師匠のお見送りをしました | バイオリンの先生の日記帳

師匠のお見送りをしました

1月21日に94歳で師匠の津田吉男先生が天国に旅立たれました。

昨日はお通夜、本日告別式でした。



亡くなってからご葬儀までかなり日がありました。

息子さん娘さんも津田クラス卒業生で、私たち古い生徒達は、家族同然にご葬儀打ち合わせLINEグループにも入れていただきながら、充分関わらせていただきました。


ご葬儀には津田クラス開設当初の私の上の世代のOBOGから下は大学生まで、先生にとっては孫弟子になる私が指導者になりたての頃の生徒さんの親御さん方、そして合奏団ひびきの他の先生のクラスのOG OBまで、たくさんの弟子たちが集まり、若い仲間に囲まれ、盛大な雰囲気でした。


先生のお別れの会でしたが、あちこちでウン10年ぶりの再会を懐かしむ声が聞かれました。


私は告別式で弔辞を読ませていただきました。

先生の武勇伝やエピソードは子供時代から亡くなる数時間前まで満載で、本一冊ではとても収まらないくらいありまして、昨日の晩に何を言おうか考えたのですが、選ぶのが大変でした。


結局、高校時代のひびきのコンサートの時の思い出を話しました。

昭和天皇崩御の日に、ひびきの新春コンサートがあって、ステージの上でコンサートの最初に皆で黙祷して、弾く前になんとなくしんみりした雰囲気になった時がありました。

先生がお辞儀をしてくるりとこちらを向いて指揮棒をあげたとき、口の中から飴を舌の上に乗せてベーっと私たちに見せて、私たちは一瞬ですっかりおかしくなって楽しく演奏した思い出でした。

先生はただ技術を教えるのではなく、子供達がどんな気持ちで弾いているかまでとても大切にされました。

指導者になって振り返ると、皆の将来の音楽の関わりまで常に考えて、日々心を砕いて努力されていたことがわかります。


弔辞は紙に一応書いてはありましたが、結局書いてある通りには読まず、思いついたまましゃべってしまったのですが、言いたいことは全部言えたかな?と思います。


先生とはいつも、飲んで笑って怒られてわいわいとみんなで過ごしましたが、こんなにみんなが泣いている集いは初めてでした。


最後に喪主の息子様が、

「94歳のお葬式なのに、こんなに若い人たちが集まってくれるなんて!と、昨日も家族で話していました」

とおっしゃっていました。


みんなにとって、親より親であった先生でした。




生前のご希望であった音楽葬が、会場の都合で叶いませんでしたので、5月7日(日)に若葉台のiプラザホールを取りました。


今日の帰りに皆でお寿司を食べながら相談して、プログラムも決まりましたので、またご案内しますね!


先生、今まで本当にありがとうございました


天国で、いつも「自慢のワイフ」とおっしゃっていた奥様とごゆっくりお過ごしください。