地名「伊丹」の由来と伊丹氏 伊丹城 最後の城主 | 荒木村重研究会

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兵庫県伊丹市。
「伊丹」という名は、中世以来この地を治めてきた武士団・伊丹氏の名が、そのまま土地に刻み込まれたものです。

今回は、伊丹という地名の由来、伊丹氏の歴史、そして城名改称の意味を一つの流れとしてたどります。

地名「伊丹」の由来と伊丹氏
「伊丹」という地名は、南北朝期にはすでに文献に見え、当時、領主であった伊丹氏の名と深く結びついています。(地名が先か一族名が先かについては諸説あります)。室町期以降、伊丹氏がこの地を本拠としていました。摂津国の有力国人として勢力を保ち、地域支配を長期にわたって継続していました。武家の名が土地に固定化されていく──それは中世社会における支配者の力を象徴しています。

伊丹城と「最古級の天守台」
伊丹氏の居城・伊丹城は、現在は有岡城跡と呼ばれる辺りにありました。文明4年(1472年)の改修により、平城でありながら天守台を備えた構造を持っていたと伝えられています。もしこれが事実であれば、天守的建築の先駆的存在となります。

一般に壮大な天守を備える城は戦国後期から安土桃山期に発展しましたが、それより早い段階で石垣と天守台を伴う高度な築城が行われていた可能性があるのです。これは、伊丹氏が軍事・経済両面で相応の実力を持っていたことを示唆します。

信長との結びつき
1568年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、伊丹親興(ちかおき)はこれに従います。信長は摂津支配を進めるうえで、在地勢力との協調を図りました。親興は和田惟政や池田勝正らと並び「摂津三守護」と称される立場に位置づけられます。1569年の本圀寺合戦、1570年の各地での軍事行動など、伊丹氏は単なる形式的存在ではなく、実戦部隊として信長政権を支えました。中央権力と結びながらも、在地の名族としての独自性を保っていた点に、伊丹氏の特質があります。

荒木村重と「有岡城」への改称
1574年、信長配下の武将・荒木村重が伊丹城を攻略します。このとき城名は「有岡城」へと改められました。伊丹城(後の有岡城)は、摂津の交通要衝、経済拠点でした。信長は在地の旧勢力との協調より、直轄化したい場所だったから、荒木村重が攻略したとの説があります。

城名変更は、新たな支配者が旧勢力の記憶を塗り替え、自らの権威を刻み込む象徴的行為でした。村重は摂津支配の拠点として城を大改修し、巨大な城郭都市へと発展させます。

しかし、城が「有岡城」と呼ばれたのは歴史の中では短い期間に過ぎませんでした(1579年ごろまで)。村重が信長に叛いた後、城は廃されます。

最後の伊丹城主は誰か
伊丹城落城時の「最後の城主」については、伊丹親興説と伊丹忠親説が存在します。近年は署名や官途名の変遷から、忠親が実質的当主であった可能性が高いと考えられています。


伊丹市史 P633

親興が「大和守」を名乗っていたのに対し、忠親は当初「兵庫助」と署名していました。しかし後に「兵庫頭」と変わります。これは家督継承を示唆する重要な変化です。落城直前の史料で忠親が上位官途で署名している点から、実質的な最後の城主は忠親であったと見る説が有力だからです。

伊丹親興 → 「大和守」
伊丹忠親 → 最初「兵庫助」
後に「兵庫頭」

と署名が変わります。

ここでポイントは:「助」から「頭(かみ)」に変わるのは明確な昇格を意味すること。

現代で言えば:
助(すけ)= 部長代理
守/頭(かみ)= 部長

のような関係です。

だから、忠親が「兵庫頭」と名乗り始めた=家督を継いだ可能性が高いと考えられるのです。

呼称   序列
守(かみ) 最上位
頭(かみ) 最上位(役所系)
助(すけ) その下

落城後の運命
落城の際、親興は自害したと伝えられます。一方、忠親は生き延びます。本能寺の変後、彼は羽柴秀吉に仕え、肥前名護屋城にも在陣しました。その後黒田長政に属し、関ヶ原の戦いで戦死します。

名族の誇りを守って散った父と、生き延びて家名をつなごうとした子。その対照的な選択は、戦国乱世の厳しさを象徴しています。


荒木村重が掲げた「有岡城」という名は、権力の象徴としては強烈でしたが、その後の江戸期の史料では主に、摂津国川辺郡伊丹郷、摂津国川辺郡伊丹村
、伊丹町と記されています。数百年の時を経て「伊丹市」となっています。

地名は、権力の交代を超えて生き残る記憶の器です。今、私たちが何気なく口にする「伊丹」という二文字の背後には、伊丹氏の長期支配、荒木村重の改名、そして最後の城主をめぐる歴史の交錯が折り重なっています。


福岡市民図書館「伊丹家資料展」目録から