「荒木村重の足跡を辿る」(No.9)(荒木S)「逢坂(おうさか)」 | 荒木村重研究会

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「逢坂の関跡」(滋賀県大津市)を訪問 

荒木村重の「逢坂の関」訪問時の状況は、以下のとおりです。

元亀四(1573)年2月13日、足利義昭が織田信長を見限り、三好三人衆・本願寺などの信長包囲網に加わりました。(当連載(No.7)「高槻城跡」参照)
追い込まれた信長は、義昭に和睦を望み、人質を差し出しましたが、義昭が信長に人質を返還し、和睦を許さないことを示しました。
そこで、義昭を討伐するため、信長は岐阜を出発し、京都に向かいました。


同年3月29日、村重は細川藤孝と共に、信長を山城(現在の京都府)・近江(現在の滋賀県)の国境付近の逢坂で出迎え、忠節を誓いました。

信長は非常に喜び、郷義弘(南北朝時代の越中(現在の富山県)の有名な刀工)が鍛えた刀を村重に、名物の脇差を藤孝に与えました。
この時、信長は「摂津国一職」を村重に与えたとも言われています。



余談ですが、「逢坂の関跡」のすぐ近くに、
「蝉丸(せみまる)神社」があります。
「蝉丸」は、平安時代の伝説的歌人・盲目の琵琶の名人であり、「小倉百人一首」に「蝉丸」の歌が収録されており、逢坂の関付近に住んていたと言われています。

「逢坂の関」を訪問したついでに、近くの「逢坂山かねよ本店」(老舗うなぎ料理店)に立ち寄ってみるのも良いかも知れませんね。
[逢坂の関跡へのアクセス]
 京阪京津線 大谷駅 から東へ徒歩約5分


[写真上] 逢坂の関跡


[写真下] 蝉丸神社


「参考図書等」
 
シリーズ実像に迫る010「荒木村重」
   天野忠幸著(戎光祥出版) 

「荒木村重研究序説」
   瓦田昇著(海鳥社) 

「戦国摂津の下剋上」
   中西裕樹著(戎光祥出版) 

「荒木村重史料研究」
   山脇一利著(ブイツーソリューション)


「滋賀県観光情報HP」

「コトバンク」