籠城戦の舞台となった長篠城址 ☆ 長篠・設楽原ウォーキング | 団塊ジイジの Photo Diary

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長篠・設楽原のウォーキングの続きです。

 

このブログの続きです。

 

 

ウォーキングのコースマップです。

JR東海のさわやかウォーキングでは時間内に受付をすませば、自由にゴールまで歩きます。

もちろんゴールはあり、時間は15時までと決まってます。

 

 

長篠城址

 

最初の目的地は長篠城址です。

以前ここに来たのは、小学校の林間学校の時なので60年ぶりくらいです。

 

さて、長篠の戦いと言えば、武田騎馬軍団と信長の鉄砲軍団との決戦を連想しますが、その場所は設楽原で長篠城から平地に約2㎞程南西になります。長篠城は、徳川方の武田に対する防衛の拠点でした。設楽原の前哨戦として、武田軍の総勢1万5千が長篠城に籠城する徳川方の奥平貞昌(信昌)率いる城兵500名を包囲して攻めた戦いです。

 

籠城戦の舞台となった長篠城址には城は残っていないですが、資料館があります。

 

長篠城址周辺のマップです。

長篠城の攻防戦の跡地を散策できるようになっています。

 

歴代長篠城主。

一番下にある奥平貞昌(信昌)の時に長篠の戦は起きました。

奥平氏の子孫は大分の中津藩主として明治まで続いた。

今回初めて気が付きましたが、新城と言う地名は長篠からの移築に由来するようです。

 

 

天然の要害 長篠城。

 

長篠城の地形図。

2番目の地図とは上下が逆になってます。

豊川と宇連川の合流地帯の絶壁の上に立っています。

現在は城跡内をJR飯田線が通っています。

 

堀と土塁。

 

史跡内をJR東海の飯田線が走っています。

 

 

武田軍の包囲網

 

 

本丸跡

 

本丸から東側の眺望。

上りの奥は場内を横断する飯田線が一段と低いところを走っています。

さらに城の一部があり、その奥に宇連川への谷があります。

見えている山々は武田軍が砦があり包囲されていました。

 

対岸の武田軍の砦。

 

一つ前の写真の幟の経っているところまで移動します。

ここまできても宇連川は見えません。

川の奥に新東名が走っています。

 

 

鳥居強右衛門

 

長篠の籠城戦と言えば必ず出てくる鳥居強右衛門(すねえもん)。

籠城が続き、食料も尽き果てそうな状況で、

強右衛門は籠城での惨状を訴え援軍を求めるために岡崎に向かった使者です。

 

こちらは豊川側の眺望です。

崖の奥に見えないですが谷底を豊川本流が流れています。

 

援軍が来ることを急いで知らせるために城の近くに戻った強右衛門。

包囲網を突破できず武田方に捕らえられます。

 

この対岸で磔になります。

いきさつは下記の説明板をご覧ください。

 

鳥居強右衛門

 

対岸には強右衛門の顕彰碑が立っています。

 

鳥居強右衛門の年代順の行動履歴

 

 

長篠城内の景色

 

 

辛うじて見える谷底の豊川の流れ。

 

本丸裏手には落差8mの不動の滝

天然の要害になっていました。

 

長篠城址碑

日本1000名城にも選出されている。

 

徳川家康ゆかりの地。

彼方此方に幟が立ってます。

 

咲き始めの紫陽花。

 

色づき始めです。

 

桑の実

 

枝垂れの桑です。

 

セッコクをよく見かけました。

この地方ではよく生えるようです。

 

続いて大通寺に向かいます。

 

2023-5-21 長篠城にて

ご訪問ありがとうございました。