寂しさとともに生きる | あなたの日々を感動で彩るヤスコロリのブログ

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福岡市在住 ヤスコロリ 人生は誰かからの借り物じゃない。自由で自分らしい「真実の自分」を取り戻して、最高の人生を送りたいあなたにお金や人間関係や心の怖れを超えて前に進む生き方、あり方を、毎日感動的に発信しています

 

 

 

 

こんにちわ

厚かましくて

寂しい美容師

ヤスコロリです

 

 



 

昨日のライブ配信

 

 

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昨日までの続き物のブログで

自分の過去とつながって

 

 

 

 

その気持ちのまま

寂しさについて

ライブ配信で語って

 

 

 

 

メルマガにも

寂しさについて書いたら

 

 

 

 

 

寂しさと

ずいぶん友達になれた

 

 

 

 

 

過去はこんなに

寂しかったけど

今はこんなに

満たされてます

 

 

 

 

なんてことをブログにも

これまで書いてた気がする

 

 

 

 

そしてそれはウソでは無い

 

 

 

 

 

でももっと正確なのは

あの頃は

あんなに寂しかったけど

今もこんなに寂しくて

だけどそれを認めたら

だいぶ満たされるように

なりました

 

 

 

 

っていう感じかな。

って思った

 

 

 

 




 

 

 

 

私は人と別れるのが下手だ

 

 

 

 

みんなと一緒にいても

一人だけ変な

タイミングで帰ったりする





または最後まで

ぐずぐず居座る

 

 

 

 

多分今は色々学習して

スマートな別れ方の

パターンを憶えたから





はたから見ると

そんな風には

見えないかも知れない

 

 

 

 

でも例えば

相手に好意があったり

嫌われたくない想いが

強い時は






多分今でも

変に冷たいか

離れがたそうな

そぶりをしてる気がする

 

 

 

 

 

自分でこんなことを

認めるのは

正直居心地が悪い気分だ

 

 

 

 

 

自虐的になってる

ような気がして

イタイ自己開示を

してる気がして





全部最初から

書き直したい

衝動に駆られる

 

 

 

 

でもきっと大丈夫だ

 

 

 

 

寂しさと友達になった今

私は自分の寂しさを





もっと知りたいと

思うんだ

 

 

 

 






23歳のとき

 
 
 
花火大会の帰りに
電車で居眠りして
君から別れよう
って言われた時
 
 
 
 
僕は怒った君の顔が怖くて
「居眠りくらいいいじゃん」
って言えなかった
 
 
 
 
「君の夢をみてたよ」
なんて気の利いた言葉も
思いつかなかった
 
 
 
 
そんなにつまらないなら
別れよう
 
 
 
 
君は極端な人だから
本気っぽい声でそう言って
 
 
 
 
僕は素直に謝れなくて
君の気持ちに
寄り添うことも諦めて
 
 
 
 
裁判官から
刑を言い渡された
みたいな気持ちで
 
 
 
 
 
ああ。。そうなんだって
君の顔を黙ってみてた
 
 
 
 
 




 
 
 
 
23歳の私が
せめて自分の寂しさと
友達でいれたら
 
 
 
 
もっと根気よく
あの子の気持ちに
寄り添えたと思う
 
 
 
 
そうしたからって
あの子との恋愛が
その後どうなってたかは
解らないが
 
 
 
 
 
お互いの人生が
もっと有意義なものに
なるため
他人同士が向き合う経験は
出来たと思う
 
 
 
 
私は
あの時も
その後も
人とそんな経験を
共にすることを
明らかに避けていた
 
 
 
いくつになったって
「寂しさ」が強いと
相手に期待しすぎるか
叶わなければ
ぶった切ってしまうようだ
 
 
 
 
若いころの恋愛の記憶は
懐かしんで思い出に
浸るためのものでは無い
 
 
 
 
数十年を経ようとも
その人の人生のテーマは
心の中にそのまま
手つかずで残っていることが
ほとんどだ
 
 
 
 
 
あの頃の僕と
今の私は
ずいぶん違う気がするが
実は人の中身というのは
 
 
 
 
数十年経とうとも
大した違いは無いようなのだ
 
 
 
 
 



 
 
 
 
最近は人前でも
つくり笑顔が減った
 
 
 
 
これは良い傾向だって
自分では思っている
 
 
 
 
 
自分の中の寂しさを
隠すための鎧が
一枚一枚
はがされていっているようだ
 
 
 
 
 
どんなきれいな
格好をしていても
 
 
 
 
事業が成功していても
 
 
 
 
若くても
年寄りでも
 
 
 
 
健康でも
病気でも
 
 
 
 
寂しいものは
寂しい
 
 
 
 
 
それが表に現れているか
上手く隠されているか
の違いはあっても
 
 
 
 
 
寂しいものは
寂しいのだ
 
 
 
 
 
私はテレクラに
電話しまくってた
23歳の自分のことが
恥ずかしくはない
 
 
 
 
だってあなたと同じように
私は寂しかっただけだ
 
 
 
 
一人の人と
じっくり向き合えず
色々な人と
セックスしたがっていた自分を
ダメなやつとは思わない
 
 
 
 
だってみんなと同じように
私はただ
寂しかっただけなんだから
 
 
 
 
寂しいことは
恥ずかしくないし




寂しくたって
隠さなくていい
 
 
 
 
 
私は人生に前向きで




才能に溢れて
良き友人に恵まれながら
 
 
 
 
今日も寂しさと
ともに生きています