小学校時代を振り返っていて、ふと今の時代にはわからない昭和あるあるを
考えてみました。
思いついた順に書き出してみます。
1)雑誌のソノシート
まず、今の時代の人たちはソノシート時代を知らないと思いますが、
雑誌とかに付録でついてきた赤い(または黒)ペラペラのレコードです。
ウルトラマンものの図鑑とかを買うと主題歌などと共に怪獣の鳴き声などが聞けました。
2)土曜の授業
サラリーマンだけでなく小学校も週休2日ではありませんでした。
記憶では低学年時代は同様は午前中のみの授業
高学年になると隔週で土曜が休みでした。
3)高化学スモッグ警報
高度成長期、公害の被害はかなり酷く、大気汚染も凄かったです。
工場の排煙などから出る光化学スモッグの濃度が酷くなると
校庭に赤い旗が立ち、その日は休校になったりしました。
香櫨園の浜に行くどヘドロや背骨の曲がった魚が砂浜に打ち上げられていました。
4)ツツジの蜜
ツツジの花が咲くとその花を取って、軸の方から吸うとほのかに甘く、
よく摘んで吸ってました。
5)お風呂の上と下
昔の風呂はお湯が上手く循環しなかったのでしょうね。上が熱くて、
よくかき混ぜて入らないと下の方は水で冷たかった記憶があります。
6)醤油や酒の掛け買
クレジットや電子決済などなかったので、近所の酒屋へお使いに行くと
米や醤油、酒などは月末払いでと、掛けで買ってました。
7)高級紳士服の購買者
家の商売が紳士服の仕立て屋だったのでよく手伝いでついて回っていたのですが、
やはり仕立てで服を作るような人は医者や大学の先生、会社の重役といった人たちが
多かったです。当時は「青山」や「はるやま」などがなかったので、一般の会社勤め
の人たちは百貨店での購入しか方法がなかったと思います。
私が高校生ぐらいになると「青山」や「はるやま」に押されて受注が少なくなり
父親がこぼしていたのを覚えてます。
8)車のオーバーヒート
小学校時代に父親が乗っていたのはマツダ キャロル360(水冷)です。
夜中にドライブに行こうと父親に誘われて3人で六甲山へ上がったのですが、
頂上に行くまでにエンジンがオーバーヒートして止まってしまい、暗闇の
中を沢まで降りて水を汲みに行ったことを覚えてます。
9)食事の順序
両親はプロテスタントのクリスチャンでしたが、祖父は浄土真宗なので家には
仏壇があり、食事はまず仏壇にご飯をお供えすることから始め、次に箸をつけるのは
父親と決まってました。しかし、父親が仕事で遅くなると帰ってくるまで
ご飯を食べれないことがしょっちゅうありました。
10)防空壕
友人も遊んだことがあるといっていたので、結構昭和4、50年代まで防空壕が
近所に残っていました。関西の沿岸地帯は結構、飛行場や工場が集まっていたので
神戸大空襲や西宮大空襲などがあったからでしょう。
秘密基地を作ったりして遊んでました。
11)夕方のコウモリ
最近は見ることがなくなりましたが、夕方になると空をコウモリが結構な数で
飛び回っていました。国道も近くを通っているし、住宅街なのに何処から飛んで
くるのか不思議に思っていたものです。
12)冬の半ズボン
これはとあるSNSの記事にも上がっていたので読んでいて納得していたのですが、
あの頃の小学生の男子は冬になっても上着はセーターとか着ていても下は半ズボン
でした。校庭の池に氷が張るような日でも半ズボンで登校していました。
長ズボンを履いていくと「あいつ根性ないな」とかレッテルを貼られたものです。
でも、不思議と風邪はあまりひかなかったな。
13)昭和の手洗い
市の下水道整備の計画もあったのでしょうが、住んでいた地域は長い間、トイレは
汲み取り式でした。特に最初に住んでいた家は古い作りだったので、洗面所がなく、
トイレ後の手洗いは縁側に吊り下げたタンク(写真参照)を使ってました。
