鞆の浦
[写真A]山中鹿之介首塚
上月城(兵庫県佐用町)の戦いで、天正六(1578)年七月、織田方の尼子勝久は毛利方に敗れ、落城し、自害しました。(勝久の重臣)山中鹿之介(幸盛)は捕らえられ、毛利方に送られる途中に備中(岡山県)で殺害され、(鹿之介の首を)鞆にいた足利義昭が首実検したと言われています。
[写真B]桝屋清右衛門宅(坂本龍馬の隠れ部屋)
[写真C]太田家住宅(鞆七卿落遺跡、旧保命酒屋「中村家」)
幕末の政変により、都落ちした尊王攘夷派の公卿7人が、鞆に立ち寄った際に宿泊しました。
[写真D]いろは丸展示館
坂本龍馬の海援隊が運航していた「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が、幕末(1867年)に鞆沖合で衝突したことに関連する博物館



