京を目指す波労困ばいのゴロは、途中、永山雄吉という男に助けられる。永山は通産省の武器課長の職にありながら、汚職事件に巻きこまれており、事件の秘密を知ってしまった業界紙記者・大橋ともども殺し屋に狙われる身となった。その後大橋は釧路近くで殺され、永山は放狼の旅を続けていた。永山とゴロが旅をしていると、街のニュースで妻順子が東京で殺し屋に凌辱され殺されたことを知る。永山は復讐の念に燃え、東京に向かう。
出演者は鶴田浩二、地井武男、夏八木勲、清純時代の島田陽子等々だが、皆さんが故人となっている。



