一之宮巡りの記事の整理の都合上、FC2ブログの記事の一部をアメブロにアップします。
2019年4月の記事のリメイクです。
4月10日に摂津国一之宮住吉大社に参拝しました。
摂津国は、現在の大阪府の北西部と兵庫県の一部地域です。
摂津と難波の関係がよく分かっていないので、調べてみました。
かつてこの辺りは淀川、大和川の河口で難波津と呼ばれ、津國と称していた。現在の大阪市の中心部に難波宮があったといわれている。飛鳥浄御原宮や平城京の頃も副都として存在していた。当時、律令体制下の国司を派遣する国ではなく、朝廷直轄の摂津職(津を摂する)が置かれていた。桓武天皇の即位後、長岡京に遷都すると難波宮、摂津職も廃止され、この地を摂津国と呼ぶことになった。
前置きはこれくらいにして本題に入ります。
住吉大社は摂津国の一之宮で、現在では「すみよっさん」と呼ばれ親しまれています。
阪堺電車の住吉鳥居前停留所で下車すると真横に文字通り鳥居があります。西向きの鳥居で、海側を向いていることになります。西側は、三韓遠征の神功皇后(じんぐうこうごう)の遠征軍や遣唐船が出港した難波津です。航海の安全を祈る神様ですね。
反橋(別名太鼓橋) 朱色が鮮やかです。慶長年間に淀殿が秀頼の成長を祈って寄進したものだそうです。橋の下の石組みのみ往時のものが残っています。
境内案内図。
反橋を少し横から撮影。
反橋から池を撮影。
橋の上から正面の鳥居と楼門を撮影。門の奥には第三本宮が見えています。
鳥居の扁額には「住吉神社」、「住吉大社」は戦後の呼称です。
鳥居と楼門。枝垂れがまだきれいでした。
楼門の扁額
楼門から境内を覗くと第3本宮が見えます。
本宮が4棟あり、いずれも国宝です。
手前から奥に第三本宮、第二本宮、第一本宮が一直線に西向き並んでいます。また第四本宮は第三本宮と横並びです。
伊邪那岐命が黄泉の国から戻り、穢れを落とすために海に入り身を清めた時に生まれた底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと)、表筒男命 (うわつつのおのみこと) の三柱をご祭神としています。この三柱の神々を住吉大神と呼んでいます。また同時に創建に深いかかわりのある神功皇后を併せてお祀りしています。
航海の安全だけでなく、穢れを落していただける祓の神様でもあるようです。
第三本宮と第四本宮です。
第三本宮は表筒男命 (うわつつのおのみこと)、第四本宮は息長足姫命(神功皇后)です。
千木は第三本宮が外削ぎ、第四本宮が内削ぎです。
三韓遠征(新羅遠征)で新羅に渡った神功皇后が、住吉大神の加護で無事帰還し、神託によりここにお社を建てたのが創建だそうです。
第二本宮でご祭神は中筒男命 (なかつつのおのみこと)です。
奥に見えるのが第一本宮です。ご祭神は 底筒男命 (そこつつのおのみこと) です。
長くなりましたので、次回に続きます。
撮影 2019-4-10 @ 住吉大社
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