高橋伸明と申します。
脳神経外科医で、現在長崎県佐世保市に勤務しております。著書は、「やさしくわかる脳神経外科」「杉田玄白探訪」があります。運動、車、ファッションが趣味で、酒も大好きです。
詳細は、このページ最後に掲載していますのでご覧ください。
私は、荒木下重賢(しげかた)についての情報を探しています。
私の妻は「杉田玄白」の7代目に当たります。また、「木下備中守重賢(荒木平太夫重賢)」の後裔にもなります。
杉田玄白の娘のが、 鳥取の城主 (木下備中守重賢) だった木下家と 姻戚関係になりました。
この 「木下重賢」 が 「荒木村重」 の兄 「荒木新助勝元」 の子で 「荒木平大夫重賢」 と言われています。 400年前からの 「木下家系図」に 「源勝元」 「村重」 「岩佐又兵衛」の記載があります。
歴史上 「木下平太夫」の生年は不明とされていますが、 木下家に伝 わる 「姓源氏」 上は、 1548年(天文17年) 出生し、幼稚の時叔父の 村重に養われます。 父親は将軍足利 12代源義晴朝臣に仕官した荒木新助勝元です。 天文年間 (天文は24年まで)、 「三好義興」 との戦い で討死したので、 「平太夫」 7歳以前に父親が死亡し、「村重」に預けられました。
木下重堅は、 荒木姓を名乗る前は安都部弥市郎でした [「陰徳太平 記』] 歴史上・家系図上・姓源図上は「重賢」 ですが、本人は「重堅」と自署しています。
1575年 (天正3年〕 28歳の時、 「荒木村重」に1万石で「三田城」 の城主に命じられております。
1578年 〔天正6年 村重が信長に反旗を翻した)、 「羽柴秀吉」 に 開城し以後「秀吉」 に仕えるようになりました。
1581年 〔天正9年〕から1600年(慶長5年〕 関ヶ原の戦いで敗北し自刃するまで20年間若桜鬼ヶ城に2万石で在封しました。 この時から、 木下姓を授けられ 「木下備中守重賢」と改めています。
今年の直木賞 「黒牢城」 を読んで、 「荒木村重」 に再び興味を持ちま した。
遠藤周作の 「反逆」 も読み返してみましたが、ともに 「三田城」の「荒木平大夫重賢」は出てきませんでした。
従って、 何か 「荒木平大夫重賢」に関する情報がないか模索しております。何か情報があれば、下記までご連絡いただければ幸甚に存じます。
併せて次の家系図もご参照ください。
家系図

連絡先
アドレス:n-takahashi0627@buz.bbiq.jp
ホームページURL:杉田玄白探訪

