明智一族の墓 西教寺 ☆ ミニ ビワイチ(南湖を一周) | 団塊ジイジの Photo Diary

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ミニ ビワイチ(南湖を一周)の続きです。

前回の記事では西教寺の本堂までの様子をアップしました。

 

 

今回は、書院、客殿並びに明智一族の墓の様子をアップします。

 

西教寺境内案内図

 

書院、客殿では内部の撮影が禁止されていましたので写真はありません。

 

書院北側庭園。

 

書院 南側庭園。正面は客殿。

 

南側 庭園。穴太衆庭園というそうです。

 

客殿、書院、本堂、本坊は渡り廊下で結ばれています。

 

客殿の西側にある小堀遠州作の庭園。

 

客殿の桃山御殿ともよばれ伏見城から移築したものです。

内部の写真撮影はできませんでしたが、素晴らしかったです。

 

本坊に戻り御朱印を受け取り、本堂前の広場の一角にある明智一族の墓に向かった。

 

西教寺本堂(再掲)

 

築地塀の手前が明智一族の墓と供養塔です。

 

明智一族の墓。

 

明智一族の墓 説明板。

 

明智光秀の塚といえば京都白川沿いにあったのを思い出しました。

 

 

西教寺に戻ります。

 

明智熙子の墓。

左端の小さな五輪塔が熙子さんの墓です。

 

明智熙子の墓。

 

坂本城主 明智光秀の妻 熙子の説明板。

 

明智光秀 辞世の句

 

辞世の句 説明板。

 

おそらくこの辞世の句は江戸時代の歴史家が光秀の思いを句にしたものでしょうね。

 

光秀の評価は様々ですが、光秀の娘である細川ガラシャの生き様や斎藤利光の娘である春日局の栄華などもあり、明智に対してイメージは江戸時代を通して悪くなかったようです。天海大僧正と光秀が同一人物とのまことしやかな噂などもその傍証かもしれませんね。

 

2021-1-14 西教寺にて

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