「槙島城跡」(京都府宇治市槇島町)を訪問
荒木村重と細川藤孝が織田信長に服属した(当連載(No.9)「逢坂」参照)ことにより、畿内(当時の山城・大和・摂津・河内・和泉)において、軍事的なパワーバランスが逆転し、足利義昭よりも信長の方が、優位になりました。
このことにより、義昭は、京都を拠点に出来なくなり、(幕臣)真木島昭光のいた槙島城へ移り、天正元(1573)年7月に挙兵しました。
これに対し、信長軍の豊臣秀吉・明智光秀・柴田勝家・荒木村重らの大軍が、槙島城を攻撃しました。
この戦いで義昭は敗れ、(義弟)三好義継の若江城(大阪府東大阪市)に退去しました。
最近の教科書では、この時に、室町幕府が実質的に滅亡したとされています。
[参考図書等]
「シリーズ【実像に迫る】10『荒木村重』」(天野忠幸著、戎光祥出版)
「戦国摂津の下克上」(中西裕樹著、戎光祥出版)
「荒木村重史料研究」(山脇一利著、ブイツーソリューション)
「Google マップ」
槙島城跡には、残念ながら、城の建物・石垣などが残っていませんでした。
住宅地の中の小さな公園(薗場児童遊園)内に、槙島城跡の石碑と説明板があります。
また、少し北にある槇島公園内には、槙島城記念碑と説明板があります。
槙島城跡・槇島公園の訪問ついでに、平等院・宇治上神社などの観光名所を訪問するのも良いかも知れません。
[アクセス]
槙島城跡:
JR宇治駅から約1.3km(北北西、徒歩約17分)
京阪宇治駅から約1.7km(南西に進んだ後に北北西、徒歩約23分)
槇島公園:槙島城跡から約0.4km(北、徒歩約6分)
槙島城跡
槇島公園内の槙島城記念碑