「早々出頭尤候、待覚候」
早々の出頭(参陣・面会)はもっともなことであり、心待ちにして待っている。
「其元様躰言語道断」
そちら(あるいは相手側)の有様・態度は言語道断(非難されるべき状態)である。
「無是非候、誠天下之失面目事共候」
誠に是非に及ばず(手の施しようがなく)、まさに天下に対する面目を失うような出来事である。
「存分通両人申含候、かしこ、」
当方の思い・意向については、使いの者(または仲介者)両名によく言い含めておいた(ので直接お聞きいただきたい)。かしこ。
注)「両人申含候」の「両人」は、村重と村次の事ではなく、信長がこの手紙を持たせて村重、村次に遣わした二人の使者の事です。
信長は、普段であれば右筆に命じて、使者の名前二人を書いて、その後に「両人申含候」と書く所でしたが、慌てていたので使者の名前は省略した、という事になります。
ところが、『信長公記』では、信長が村重、村次に遣わした使者は、宮内卿法印(松井友閑)、万見仙千代(重元)、惟任日向守(明智光秀)の三人です。
何故こうなったのか、「両人申含候」の「両人」とは誰か、という問題が生じますが、瓦田昇『荒木村重研究序説』p496〜497「綿考輯録(めんこうしゅうろく)」に載る長岡兵部大輔(細川藤孝)宛信長書状では、「夫ニ付宮内卿法印(松井友閑)・万見仙千代(重元)遣之候、并惟任日向守(明智光秀)申含越置候き」とあります。
p497の瓦田昇氏の解説には、「宮内卿法印(松井友閑)・万見仙千代(重元)を派遣して事情を聞き、慰留させた。尚、惟任光秀も増援した。」と書かれてあります。
つまり、「両人申含候」の「両人」は、宮内卿法印(松井友閑)・万見仙千代(重元)であり、信長は村重、村次に、最初に宮内卿法印(松井友閑)・万見仙千代(重元)を遣わし、その後に村次の舅である惟任日向守(明智光秀)も遣わした、という事になると思います。(注)箇所 荒木幹雄先生の解説です)
- 信長直筆の筆跡: 筆跡の比較から信長の自筆(直筆)と推定されている極めて貴重な書状です。
- 生々しい苛立ち: 噂を聞いた信長が「言語道断である。早く出頭して釈明せよ」と村重に迫る緊迫した内容です。墨が完全に乾ききらないうちに急いで手紙を巻いたため、裏面に墨が移った痕跡(移り墨)が残っており、当時の信長の焦燥や苛立ちが視覚的にも伝わってきます。
