285.統一教会公職者ブログの目的が神の御旨の破壊だと判明!許しを赦し(悪の野放し)へ勝手に変更 | 和敬清寂 ~書かぬが仏~

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公職者や統一教会保身派のブログにやたらと「赦し」の言葉が踊っているが、「許し」と書かれていた御言を勝手に「赦し」に変えるなど言語道断!

「許し」と「赦し」は全く意味が違う!

許し:「許」は許可する、これなら良さそうだと認める意味。信仰に適用すれば、罪を償った状況を確認し、贖罪を認めた後に罪を許す事となる。

赦し:罪をとがめないで大目にみる意味。信仰的観点で捉えれば、罪の償いも悔い改めもしないまま無条件に悪を放置する事である。


※「許」は、「言」+「午(午前午後の午)」。午は上下に動かしてつく杵(きね)を描いた象形文字。「許」は上下にずれや幅を持たせて、「まぁ、これでよし」といってゆるす事を現している。
※「赦」は形声文字。ゆるむ、のびるの意味を含む。舒(ゆるくのびる)捨(手を放して放置する)と同系。


聖書も文先生の御言も本来全て「許し」を使い、「赦し」など使わない。贖罪無しに罪の許しなど無いのは当然だからである。

御旨の道 P.35
[「怨讐を愛せよ」という言葉は怨讐の中にある罪まで、あるいは悪まで許せということではない。悪に取り付かれているその人をかわいそうに思えということである。]



現在の統一教会の幹部連中が「赦し」を使うと言う事は「悪を野放しにせよ」と言っているのと同じ。彼らは御言の精神をねじ曲げるペテン師であり悪魔そのものである事を自ら証明している!


「文鮮明講演集:為に生きる」に掲載されている記事で、1973年11月30日ニューヨーク・タイムズ及びワシントン・ポストに掲載された、ウォーターゲート宣言文「許せ! 愛せ! 団結せよ!」(文先生がニクソン大統領を非難する米国国民に呼び掛けた意見広告)は題名からして当然「赦し」ではなく「許し」である。


ところが、教育部長の講義日記の記事「41年前のFLU」(2014/09/02)では、
[文先生の聖和2周年記念式典のスローガンが、「Forgive(せ)、Love(愛せ)、Unite(団結せよ)」 というものでした。]

と文先生の御言を題材に示して勝手に「許し」を「赦し」に書き換えている。文先生の語った「許せ、愛せ、団結せよ」を勝手に変えるな!

英和辞書にforgiveの意味を「赦す」としている辞書があるか。我が家の全ての辞書は「許す」と出ているし、ネット上の研究社英和中辞典、プログレッシブ英和中辞典、三省堂ウェブディクショナリーのいずれも「許す」である。

キリスト教文化圏ではforgiveの意味を「許し」とするのは至極当然で、罪を大目に見る「赦し」などと訳すのは不自然極まりない。それなのにわざわざ言葉のすり替えを行うのは、彼らが確信犯であるからだ。


こういう悪質な御言の捏造は「いつもわたしのとなりに神様」ブログにも見られる。2014年09月07日「せない人をどうやってすか?!~「赦し、愛し、一つとなる」天国人になるために 4」


「真の神様」 第4章「真のお父様の見た神様」の御言を引用し、文字を勝手に変えている。

原文はこれ↓
[この世の親も、自分の息子、娘が罪を犯して絞首刑に処されるようになったとき、その子が死ぬことを願う親はいません。自分の思いどおりに子を助けることができるとすれば、百回でも千回でも助けてあげたいのが父母の心です。母親の気持ちは、なおさらのことでしょう。

堕落した世界の女性の心もそうであるのに、全知全能なる神様がいったい何ゆえに終わりの日になって審判をしなければならないのでしょうか。どうして神様がしてくださることができないのでしょうか。

これです。神様は、どれほど愛しておられるでしょうか。イエス様が七十回ずつ七回すとすれば、神様は七十回ずつを七千回以上すはずです。神様の心はそうなのです。]



これが「いつもとなりに神様」ブログ主の手に掛かるとこうなる↓

「世の中の父母も自分の息子、娘が罪を犯して絞首刑に処されることになれば、その子が死ぬことを願う父母はいません。自分の思いどおりに子を生かすことができるならば、百回でも千回でも生かしてあげたいのが父母の心です。母親の気持ちはなおさらそうです。

堕落した世界の女性の心もそうであるのに、全知全能の神様がいったい何ゆえに、終わりの日になって審判をしなければならないのかというのです。神様がなぜしてあげられないのかというのです。

神様はどれほど愛するでしょうか。イエス様が七回ずつ七十倍すとすれば、神様は七十回ずつ、七千回以上さなければならないでしょう。神様の心はそうだというのです。」



もう十分であろう。彼らは言葉の意味を知らずに使っているのではない。「絶対に[許し]の文字を使うな」と誰かに命令されているのか、意地でも「許し」を「赦し」に塗り替えようと必死なのである。

なおも神を愚弄する勝手な解釈は続く。

[イエス様もお父様も「無限に赦せ」と語られているのです。罪深い私たちに対して、神様は何度も赦そうとしてこられたことを忘れてはいけないと思います。真の父母様も、私たちの罪を何度も赦し、とりなしして下さいました。]


文先生が「許しなさい」と言ったのは、真実な贖罪が済んだ者に対してであって、悪を野放しにする意味では無い!

イエス様が神殿で商売をしている輩どもの商売道具を叩き壊して、彼ら全員を追い出された事も知らないのか?


まともな神の民ならば、この悪魔族ニセ聖職者が何を意図してこんな事を書いているのかおわかりだろう。彼らは暇だからやっているのではない。目的はブログを使って御言を骨抜きにし、読む者を洗脳して悪を繁殖させる事であり、神の御旨を破壊する事である。

悔い改める心などもはや無い。こういう者が指導する統一教会である。悪魔に支配された悪魔の教団だというのは明らかである。

だからこそ、はっきり言う。

赦せ?    悪行三昧のやりたい放題に許しはない!
愛せ?    神よりお金を愛する者に愛を語る資格は無い!
一つになれ? あなたたち悪魔と一つになる事は死を意味する!
       そこへ人を導き入れようとする大悪事に許しはない!



悔い改めない輩は、ガメラの火で焼かれるぞ!


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