「茨木城跡」(大阪府茨木市片桐町)を訪問
郡山(白井河原の)合戦(当連載No.6参照)で荒木村重は茨木佐渡守を、中川(瀬兵衛)清秀は和田惟政を討ち取り、茨木氏は滅亡しました。
清秀は、村重の従兄弟です。
「中川年譜」をはじめ、通説では郡山合戦直後〜清秀が茨木城主になったとされています。
しかし、元亀四(1573)年5月27日付のフロイスの書簡には「〘元亀四(1573 )年4月〙茨木主の荒木信濃」との記載があります。
また、村重は、織田信長方に移行するまでは、池田家中の最有力者でした。池田城主は池田氏であったでしょうし、郡山合戦で得た茨木城の主に、村重を差し置いて清秀が就くのは不自然でしょう。
したがって、茨木氏滅亡直後〜元亀四(1573)年以前の茨木城主は、村重であったと推測されます。
茨木城は、建武年間(1334年〜1336年)に楠木正成により築かれたという説があります。
(荒木村重の他には)主な城主は、茨木氏、中川清秀、片桐且元とされています。
現在の茨木小学校付近に茨木城の本丸があったとされています。
茨木小学校正門に茨木城櫓門が復元されているのと、茨木神社(茨木市元町)東門に茨木城搦手門が移築されている他には、城跡と感じられる所が、残念ながら見当たりませんでした。
写真上[茨木城跡(茨木城櫓門)]
写真下[茨木城搦手門(茨木神社東門内)]

