病気と戦うとこ | ぴーやんのブログ

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日々の出来事や読んだ本の感想などを気が向いた時に更新してます。
自分史も始めてみました。

病状の酷さ、余命幾ばくかの命にとって、病に負けそうになりなが

、頑張れ!ということだけが闘病生活や周りに入り人々の、なんとんく理解しやすく、構築しやすい構図のように思ってた。

なんて浅はかな、なんて単純な簡単な接し方だと思う。普通は。

 

たとえばここに「記憶が曖昧で何日か飛ぶんねん。」と心配そうにしている人がいる。周りの友達は「気のせいだよ、」「俺もしょっちゅうある。」「たいしたことないねん」色んな励ましの言葉が帰ってくる。そりゃ、1日家でのんびりした時などは、」

「あるある」話で済まされると思う。

人混みの中で「はっと」気がつく、套路に倒れている。親切な人がいれば「みんな大丈夫」怪我がなくてよかったね言える。そのようなときに「私、記憶が飛び帯で

献上が理解できていないんです。」と答えたらとうどだろう。みんな引いてしまって、

警察や消防が車で見守っているのだろうな。

 

正常と異常の境界はあくまでも曖昧だ。また個人寄ってってもまちまちだ。

 

精神障害者と世界と痴呆性老人との扱い方は今後もっと議論されるべきだろう。