善知鳥(うとう) | あらかんスクラップブック

あらかんスクラップブック

60代の哀歓こもごも

今日は、能のハナシ。

能楽なんて、ほとんどの人は無関係の世界。 私は能について話す人もいないし、話せば白けられてしまう。 だから、ここでしゃべらしてもらおう。

ゆるゆるとすり足で移動して、手足をあまり動かさず、謡いを聴いても、これが日本語かと思うらしい。 眠くなるという人も多い。

 

これも食わず嫌い。こんなドラマチックな芸能はない。ドキドキする。

 

能「善知鳥(うとう)」、これは能の中でも、救いもない悲惨な曲ナンバーワン(…と私は思っている)。

何年も前に、観世宗家がシテをつとめたのを国立能楽堂で鑑賞したことは、一生忘れられない。

能楽は700年近くも前に、観阿弥、世阿弥が始めた。

弱者、敗者、周縁に押しやられた者を美しいものへと昇華させ、供養することを志した芸能と言われる。

「善知鳥」の主人公は死んで幽霊になった猟師。

死んでからも地獄で、生前の殺生に苦しむ。

ウトウは宮城県以北にいる海鳥である。猟師はこのウトウを獲ることを生業とし、その殺生に楽しみを見出してしまった。

眉毛と髭がチャーミングで、鳩くらいの大きさの海鳥。

 

天売島のウトウ

 

絶滅危惧種じゃあるまいし、猟師がいっぱい群れている鳥を討って何が悪いとは、この猟師は考えない。 殺生を生業とする自分の卑しさを嘆く。 生業が原罪とは悲しすぎる。

腰蓑は鳥の羽根

♪この世を渡るなら、士農工商の家に生まれればよいのに、そうならず、また琴碁書画といった風流を嗜む身にもならず、ひたすら明けても暮れても殺生…、暮れの遅い春の日も、秋の夜長には漁火を灯して働き、眠る間もない。暑い夏の日も暑さを忘れ…♪

そして、圧巻はその殺生の様子を幽霊の猟師が再現する生々しさ。

「ウトウのカケり」とよばれ、猟師がひな鳥を捕ろうとして、遠くから息を殺して近づき、杖で打ち据える。その凄まじさ。床をこれ限りに踏み、杖を後ろに投げ捨て、囃子方に当たるのではないかとびっくりした。

力いっぱい蓑傘を投げれば舞台から落ちると一瞬思うが、間際でストンと止まる。

 

 

 

能の舞台で、こんなにスピードある動きが観られるのはめずらしい。痩せ男の面が鬼気迫る。

やせ男の能面。動きがあるから好きな面のひとつ。

 

ウトウという鳥は、見晴らしのいい砂地にヒナを生む。 親鳥が「ウトウ」と呼べば、ヒナは「ヤスタカ」と答えるので、すぐに捕まってしまい、親鳥は嘆いて空から血の涙を流す。猟師は降り注ぐ血の雨を蓑傘で防ごうとするが、辺り一面くれないに染まる。

 

地獄に堕ちた猟師は、鉄の羽と銅のツメを持った快鳥に眼をつつかれ、肉を引き裂かれる。地獄ではウトウは鷹となり、猟師を捕らえて苦しめる。

 

猟師は、立山で出会った僧に、外ヶ浜(青森県東部)で帰りを待つ妻子に蓑傘を手向けてくれるように伝言を頼み、僧は妻子を訪ね、読経しているところへ、猟師の霊が現れる。

でもわが子の髪を撫でようとしても自分の罪ゆえにできず、地獄へと去っていく。

猟師の霊は救われず、成仏できなかったという結末。

 

藤原定家の歌に「みちのくの、外ヶ浜なる呼子鳥。鳴くなる声はうとうやすたか」とある。うとうは憂とう、やすたかは安たかで、大丈夫? 大丈夫だよ!と親子が呼びかけ合う。うとうの親子と猟師の親子と対比してみると、人間の原罪はなんと悲しいものなのか。

 

世阿弥は室町時代の人。この歌との関連はわからないが、

ギリシャ神話で、天界の火を盗み、人間に火を与えたプロメテウスが、ゼウスの怒りを買い、岩壁に鎖でつながれ、生きながらにしてハゲタカに内臓を啄まれ続ける…というのを思い出した。

 

人間は、その火で暖まるだけでなく、鉄を鋳て、兵器をつくり、戦争を繰りかえした。

原子力は「プロメテウスの火」とも呼ばれる。科学文明を享受する人間の罪は、救われることはなく、永遠に地獄で苦しむのかも知れない。

 

生物の減少化、動物愛護、畜産の工業化、…など、この「善知鳥」から思い浮かべる現在の問題は多い。 

これらの動物をめぐる問題に、能からヒントをえた日本の精神文化、例えば不殺生、供養…などからの問題解決があってもいいのではないか? 

 

最後に能の本のおススメ。

観世流26代宗家の観世清和さんと武道家、作家で謡や仕舞もやっている内田樹さんの対談は、楽しい。

 

あと、青森の「田酒」蔵元の「善知鳥」という酒。今の時期しか手に入らない。一升瓶がおすすめ。この酒ラベルの書は、私の酒ラベルベスト10のうちのひとつ。隷書の右ハライは鳥のヒナのようだ。

 

能、いかがでしょう。今年から関わってみませんか?