「荒木村重の足跡を辿る」(No.19)(荒木S) 天神山城跡(岡山県和気(わけ)郡和気町) | 荒木村重研究会ブログ

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荒木村重研究会は「荒木村重研究序説」(瓦田昇著)の発行をきっかけに翌年1999年に伊丹で誕生しました。
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天神山城跡(岡山県和気(わけ)郡和気町)

岡山三大河川の一つ、吉井川の左岸に位置する標高340メートルの尾根上に、(岡山県を代表する戦国大名の1人)浦上宗景(うらがみむねかげ)によって、天神山城は築かれました。(岡山県南東部に位置します。)


築城・落城時期については、諸説あります。
最近の研究により、築城時期は、(尼子晴久の備前・美作侵攻が本格化した時期と重なるような形へと)享禄五(1532)年➝天文二十三(1554)年頃へ下り、落城時期は、(宗景が宇喜多直家に敗れた時期と重なるような形へと)天正五(1577)年➝天正三(1575)年へ遡ることが正しいと指摘されています。


それまで敵対していた宗景を味方につけるため、天正元(1573)年、織田信長は、宗景に備前(岡山県南東部)・美作(岡山県北東部)・播磨(兵庫県南西部)の3ケ国を与えました。しかし、宗景にその力は無く、(家臣の)宇喜多直家(毛利方)に敗れました。

これを放置すると、播磨の国人達が毛利氏や宇喜多氏に服属しかねず、それを食い止めることや、(直家に天神山城を奪われた)宗景を救援することが、信長には必要になりました。

天正三(1575)年八月、荒木村重は、織田信長の越前(福井県)一向一揆攻めに参加し、越前在陣中でしたが、上記の理由により、同年九月、急遽、播磨へ出兵するよう、また、国人達を説き伏せて人質を徴集するよう、信長より命じられました。(『信長公記』)
(以降、村重は、信長の対西国政策の担当になりました。)

言い換えれば、信長の犯した(宗景に前述の3ケ国を与えたという)判断ミスの尻拭いをするために、村重は、摂津(大阪府北西部と兵庫県南東部)の武士や百姓を動員して播磨に出兵したことになります。

そして、信長の対西国政策が崩壊する危機を見事に救いました。

村重のこの出陣を契機に、山名豊国・赤松広貞・小寺政職(こでらまさもと)・別所長治などが信長に服属しました。(『吉川家文書』)

村重は、特に政職の取次(当主と家臣、他大名の間を仲介する者)になりました。(『小寺家文書』)

その結果、村重の指揮下で宗景を救援するよう、天正三(1575)年九月十二日、信長が政職に命じました。そして、それにあたり、村重への馳走も命じ、政職からの贈り物に対する答礼も、村重を介して行いました。
また、政職は、(村重の居城の)有岡城に人質を出していました。(『豊太閤真蹟集所収黒田家文書』)

天正五(1577)年五月の英賀(あが)(姫路市)の戦いで、小寺政職や黒田孝高(くろだよしたか)(官兵衛、後の如水、当時は小寺姓)が乃美宗勝率いる毛利軍を打ち破った際にも、信長に取り次いだのは、村重でした。(『黒田家文書』)

(後に政職は、同じ播磨の別所長治ではなく、村重と共に信長から離反することからも分かるように、)村重と政職の間には、強固な与力関係が形成されました。

余談ですが、天神山城跡の北側の麓の田土地区では、「日本の原風景」とも言えるような、棚田のある田園風景を眺めることが出来ました。

また、天神山城跡の訪問ついでに、近くの「和気鵜飼谷温泉」で休養・宿泊・食事をするのも良いかも知れません。

[写真上]
 天神山城跡 登山道下
[写真中]
 天神山城跡への案内図
[写真下]
 天神山城跡の堀切り



[写真上]
 天神山城跡 南櫓
[写真中]
 天神山城跡 馬屋の段
[写真下]
 天神山城跡 飛驒の丸



[写真上]

 天神山城鳥瞰図
[写真中]
 天神山城跡 侍屋敷跡
[写真下]
 天神山城跡 天津社




[写真上]

 天神山城跡 空堀跡
[写真中]
 天神山城跡 本丸跡
[写真下]
 (眼下の)吉井川



[写真上]

 天神山城跡 二ノ丸跡
[写真下]
 天神山城跡 長屋の段跡 



天神山城跡近く   田土地区の里山風景
(「日本の原風景」)



[参考図書等]

シリーズ【実像に迫る】010「荒木村重」(天野忠幸著、戎光祥出版)

戦国摂津の下剋上(中西裕樹著、戎光祥出版)

赤磐市公式ホームページ(赤磐市広域路線バス赤磐・和気線関係)

和気町公式ホームページ(町営バス関係)

和気町観光案内所「ENTER WAKE(エンター ワケ)」公式ホームページ(レンタサイクル関係)

岡山県古代吉備文化財センターホームページ(天神山城関係)

岡山県公式ホームページ(クマの出没情報関係)

Googleマップ



[天神山城跡へのアクセス]

JR西日本 山陽本線 和気駅前から

バスで約12〜23分の河本バス停下車、
その後、徒歩で約40分(天神山城跡北側の田土地区経由で)

または、和気駅前の観光案内所のレンタサイクルを利用(ただし、天神山山頂ではなく、自転車で進める所まで)し、残りは徒歩で登山

または、お車で約15分(ただし、天神山山頂ではなく、車で進める所まで)、残りは徒歩で登山
※駐車スペースを確保可能かどうかは不明です。

※タクシーは、ほとんど走っておらず、期待しない方が良いかも知れません。


[訪問時の注意点]

(天神山城跡に限らず)山城を訪問する際は、
訪問直前に、必ず、現地のホームページなどで
クマの出没情報を確認し、出没していない旨を確認出来てから訪問してください。
また、念のため、クマ除けの鈴・クマ撃退スプレーなどの持参をお勧めします。

天神山城跡訪問時には、バスの本数・タクシーが少ないため、お車を利用しない方には、和気駅前のレンタサイクルを利用することをお勧めします。

当研究会に興味のある方は、ご連絡ください。
例会等の見学可能です。
(メール連絡)


以下は、今後の予定です。

例会

令和8年10月4日(日)

令和8年11月1日(日)

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