裏ではいろいろあったでしょうけど、表向きは何とも穏やかな時代だったと思います。
そんな時代に、お笑い芸人さんが舞台に上がって最初に発する言葉が「世の中、嫌な事件が多いね」でした。
時々世を騒がせる大事件はありましたが、特に大きな事件がなくても、そんな掴みの言葉で漫才や落語が始められていたと思います。
それに対して、
2011年に亡くなられた落語家=立川談志さんが、その頃はまだまだ若くて威勢もよく、ズバッと言った言葉がおもしろい。
若き日の立川談志さん
「何言ってやんでぇ。嫌な事件がニュースになるから、良い世の中なんじゃぁねぇか?『東京にも親孝行な子供がいた!』なんてぇ事がニュースになったら、一体どんな世の中なんだよ!」
確かに。ズバリ正論だ!
しかし、「どんな世の中なんだよ!」と言った世の中が、現実化してしまったような気がしないでもありません。
若者の自殺率が世界一で、就職できず派遣村や漫画喫茶で寝泊まりして、結婚もできない低収入に苦しみ、格差社会が現実になるとは、昔ではとても考えられないくらい異様な時代。
東日本大震災では、被災地で日本人の日常風景に見られた助け合いの風景が大きなニュースになり、ことさらに「絆」という言葉が世に溢れる・・・。
みんなが幸せな時ならニュースにもならない日常的な事柄が、普通でない時こそ貴重な話題になっている。
談志さんが言った「良いニュースが流れる時ほど悪い世の中」が当たっている。
(悪いニュースのレベルも相当上がっているんですけどね)
ところで、何でこんな長い前置きを書いたかというと、統一教会の公職者たちのブログに書かれている「証」の記事が、妙に違和感があって、霊界にいる立川談志さんを呼んできたくなる衝動に駆られたもので。
「自宅では厳しすぎた牧会者さん。我が子からの反発に、優しく対応したら子供が劇的に変わった」という証。
それをまた後押しするような他の方のブログ記事。
これが神様と何の関わりがあるんだろうかと、ふと疑問に。
神様の御言、祈り、信仰によって人を幸せにしたという証でもない。
こんな話だったら、ドラマや映画では陳腐すぎて取り上げもしない、世の中に普通にある話。腐るほどありふれた話です。
『家庭円満の秘訣』だとか巷に溢れる『自己啓発本』によく出ている内容で、平信徒が家庭のエピソードをブログで書くなら微笑ましい話題で良いんでしょうけど、神様を証する公的な立場の人が語る内容?
第一、宗教者が子供に厳しすぎて総反発を食らっていたなんて、一般の人が読めば、「ここの人たちってどんな教育してるんだ?」と感じるはず。
しかも、どこにでも転がっている普通の話をさも有り難がるって、「異常な世の中ほど普通の話がニュースになる」を地で行く話。
「よほどこの教団の人達は不幸せな生活をしているんだ」と人々が思うように、自分達の不幸せを宣伝する目的なんでしょうか。
実際、エンドレス献金強要ですから、幸せな生活ではないですから。
それが思想ブログカテゴリーの常に上位で高らかに宣伝してるんで、求道者に対して、「自分の家庭すら幸せにできない教団だ」と大宣伝してるって事になってますが。
まともなクリスチャンや仏教徒が自分の子供達から総反発を食らっているなんて話はまず聞きません。
子供をほったらかしにしている宗教者も珍しくありませんが、それでも一部カルト教団を除いて家庭崩壊していない家庭が殆ど。
ただのヒューマニズムを語るだけなら、原理や神様とは何の関係もありません。人の温かさや良心の作用を通して、神様が生きて働かれた証が無い。
ブログの目的はただ単に批判派に対する対抗意識。だからこころに響くような証が無い。
エンドレス献金を必死に隠そうと献金の話題には触れないから、建前ばかりで本音が無い。
神様の前にこころからの悔い改めをしたという証も無い。
神様の国を作るという神様にとっての最大の御旨が見あたら無い。
記事には神様が出てこない。「神様」という言葉を付け加えているだけで中身が無い。
観念的な言葉の羅列。地に足ついた、生きた神様の証が無い。
人を幸せにする宗教者であるはずなのに、世界の紛争に何の関心も無いのか、世界で起こる非人道的な問題への言及が無い。
自分達の壁の中での話題しか無いのですごく内向きで暗い。
どう贔屓目に見ても、そうとしか思えません。
←よろしければクリックをお願いします!
にほんブログ村