アイホール(有岡城跡にある伊丹市立演劇ホール)の「伊丹の物語」プロジェクトを観てきた。
先月、荒木村重のことを物語の中に入れたいので出演者のみなさまに村重についてお話してもらえないかとオファーがきた。
11月24日に会長とともに出かけた。主に平成以降に発見された史料をもとに、
村重が文化人教養人であったこと、
村重が尼崎城に移ったのは逃げたのではなく戦況挽回のためだったこと、
村重一族は皆殺しになったと思われているが実際には多くの子孫が生き残り、戦国武将のネットワークに助けられその後活躍したこと、
黒田家では官兵衛の命を救った恩人と思われていたこと、
などを伝えた。
当日、村重がどのように描かれているのか楽しみに出かけた。
「村重の舌」と題した一幕で、糞にまみれて真っ黒の村重が「道糞」と名乗って現れた。真っ黒の身体の中で舌だけが赤く、隣の人に何か言いたいことがあるのだろうと催促される。妻子を見捨てて逃げた卑怯者がそれを恥じて生きている、何か言い訳がしたいのか?という昭和時代の村重像そのものの捉え方でとてもショックだった。
事前に平成以降の新しい村重像についてお話させていただいたにもかかわらず、伊丹の若い人の理解はどうしてこうなってしまうのだろう?SNSの情報を鵜呑みにしているからだろうか。
そもそも村重が「道糞」と名乗ったかどうかは定かではない。その一次資料は見つかっていない。
しかし一番残念だったのは村重の文化人教養人の側面が全く出てこなかったこと。有岡城は文化のお城。ここから能やお茶などの文化が発信され、江戸時代に城下町が伊丹郷町として文化の花が咲き誇っていくことにつながっていく。そして今日、有岡城の本丸があった所は鉄道の駅となり、城跡には演劇ホール(アイホール)やカリヨンが建ち並ぶ。この他は歴史的に見て人が集い、文化や芸術が生まれ出る場のエネルギーに満ちているのではないかと思う。
折しも昨年は演劇のアイホールが存続問題で揺れ動き、演劇人と市民が力を合わせてその存続を願って有岡城の戦いに挑んだ年だった。
その記憶も冷めやらぬ中、演劇人のみなさまがこの地の歴史的意義に全く興味関心を示されないことがとても惜しまれる。
一度刷り込まれたイメージを覆すのはなかなか難しい。
これからもコツコツと地道に村重の研究を続け、地元有岡地区や伊丹市のみなさまに新しい村重像を発信していくしかないのだろう…
以上クリスマスの日にアイホール観劇で感じたこと。

