籠城 (後詰決戦) | 荒木村重研究会

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籠城 (後詰決戦)とは


後詰(ごづめ)とは、援軍が到着するまで耐え、到着とともに攻城方を挟撃する戦術


三河で起こった長篠・設楽原の戦い(1573)は、鉄砲部隊の活躍でよく知られていますが、戦況は長篠城を包囲した武田勢に対して、織田・徳川連合が後詰として駆けつけて武田勢に勝利した戦は

後詰決戦の有名な例です。


有岡城の戦いは、天正6年(1578年)7月から翌天正710月にかけて行われた籠城戦。毛利氏は援軍の約束をしながら、花隈城や尼崎城を通じて兵糧補給をしていたが、1年経っても援兵は来なかった。


『陰徳太平記』では

「荒木家老の者共さし寄りて村重を諫めて云く、つらつら城中の形勢を見るに、毛利家の援兵も今は頼み少なく、徒らに月日を送り給う故、兵糧甚だ乏しく成り候。此上し別に行も候はじ、只早く大将尼崎へ御出有りて、中国・西国の諸将を語らはれ候はば、定めて援兵を出さるべきかにて候。先ず一旦城中を忍びて御出ありて、随分御智謀をめぐらされ候へと、衆口一舌に勧めけり。村重是を聞きて、実に是もさる事也、妻子諸軍士共のためなれば、いかにもして忍び出で謀ほめぐらすべき候」と記している。