村重を詠んだ頼山陽の漢詩   (Gou) | 荒木村重研究会

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頼 山陽(らい さんよう)は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。

主著に「日本外史」「日本政記」「日本楽府(がふ)」などがあり、幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。

伊丹市の小西酒造「長寿蔵ミュージアム」には、山陽の筆による「白雪」の看板が展示されている。かつて、店の正面を飾ったもので、樹齢800年の檜の巨大な一枚板に迫力満点の山陽の筆が乗っている。

伊丹市内の杜若寺(とじゃくじ)には、銘酒「泉川」の醸造元大塚鳩斎(きゅうさい)の墓碑がある。ここにも山陽晩年の作となる撰弁書が刻まれている。

この山陽が荒木村重を詠んだ漢詩、「啗饅頭」(第六十曲)があり、「日本楽府」(1828年)に所収されている。

 

大意は次のとおりである。

引用 ふるさと戦国史 森本敬一氏

 

なお、この漢詩の次は「本能寺」(第六十一曲)である。
 
大意
本能寺の溝の深さは、どのくらいだろう、本能寺にいる信長を撃つのは今夕が好機だ。
はやる心の光秀はちまきを葉ごと食べてしまった、梅雨が墨を流したように激しく降り、あたりは真っ暗だ。
西へ向かえば、信長の命令どおり備中に行くが、夜の明けない早朝に鞭をあげて東へ向かった。
この時光秀は「我が敵は本能寺にあり」と部下に絶叫したが、本当の敵は備中にいる秀吉だった。ここは十分な備えをしなければいけなかった。